八丈小島のマレー糸状虫症
日本の八丈小島に存在した風土病 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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八丈小島のマレー糸状虫症(はちじょうこじまのマレーしじょうちゅうしょう)とは、伊豆諸島南部の八丈小島(東京都八丈町)にかつて存在したリンパ系フィラリア症を原因とする風土病である。この風土病は古くより八丈小島および隣接する八丈島では「バク」と呼ばれ[† 1]、島民たちの間で恐れられていた[1]。
本疾患の原因は、フィラリアの一種であるマレー糸状虫 Brugia malayi ICD-10(B74.1)[2]によるものであり、八丈小島は日本で唯一のマレー糸状虫症の流行地であった[3][4][5][6]。
フィラリアは、イヌの心臓に寄生する犬糸状虫 Dirofilaria immitisから、イヌの病気としても知られている。しかし、かつての日本国内ではヒトが発症するフィラリア症(以下、本記事で記述するフィラリア症はヒトに発症するものの意として扱う)のひとつバンクロフト糸状虫 Wuchereria bancrofti、ICD-10(B74.0)[2]による流行地が、北は青森県から南は沖縄県に至る広範囲に散在していた。特に九州南部から奄美・沖縄へかけての南西諸島一帯は、世界有数のフィラリア症流行地として世界の医学界で知られていた[7][8]。
日本におけるフィラリア症の防圧[† 2]・克服へ向けた本格的な研究は、1948年(昭和23年)から始まった東京大学付属伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)の佐々學による八丈小島でのフィールドワークと、それに続く同島での駆虫薬スパトニンを用いた臨床試験が端緒である。この八丈小島で得られた一連の治験[† 3]データや経験は、のちに続く愛媛県佐田岬半島、長崎県、鹿児島県、奄美、沖縄県各所での集団治療を経て、最終的に日本国内でのフィラリア症根絶へ向かう契機となる日本の公衆衛生史上重要な意義を持つものであった[9]。
そして、1977年(昭和52年)に沖縄県の宮古諸島および八重山諸島で治療が行われた患者を最後に、ヒトに感染するフィラリア症の日本国内での発生事例は確認されなくなった[10]。1988年(昭和63年)の沖縄県宮古保健所における根絶宣言により、日本は世界で初めてフィラリア症を根絶した国となった[11][12][13]。
ヒトに寄生して発症するフィラリア症はフィラリア虫の種類ごと世界各地に8種あるといわれ[14]、そのうち日本国内のフィラリア症はバンクロフト糸状虫によるものがほとんどであった。しかし、八丈小島のフィラリア症はバンクロフト糸状虫ではなく、東南アジアを中心とする地域で流行するマレー糸状虫によるものであり、これは日本国内では唯一の流行地であった。
本記事では、かつて八丈小島でバクと呼ばれて恐れられていたマレー糸状虫症と、その防圧の経緯について解説する。