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日本の福島県安達郡にあった村 ウィキペディアから
和木沢村(わぎさわむら)は、かつて福島県安達郡に存在した村である。後に分割合併、白沢村と本宮町に分かれるが、その2町村が2007年1月1日合併、本宮市となる。
福島県のほぼ中央に位置し、南は郡山市、北は二本松市に隣接する。
現在の本宮市の中部、旧本宮町の東部、旧白沢村の西部に位置する。
丘陵地が多く、その地形を利用した農業が盛んである。行政はほとんどが糠沢地区に集中している。西部に阿武隈川が流れる。現在は開発が進み、その丘陵地も団地や競技場、工業団地などになっている。
本宮町、仁井田村(現本宮市、旧本宮町)白岩村(現本宮市、旧白沢村)石井村、杉田村(現二本松市)日和田町、西田村(現郡山市) - 1889年(明治22年)4月1日現在
村名は、「和田」の和、「高木」の木、「糠沢」の沢を組み合わせ、和木沢とした。
変遷表
総数 [単位: 人]
1889年(明治22年) | 3,803 |
1920年(大正 9年) | 4,986 |
1947年(昭和22年) | 6,965 |
総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 922 |
1947年(昭和22年) | 1,145 |
明治維新までは、旧各村の地主(和田2、糠沢2、高木1)によって村治が行われていたという。村長という名称で村治を行ったのは和木沢村になってからである。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初代 | 登榔次郎左衛門 | 明治22年6月26日 | 明治26年6月25日 |
2 | 國分半之右衛門 | 明治26年6月26日 | 明治30年6月25日 |
3 | 渡辺勘之亟 | 明治30年6月26日 | 明治32年11月27日 |
4 | 日向直左衛門 | 明治32年12月6日 | 明治36年8月12日 |
5 | 渡辺吉十 | 明治36年10月2日 | 明治37年5月16日 |
6 | 古田部健太郎 | 明治37年5月20日 | 明治37年10月30日 |
7 | 渡辺勘之亟 | 明治37年11月21日 | 明治41年11月20日 |
8 | 國分佐與吉 | 明治41年11月22日 | 明治45年2月23日 |
9 | 古田部健太郎 | 大正元年10月30日 | 大正3年4月18日 |
10 | 影山治郎八 | 大正3年7月2日 | 大正7年7月1日 |
11 | 北山源五郎 | 大正7年7月27日 | 大正11年7月26日 |
12 | 市川三郎 | 大正11年7月27日 | 大正15年7月26日 |
13 | 日向四郎次 | 大正15年7月27日 | 昭和5年7月26日 |
14 | 市川三郎 | 昭和5年7月27日 | 昭和13年11月21日 |
15 | 三瓶久徳 | 昭和13年11月22日 | 昭和17年11月21日 |
16 | 影山庄之助 | 昭和17年11月22日 | 昭和21年11月21日 |
17 | 菅野孫十 | 昭和22年4月5日 | 昭和30年4月29日 |
その他に、助役(内名誉助役と有給助役に分かれる)と収入役などが存在した。
各旧村にも村会議員は存在していた。和木沢村時代は約290人もの村会議員が活躍していた。(合併後〜分離まで)
和木沢村には行政末端組織が置かれた。発足前各村にも行政区が存在したが改め、明治22年7月17日の村議会で、今まで「〜番組」と呼ばれていたものを「〜区」と改称することを決定した。この名残なのか、高木地区では現在でも「〜番組」の呼び方がある。「〜番組」の呼び方は、旧本宮町に伝わる太鼓台の区分けにも使用されている。
明治22年7月17日議決の区
区名 | 区域(旧名称) |
---|---|
小田部区 | 糠沢一番組 |
堀ノ内区 | 二番組 |
日向区 | 三番組 |
高松区 | 四番組 |
八幡区 | 五番組 |
城ノ内区 | 六番組 |
作区 | 七番組 |
岩崎区 | 八番組 |
大沢区 | 和田一番組 |
西明内区 | 二番組 |
喜多区 | 三番組 |
屋口区 | 四番組 |
明石内区 | 五番組 |
久保区 | 六番組 |
平茂内区 | 七番組 |
柳田内区 | 八番組 |
作田区 | 九番組 |
諏訪区 | 十番組 |
戸ノ内区 | 十一番組 |
根岸区 | 高木六・七番組 |
舟場区 | 五・八番組 |
高木区 | 四・九番組 |
大屋敷区 | 一・二・三番組 |
この区名の中には、この区名が発祥とも言われる苗字がある。
戸数・人口共に増え続けている。現在は不明だが、和木沢村時代は少なくとも60年ほどの間に4000から5000人増えている。
年 | 戸数(戸) | 人口(人) |
---|---|---|
明治20 | 587 | 3655 |
明治35 | 580 | 4668 |
明治36 | 590 | 4958 |
明治37 | 579 | 5008 |
明治38 | 571 | 4989 |
明治39 | 572 | 5039 |
明治40 | 561 | 5039 |
明治41 | 541 | 5143 |
明治42 | 546 | 5232 |
明治43 | 547 | 5201 |
明治44 | 545 | 4961 |
大正元 | 545 | 5314 |
大正2 | 544 | 5114 |
大正3 | 544 | 5129 |
大正4 | 544 | 5019 |
大正5 | 544 | 4978 |
大正9 | 922 | 4986 |
大正14 | 782 | 5037 |
昭和5 | 831 | 5513 |
昭和10 | 859 | 5645 |
昭和15 | 855 | 5603 |
昭和25 | 1109 | 7130 |
和木沢村は、阿武隈山系の中に位置し、交通の便にも恵まれていないため、立地条件からほとんどの家庭が農業を営む純農村だった。しかし晩年になると、商工業が進出してき始め、村の農家も副業を持つようになって来た。 村の基幹作目は、米と養蚕である。米は、冷害などで大凶作が起こることもしばしばあったが、農家経済を維持してきた。養蚕は古い歴史があり定着したが、数々の経済恐慌が発生している。しかし、人々の努力により、主産地を形成するまでいたった。
補完作目は、畜産、たばこである。畜産は、当時馬産を主にしていたため、あまり目立つものはなかったが、黒毛和種の導入後、飛躍的に増殖が見られた。酪農も発展し、蓄農村として伸展した。 たばこも、明治以来耕作されてきたが、面積に制約があった。しかし昭和28年ごろには、面積、人員共にアップし、農業収入の高割合を占めるようになった。(阿武隈高地地帯はなぜかたばこや養蚕がさかんである。)
当時鉄道は存在しなかった。現在は村内和田地区と糠沢地区に東北新幹線が通っているが、駅はない。一番近い駅は同市内の本宮駅。
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