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1956年(昭和31年)に開館。市営の水族館だったが、クジラを模した捕鯨資料の展示施設「鯨館[3]」やエンペラーペンギンなど動物の一部は下関市に本拠を置いていた大洋漁業(現:マルハニチロ)の寄贈によるものだった。
日本で初めてイルカショーを開催したとされ[4]、1958年(昭和38年)には昭和天皇・皇后が来館した。
開館から1998年(平成10年)末までに約1700万人が訪れたという[4]。
本施設は老朽化が進んできたことから、1999年(平成11年)2月以降は唐戸地区にて後継施設となる下関市立しものせき水族館(海響館)の建設を開始し、同施設に移転する予定だった[5]。しかし本施設は「海響館」建設中の同年9月24日に山口県を襲った台風18号[5]の強風・高潮により施設全般が被災。電気設備冠水により水の循環が停止し、飼育していた約80%の魚類が死滅、残りの魚類も生育困難となったため、復旧を断念。自然界への放流や近隣の宮島水族館への譲渡が行われた[4]。この時点で事実上、海響館の開館を待たずして閉館状態となったが、翌2000年(平成12年)4月15日に正式閉館となり、その後は12月3日まで見学希望者への無料公開が行われた[4]。海響館は2001年(平成13年)4月1日に開館したが[5]、旧館から移された魚類は一部にとどまった。なお当館で飼育されていたゴマフアザラシは雌雄2頭(雄の「ハツオ」と雌の「マル」)が高潮により流失し行方不明になったが、「マル」は6日後(9月30日)に下関市細江町の岸壁で無事保護され[6]、「帰ってきたアザラシ」として話題になった[7]。
現在は、関見台公園(櫛崎城跡)に鯨館のみが残されており(ただし館内に立ち入ることは出来ない)、鯨館の近くには台風18号で死滅した魚類の慰霊碑がある。
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