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三井山城(みいやまじょう)は、岐阜県各務原市三井山町にあった室町・戦国時代の日本の城。別名三井城。標高108.8mの三井山の山頂にある。
三井山城の築城時期は1482年(文明14年)の辺りとはっきりしてはいないが、1482年に美濃国守護、土岐成頼が室町幕府の御料所(直轄地)のある三井郷の年貢の取り立てを任された際に、在地領主として任命された、土岐氏の家臣であり、斎藤氏の一族で花村修理の子孫である三井弥市郎(三井弥一郎)[1]、もしくは土岐氏の土岐忠八郎が築城したといわれている。木曽川のほとりに程近いことから、古くから砦が築かれ、やがて山城となったようである。山頂に本丸があり、その下に三層の曲輪があったことが確認されている。
築城にあたり、三井山山頂にあった神社を山の下に遷座させたという文献がある。三井山町の御井神社と上中屋町の天神神社がそれにあたるという。御井神社はもともと本殿が山上にあったが、戦乱を避け山麓離れたところに遷座し、麓に池之宮を置いた。のちに御井神社は奥之宮を天守台に遷座しなおしたが、本殿は移さなかった。
1548年(天文17年)、美濃国守護職土岐氏と守護代斎藤氏との紛争の最中、尾張国の織田信秀に攻められ落城し、そのまま廃城となる。
三井山は公園として整備され、ハイキングコースもある。本丸址や曲輪、土塁も一部残っている。
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