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ロシアのバレエダンサー、振付家、バレエ指導者 ウィキペディアから
スラミフィ・メッセレル(露: Сулами́фь Миха́йловна Мессере́р、1908年8月27日 - 2004年6月3日)は、ロシアのバレリーナ、振付家である。日本のクラシックバレエの基礎を築いた。
1908年8月27日モスクワ生まれ。兄・アサフ・メッセレル、姪・マイヤ・プリセツカヤ、甥がアザーリ・プリセツキーなど、バレエ一家に生まれる。
1926年、ボリショイバレエ学校卒業。同年、ボリショイ・バレエ団に入団し、兄とペアを組み『ドンキホーテ』、『パリの炎』、『バフチサライの泉』などの主役を踊った。また、教師として、姪のマイヤ・プリセツカヤも指導した。
1928年には水泳選手として、スパルタキアードに出場した。自由形50m1位、100m3位、4x100mリレー1位(ソ連邦新記録)
1960年、来日。チャイコフスキー記念東京バレエ学校で、2年間、日本人生徒を指導した[1]。その後、ロシアで本間陽子、ロンドンで熊川哲也やヴィヴィアナ・デュランテなど世界各地で後進を育成した。
2004年6月3日ロンドンにて死去。2005年、ロシアで、自伝『記憶の断片』がオリンピア・プレス(スラミフィ・メッセレル著 ISBN 5-94299-066-2)から出版された。
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