病気を象徴する紋章竜の一例として、"Worshipful Society of Apothecaries" というロンドンの薬局による同業者組合の紋章が挙げられる。1617年に与えられたとされるこの紋章では、医療神としての側面を持つアポロが病気を象徴する竜を討伐している様子が描かれている。この竜は二足の鳥の足を持っており形状はワイバーンのそれだが、同組合はこれをドラゴンであるとしている[5]。
紋章記述において、翼のないワイバーンを "wyvern sans wings"、足のないワイバーンを "wyvern sans legs" と記録する。このような体の一部が欠けた図像はワイバーン特有の物ではなく、他の動物や怪物にも見られる。1609年にロンドン市のシェリフ[注釈 11]を務めたリチャード・ファーリントンの属するファーリントン家は翼のないワイバーンを紋章のクレストに使用していた[11][注釈 12]。翼のないワイバーンは、現代ではアメリカ陸軍において、第66機甲連隊(英語版)や後述する第41野砲兵連隊(英語版)の紋章に使用されている[12][13]。
多頭のワイバーンの図像も存在する。
スコットランドのパンミュレ伯爵(英語版)のマウル家の紋章は、胴体の前後から首が生えた火を噴く二足の竜をクレストとして採用しており、これは "a wyvern with two heads" という紋章記述によって表現される[14][注釈 13]。多頭のワイバーンの図像は、何か特殊な事柄を表現している場合がある。イギリス陸軍の最高司令官を務めたジョン・ウィルシー(英語版)の紋章には左右で青と赤に塗り分けられた双頭のワイバーンがクレストとして使用されている。彼の軍人としての経歴はデヴォンシャー・アンド・ドーセット連隊から始まったため、彼はワイバーンの双頭でデヴォンとドーセットを表現している[15]。アメリカ陸軍第41野砲兵連隊の紋章のクレストは多頭かつ翼のないワイバーンだが、この四つの頭は第二次大戦における連隊の "four spearhead attacks" を意味している[13]。
ワイバーンの下半身を魚のそれに置き換えた物をシーワイバーン、あるいはシードラゴンと呼ぶ。シーワイバーンは現在ウェストドーセットで、大紋章のクレストやサポーターなどに用いられている[注釈 14]。人魚やシーライオン等とは異なり、ワイバーンの場合は下半身を魚に置き換えても全体の輪郭は大きく変わらない。そのため紋章官にも区別がつかないことがあるのか、アイルランドのターフェ子爵(英語版)の紋章は "wyvern, or sea-dragon" という紋章記述で記録されている[17]。
イタリアの貴族ブスドラーギ家の紋章は頭巾を被った人面の二足の竜を用いている。この図像はイングランドでは "wyvern with a human face" と記録されたが、ワイバーンとドラゴンを区別しないイタリアではドラゴンと記録されている[18]。
前節までで述べた通りワイバーンは紋章学の中で発展した存在であるため、その起源となるような伝説や神話は存在しない。ワイバーンがいつ紋章学の中に限定されず想像上の怪物として扱われるようになったのかははっきりしていない。しかし傍証となる文献は残されている。Phillips (1678) による辞書には、当時ワイバーン[注釈 15]は紋章学以外の分野では殆ど知られていなかったと記されている。また、History of Durham は1700年以前に書かれたとされるソックバーンのワーム(英語版)という怪物についての写本を引用している。この写本中でワイバーンはこのワームの異名の一つとして用いられており、オックスフォード英語辞典はこれを「怪物としてのワイバーン」の初出文献であるとしている[2]。
ワイバーンと翼
History of Durham が引用する写本において、ソックバーンのワームが翼をもっているかどうか、あるいは飛行能力を有しているかどうかについては言及がない。時代が下って1835年の劇詩「パラケルスス」ではワイバーンは直接登場しないが、詩人アプリーレの霊によって「空を飛ぶワイバーン」が直喩に使用されており、この時代では飛行能力を有しているという認知が広がっていることがうかがえる。
ワイバーンと毒
History of Durham が引用する写本において、ソックバーンのワームは毒を持っているとされており、早期からワイバーンと毒との関連付けは行われていた。
また、時にワイバーンはその尾に毒を備えているとされるが、こうした特徴については「サソリの尾を持つ」という形で1854年の辞書で触れられている[注釈 16]。
原文は"Like the gryphon, the dragon has remained largely unaltered by heraldry, except perhaps for the extra pair of legs which it acquired in the fifteenth century, for which the heralds seem largely responsible. Earlier dragons have two legs, and are known as wyverns, and the four-legged simply as dragons."[10]。
フランシス・ドレークは世界一周の功により叙勲されたが、その際に自分はアッシュのドレーク家(英語版)の血族であり、その紋章を使用する資格があると虚偽の主張を行った。この主張はアッシュのドレーク家の長であるバーナード・ドレーク(英語版)卿の怒りを買い、"Worthies of Devon"によると王宮内での暴力事件にまで発展したとされる。エリザベス1世はこの問題を解決するためにアッシュのドレーク家の紋章とは別の紋章をフランシス・ドレークに与えた。本文中の「ドレークの紋章」とはフランシス・ドレークとバーナード・ドレークが使用権を争ったアッシュのドレーク家の紋章のことを示す。
原文は "The wyver, who becomes wyvern in the 16th century, and takes a new form under the care of inventive heralds, was in the middle ages a lizard-like dragon, generally with small wings."
マウル家の紋章は他にも様々な紋章記述で残されている。"dragon with two heads" とする文献や、"a wyvern, emerald, spouting fire before and behind" とする文献 (Kimber 1767) も存在する。後者を再現した図像は、口と尾両方の先端から炎を吐くワイバーンとして描かれている。
"Wyvern. An imaginary beast, invented by heralds, having the head and forepart of a dragon, with two legs only, the pointed tail of a scorpion, and winged."[19]
Ménestrier,Claude-François(1696),La Nouvelle méthode raisonnée du blason, pour l'apprendre d'une manière aisée, réduite en leçons par demandes et par réponses,Lyon: Chez J. Lions,pp.160,162
Newton,William(1846),Display of Heraldry,London:William Pickering,p.126,OCLC608732115
Vinycomb,John(1906),Fictitious and symbolic creatures in art with special reference to their use in British heraldry,London:Chapman and Hall,p.99,OCLC4166088