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並木 弘(なみき ひろし[1] / ひろむ[要出典]、1841年11月28日(天保12年10月16日[2])– 1898年(明治31年)10月11日[1][2])は、明治期の篤農家、政治家。衆議院議員。
紀伊国牟婁郡安居村[3](和歌山県西牟婁郡三舞村[2]、日置川町を経て現白浜町)で、豪農、地士・並木貞蔵の長男として生まれる[2][3][4]。
若年から医業に従事し[3]、廃藩置県後に第七大区五小区(周参見組)副区長に就任し、さらに戸長となる[2]。養蚕業の奨励、植林を行い、三舞村と和歌山で牧場を経営し牛乳の普及を進めるなど、山間部での殖産に尽力した[2][3][4]。
1879年(明治12年)3月、初代和歌山県会議員に選出され[3]、1880年(明治13年)、1884年(明治17年)に再選された[2]。1886年(明治19年)11月に辞職し、和歌山県第二部衛生課長を務めた[2][5]。1888年(明治21年)8月、補欠選挙で県会議員に再選され1890年(明治23年)7月に辞職し、さらに1892年(明治25年)9月に県会議員に再選され、1894年(明治27年)3月の衆議院議員当選まで在任した[2]。県会議員に通算5期・11年4ヵ月在任し、この間、県会幹事、常置委員、副議長、議長を務め[3][4]、1881年(明治14年)政治団体の木国同友会が組織された際に幹事に就任した[2]。
1894年3月、第3回衆議院議員総選挙で和歌山県第3区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた[1][2][4]。
小柄のため県会議長席に座ると首から上しか見えなかったため、獄門議長のあだ名がついた[3]。
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