Loading AI tools
ウィキペディアから
『ローエングリン』(独: Lohengrin)は、リヒャルト・ワーグナーのオペラ。台本も作曲者によるもので、ローエングリンの伝説に基づき、10世紀前半のアントウェルペンを舞台とする。以降に作曲された楽劇(Musikdrama)に対し、ロマンティック・オペラと呼ばれる最後の作品である。第1幕、第3幕への各前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)など、独立して演奏される曲も人気の高いものが多い。
音楽・音声外部リンク | |
---|---|
ローエングリン全曲 | |
Wagner:Lohengrin, WWV 75(プレイリスト) - ポール・フライ(ローエングリン)、シェリル・ステューダー(エルザ)、ガブリエレ・シュナウト(オルトルート)、エッケハルト・ヴラシハ(テルラムント)、マンフレート・シェンク(Manfred Schenk、ハインリヒ王)、アイケ・ヴィルム・シュルテ(伝令)ほか、ペーター・シュナイダー指揮バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団の演奏、Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック |
初演は1850年8月28日、フランツ・リストの指揮によりヴァイマル宮廷劇場で行われた。
日本での初演は1932年12月18日、東京音楽学校秋季大演奏会でのクラウス・プリングスハイム指揮、ヘルマン・ヴーハープフェニッヒらの出演による演奏会形式のハイライト上演である[7]。
『東寶十年史』(1944年発行)の綜合年表86頁によれば、1940年12月4日に日本劇場でドイツのテノール歌手カール・ハルトマン出演、東京交響管弦楽団の演奏による上演が記録されているが、「一場」と書かれており、舞台形式による全曲演奏かは不明である[8]。
舞台形式による本格的な初演は1942年11月23日、東京歌舞伎座で行われた藤原歌劇団の公演とされている。演奏は東京交響楽団(現在の東京フィルハーモニー交響楽団。現在の同名の団体とは別)、指揮マンフレート・グルリット、主役のローエングリンは藤原義江が演じた[9]。堀内敬三訳の日本語訳詞で歌われたが、戦時中3時間を越える上演は禁止されていたため、内容を縮小して上演された。
演奏時間は最終決定稿で約3時間30分(各幕60分、80分、70分)。
フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ3(3番はイングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット3(3番はバスクラリネット持ち替え)、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ(第3幕で一時的に3人:2対と一個)、シンバル、トライアングル、タンブリン、ハープ、弦5部(14型)
舞台裏または舞台裏に吹奏楽のバンダ:フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、3オーボエ、3クラリネット、2ファゴット、3ホルン、12トランペット、4トロンボーン、中太鼓、ティンパニ(1個)、シンバル、トライアングル、ハープ、オルガン。
いわゆる史上最初の完全な三管編成であるが、これによって同じ楽器で同じ音色による三和音が単独で可能となる画期的な試みとなった。
なお、初稿では「ローエングリーンの名乗り」の後、5分程度の「グラール語り」が書かれたが、後に削除されていて、さらに実際の上演では、上述のギャラの協定によってもう5分程度カットされる。
イ長調。8分割されたヴァイオリンが奏する縹渺とした和音から始まり、聖杯を象徴する旋律が奏される。旋律は柔らかな管楽器に受け継がれ、次第に音程が低く、厚くなっていく。やがて啓示的なフォルティッシモの爆発に高まるが、再びもとの天空に戻っていくかのように消えていく。1853年にワーグナー自身が書いた解説によれば、この前奏曲は、天使の群れによって運ばれてきた聖杯が、まばゆいばかりの高みから降臨してくる印象である。
この前奏曲はオペラ中でも特に名高く、独立して演奏されることも多い。1851年にリストが発表した論文には「虹色の雲に反射する紺碧の波」と書かれている。1860年にパリでこの前奏曲を聴いたベルリオーズは「どの観点からしても驚嘆に値する」と述べた。また、1871年にはチャイコフスキーも「おそらくワーグナーの手による最も成功した、かつ最も霊感に満ちた作品」としている。下って1918年にはトーマス・マンが「存在するすべての音楽のうち、最もロマンティックな恩寵にあふれた前奏曲」だと述べている。マンは1949年にもこの前奏曲について触れ、「青と銀で輝く」と表現した。これらのうち、リストやマンが「青色」について言及している点は、イ長調の調性と色彩のイメージとの関連で興味深い。
木管の祈りにも似た清楚な旋律が次第に高揚していく。吹奏楽編曲による演奏がよく知られる。原曲は合唱が加わり、クライマックスでオルトルートの邪魔が入るが、演奏会では無事に明るく終わる。また、フランツ・リストによるピアノ編曲版(「タンホイザーとローエングリンからの2つの小品 S445」の2曲目)も存在する。
