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兵庫県伊丹市にあった城 ウィキペディアから
伊丹城(いたみじょう)は、摂津国川辺郡伊丹段丘有岡(現・兵庫県伊丹市)にあった日本の城。別名有岡城(在岡城)(ありおかじょう)[1]。国の史跡に指定されている。
南北朝時代、摂津国人の伊丹氏によって建築され、文明4年(1472年)に改築されるまでの伊丹城が日本最古の天守台を持つ平城となった。
しかし、天正2年11月15日(1574年11月28日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城した。
城の範囲は南北1.7km、東西0.8kmで南北に細長く、本丸は城の東側(現JR伊丹駅付近)に位置し、有岡城跡史跡公園となっている。明治時代の鉄道敷設のため、本丸東側の大半を失っている。防御の要所に3つの砦が配置され、北に「きしの砦」(現猪名野神社付近)、西に「上臈塚砦」(現墨染寺付近)、南に「鵯塚砦」が築かれていた[2]。
総構え(惣構)とは、周囲に堀と土塁をめぐらし、街屋敷や町屋を配置し、防御帯を設けた城郭構造[3]で、大坂城や江戸城などにもあった惣構えの最古(2005年現在)の遺構[4]が発掘された。城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。西側と南側は人工の堀を設け、東西0.8km、南北1.7kmもの総構えとなっている[3]。 総構えの構造は、荒木村重が大改修によって完成させた。織田信長の大軍による攻撃にも一年にわたって耐えるほど強固な構造であった[5]。
その後史跡公園として整備され、現在に至る。
など。
など。その他市内各地に遺構がある。
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