別子銅山記念館
愛媛県新居浜市にある博物館 ウィキペディアから
愛媛県新居浜市にある博物館 ウィキペディアから
別子銅山記念館(べっしどうざんきねんかん)は、愛媛県新居浜市の山根公園に隣接する博物館。
別子銅山記念館 | |
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施設情報 | |
開館 | 1975年6月13日 |
所在地 |
〒792−0846 愛媛県新居浜市角野新田町3−13 |
位置 | 北緯33度55分17秒 東経133度18分34秒 |
プロジェクト:GLAM |
元禄年間から約280年もの長きにわたって日本の貿易・産業を支え、現在の住友グループの礎となり1973年(昭和48年)にその幕を閉じた別子銅山の歴史や技術を後世に伝えるために、1975年(昭和50年)に住友グループ各社が共同で設立した。
別子銅山のお膝下で、住友各社が生まれ今も主力工場が多く立地する愛媛県新居浜市の南部、山根地域にある。ここは市の平野部と山岳部の境界にあたり、付近はかつて銅山で働いていた従業員のための社宅や厚生施設などが集積した地である。現在は住宅や総合運動公園などが整備され、市民の生活・憩いの場として重要な位置づけをされている。
その山根の厚生施設跡に整備された山根公園の南部にある大山積神社の境内に記念館はあり、山の斜面を利用した半地下構造で屋根には1万本を越えるサツキが植えられており、周囲の景観を損ねることなく溶け込んだ雰囲気となっている。
館内は銅山や住友の歴史を紹介するコーナーや、銅山およびその周囲の地質などを鉱石・模型などを用いて説明するコーナー、当時の生活を紹介するコーナーなどの6コーナーで構成されており、単なる資料館の域を越えた立派な博物館として整備されている。また館外には明治期の近代化に一役買った日本初の山岳鉄道である鉱山列車「別子1号」や各車両の現物が展示されている。その充実した展示品、施設の保存維持管理には多額の経費がかかるであろうが、この記念館の入場料は無料であり住友グループの資金などにより運営されている。その点だけを見ても特異な施設であり、いかに住友各社が別子銅山を特別・重要なものとして意識しているかをうかがわせる。積極的な宣伝活動をしていないが、年間1万人以上が来館している。
ロビー正面に大鉑(昭和43年に奉献された最後のもので約300kgの鉱石を藁で飾り神輿にしたもの)を展示[1]、ついで次の6コーナーがある。
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