ト長調、三部形式。壮麗で演奏効果の高いこの曲は、『ヴァルキューレの騎行』などとともにワーグナーの代表的なオーケストラ・ピースとして独立してよく演奏される。またこの曲も吹奏楽編曲による演奏がよく行われる。演奏会用の場合、原曲の最後に「禁問の動機」が付け加えて奏されることも多く、あるいは『婚礼の合唱』が続けられることもある。
三部形式。いわゆる「ワーグナーの結婚行進曲」として、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』(『夏の夜の夢』の劇付随音楽から)と並んで名高い。しかし、オルガンなどに編曲されるのが一般的であるため、原曲が管弦楽付きの合唱で歌われることはあまり知られていない。
最後には主な登場人物のほとんどが去り、あるいは死んでしまうという悲劇的な展開は、当初から議論があった。特にローエングリンが去り、エルザが死ぬという結末については、1845年11月の友人たちを集めた朗読会でもすでに異論が出され、初演後の1851年にもアードルフ・シュタールによって批判を受けた。ワーグナーもこの点には葛藤があったらしく、批判を受けて、ローエングリンが去らずにエルザと結ばれる「ハッピーエンド」や、エルザもローエングリンとともに去る、といった案を検討したとされる。しかし結局どの案も採用には至らず、批判へのリストの反論もあって、結末が変わることはなかった。このことについて、のちにワーグナーはギリシア神話の「セメレとゼウス」を引き合いに出して釈明している[10]。ギリシア神話で人間の女であるセメレは、恋人ゼウスに対し神としての真の姿を見たいと願ったために、その願いを叶えたゼウスの雷に打たれて焼け死んでしまうのである。
リストは1848年からヴァイマル宮廷楽団の宮廷楽長の座にあった。ワーグナーより2歳年長のリストは、ワーグナーの音楽の紹介に努め、1849年5月に『タンホイザー』をヴァイマルで上演していた。同月にドレスデンの革命蜂起が失敗し、これに荷担していたワーグナーの逮捕状が出ると、リストはワーグナーのスイスへの出国に手を貸し、チューリヒでの亡命生活にも援助を惜しまなかった。
リストがヴァイマルで『ローエングリン』を初演指揮した直後、1850年9月2日付けのワーグナー宛の手紙には、「君の『ローエングリン』は始めから終わりまで崇高な作品だ。少なくないところで私は心底から涙を流したほどだ」と書いている。
2人の交友関係は、リストの弟子であったハンス・フォン・ビューローと結婚した娘コジマが、不倫関係の末にビューローと別れて、1870年にワーグナーと結婚したことでいったん絶縁状態となるが、1872年にはワーグナー夫妻の熱心な招きに応じたリストがバイロイトを訪問し、和解している。
『ローエングリン』の作曲当時、ワーグナーは革命運動に身を投じている。その理由には大きく2つ考えられている。一つは自作『さまよえるオランダ人』や『タンホイザー』がおざなりにしか受け容れられず、自分の音楽が理解されないことへの不満、もう一つはドレスデン歌劇場の仕事への不満からくる当時の体制への批判である。しかし、ワーグナーには政治的な革命思想はなく、のちにルートヴィヒ2世の庇護を受けたことからも明らかなように、むしろ王権の権威などについては積極的な支持者であった。このため、革命運動のさなかに、主導者たちと袂を分かって逃亡したともされる。このような経験は、エルザに受け入れられずに去っていくローエングリンの姿にも投影されていると考えられている。
『ローエングリン』は、ワーグナーのオペラの中でも人気が高く、一時期はもっとも演奏機会の多い作品となっていた。
1861年にミュンヘンで上演された『ローエングリン』を観て魅了されたのが、当時バイエルン王国の王太子だった15歳のルートヴィヒ2世である。ルートヴィヒは1864年に王位に就くとワーグナーを招聘し、ワーグナーの負債の全てを肩代わりするとともに、高額の援助金を支給した。またリンダーホーフ城内に『タンホイザー』ゆかりの「ヴェーヌスの洞窟」を作らせ、そこで楽士にオペラのさわりを演奏させ、自身はローエングリンの扮装をして船遊びを楽しんだ。ルートヴィヒが多額の国費を投じたノイシュヴァンシュタイン城(日本語に訳せば「新白鳥石城」)は、『タンホイザー』や『ローエングリン』をイメージして建設されている[11]。
アドルフ・ヒトラーもまた『ローエングリン』の熱狂的な愛好者だった。ヒトラー率いるナチス・ドイツは、ワーグナーの音楽を最大限に利用したが、とくに『ローエングリン』の第3幕でハインリヒ王による「ドイツの国土のためにドイツの剣をとれ!」の演説が、ドイツとゲルマン民族の国威発揚のためにあらゆる機会に利用された。このことがあってか、チャップリンによる映画作品、『独裁者』において主人公が地球儀をもて遊ぶ場面とラストシーンで第1幕への前奏曲が使われている[12][13]。
作曲家のピョートル・チャイコフスキーは、ワーグナーの諸作品の中で『ローエングリン』を特に高く評価していた[14]。チャイコフスキーのバレエ音楽『白鳥の湖』(1877年初演)は、白鳥が象徴的な意味を持つという共通点[14]やメロディの類似性[15][16]など、『ローエングリン』から受けた影響が指摘されている[14][15][16]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.