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中国河南省の地級市 ウィキペディアから
三門峡市(さんもんきょうし)は、中華人民共和国河南省に位置する地級市。
洛陽の西方に位置し、隴海線沿線における重要な都市である。三門峡市は黄河最大の三門峡ダムが建設されている。三門峡の地名の由来は、伝説によると夏王朝の創始者の禹が神斧を用い、高山を切り開き鬼石と神石で河の流れを三つに分け、「人門」・「神門」・「鬼門」の三つの峡谷をつくったことによる。ギドロプロエクトの協力による三門峡ダム建設に伴い、神石と鬼石は堤防の基礎となった。三門峡下游河センターでは一つの巨大な石が河の中に直立し、黄河の猛烈な流れを受け止めている。数千年の長きにわたり倒れていないので、「砥柱山」と呼ばれ、中国の故事成語「中流砥柱」の語源となっている。
三門峡市は河南省の西部に位置し、河南省・山西省・陝西省の省境がある。三門峡市は東に洛陽市、南に南陽市と接する。
三門峡市の地勢は南西が高く、北東が低い。大体標高300から1500メートルの間に位置し、霊宝市にある老鴉岔の標高は2413.8メートルで、河南省で一番高いところである。三門峡市の総面積は10,496平方キロメートルでそのうち、山間部が54.8%、丘陵は36%、平原は9.2%を占めている。三門峡市の気候区分は内陸性気候に属し、年平均気温は13.2度、年平均日照時間は2354.3時間、平均日照率は51%、霜が降りない時期は184から218日、年平均降水量は550から800ミリである。黄河以外にも、洛河・弘農河・老灌河の三つの大きな川が流れており、多くの支流を持ち、黄河或いは長江の水系に属する。
紀元前21世紀から紀元前11世紀頃、夏・殷の支配の中心地域であり、時代が下り周の頃になると西虢に属した。春秋時代前半は西虢、後半は晋に属し、その後、韓・秦・魏の三国に分割支配された。秦の時代になると三川郡が設置された。前漢の時代には、河南府と改められ、武帝の時代には弘農郡が設置された。北魏の時代以降、明・清に至るまで一貫して陝州が設置された。日中戦争では1944年の京漢作戦によって日本軍に占領された。1957年3月国務院は省轄市として三門峡市の成立を認めたが、1962年には地轄県級市に改められた。1986年1月、国務院は地級市への昇格を認めた。
2市轄区・2県級市・2県を管轄下に置く。
三門峡市の交通は便利である。隴海鉄道、国道310号線(連雲港市—天水市)、国道209号線(フフホト市—北海市)といった交通幹線が市内を通る。
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