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元は、1894年(明治27年)に山陽鉄道がアメリカのボールドウィン社で4両(製造番号14126 - 14129)を製造した、車軸配置2-6-0(1C)、2気筒単式の飽和式テンダ機関車である。メーカーでの種別番号は8-26D、山陽鉄道での形式は7形、番号は当初34 - 37の予定であったが、播但鉄道から譲り受けたタンク機関車(後の鉄道院3400形)を34としたため、35 - 38とした。そのため、製造番号との対応は逆順となっている。
形態は典型的なアメリカ古典形で、ボイラーはストレートトップ型、第1缶胴上に蒸気ドームが、第3缶胴上に砂箱が設けられていた。また、煙室の側面から端梁にはブレース(支柱)が渡されている。炭水車は3軸で、後位側が2軸ボギー台車とされた、片ボギー式である。
前年製造された5形(後の鉄道院8450形)は、ヴォークレイン4シリンダ複式で動輪直径がやや小さい程度の同系車で、シリンダ、固定軸距、炭水車の寸法などが共通していた。
1906年(明治39年)の山陽鉄道国有化にともなって国有鉄道籍となり、1909年(明治39年)に制定された鉄道院の車両形式称号規程により、8350形(8350 - 8353)と改称された。
国有化後、山陽線東部のほか関西線東部、山陰線に分散したが、大正中期以降は山陽線中部以西、関西線東部で貨物列車牽引用に使用されていた。廃車は、8350が1922年(大正11年)5月、残りが同年12月で、払下げられたもの、保存されたものはない。
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