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中華全国総工会(中国語: 中华全国总工会 略称:全国総工会、全総。英語: All-China Federation of Trade Unions、"ACFTU")は、中華人民共和国における唯一の公式な全国規模の労働組合連合(ナショナルセンター)である。国際労働組合総連合には加盟していない。「中華人民共和国工会法」および「中国工会章程」の規定により、中華全国総工会は中華人民共和国の各級地方組合および産業組合に対する指導機関であり、中国大陸の31省級労働組合連合会と多数の産業労働組合連盟を擁している。中国共産党の指導下にある中華全国総工会は「中国人民政治協商会議に参加する人民団体」の一つであり、中華人民共和国民政部に社会団体として登記することは免除されている。
この項目「中華全国総工会」は翻訳されたばかりのものです。不自然あるいは曖昧な表現などが含まれる可能性があり、このままでは読みづらいかもしれません。(原文:中文版 "中华全国总工会" 2013年5月11日 (土) 11:11(UTC)) 修正、加筆に協力し、現在の表現をより自然な表現にして下さる方を求めています。ノートページや履歴も参照してください。(2013年8月) |
中華全国総工会の前身は、中国共産党に属し1921年8月11日に上海に本部を置いて結成された、中国労働組合書記部である。初代の総主任は張特立こと張国燾で、毛沢東は湖南省担当主任であった。1922年5月1日、中国労働組合書記部は広州で第1回全国労働大会を開催し、鄧中夏を書記に選出した。1925年5月1日、中国労働組合書記部は広州で第2回全国労働大会を開催し、中国労働組合書記部に代えて中華全国総工会を設立することを決定した。北伐軍が武漢を占領した後、本部を武漢に移転した。1927年6月、本部は国民党に閉鎖された。抗日戦争の時期には陝西・甘粛・寧夏辺区総工会および各抗日根拠地総工会が結成され、抗日戦争後の国共内戦の時期には辺区総工会及び各根拠地総工会を連合して解放区総工会とした。1948年8月1日、解放区総工会と国民党統治区工会はハルビンで第6回全国労働大会を共同開催し、中華全国総工会の再開を決定した。
全国労働大会は第7回より中国工会全国代表大会と改められた。
1978年10月に開催された中国工会第9回全国代表大会で「中国工会章程」を改定し、全国総工会を各地区労働組合組織および産業労働組合全国組織の最高指導機関であると規定した。
1992年(2001年修正)中華人民共和国工会法[1]。
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