佐伯敏子 (反核運動家)
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佐伯 敏子(さいき としこ[2][3]、1919年〈大正8年〉12月24日[4] - 2017年〈平成29年〉10月3日[5])は、日本の反核運動家[6]。
概要 さいき としこ 佐伯 敏子, 生誕 ...
さいき としこ 佐伯 敏子 | |
---|---|
![]() 戦前の次兄結婚時(詳細時期不明) | |
生誕 |
茂曾路 敏子 (1919-12-24) 1919年12月24日 ![]() |
死没 |
(2017-10-03) 2017年10月3日(97歳没) 広島県広島市 |
死因 | 心不全 |
住居 |
広島県広島市東区 (2016年8月5日時点[1]) |
国籍 |
![]() |
著名な実績 |
原爆供養塔の清掃活動 供養塔の遺骨の遺族の捜索 語り部としての反核・平和運動 |
影響を与えたもの | 堀川惠子、西村繁男、他 |
活動拠点 | 広島県広島市 |
配偶者 | あり(死別) |
子供 | 3人 |
受賞 | 広島市民賞(2005年) |
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広島市への原子爆弾投下による被爆者の1人。広島平和記念公園内で被爆者たちの遺骨を供養する原爆供養塔の清掃活動のボランティアを長年にわたって続けていたことから「原爆供養塔の守り人[1][7]」「ヒロシマの大母さん(おおかあさん)[8]」とも呼ばれる。反核運動・平和運動のための被爆証言活動にも挺身しており、その証言内容は平和教育の題材として広く活用されている[6]。旧姓は茂曾路(もそろ)。広島市安佐郡緑井村(現・安佐南区緑井)出身[9]。