メイキング・ムーヴィーズ
ダイアー・ストレイツのアルバム ウィキペディアから
ダイアー・ストレイツのアルバム ウィキペディアから
『メイキング・ムーヴィーズ』(Making Movies)は、イギリスのロック・バンド、ダイアー・ストレイツが1980年に発表した3作目のスタジオ・アルバム。結成以来初のメンバー・チェンジを経て発表された。
『メイキング・ムーヴィーズ』 | ||||
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ダイアー・ストレイツ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1980年7月 - 8月 | |||
ジャンル | ロック、ルーツ・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル |
ヴァーティゴ ワーナー・ブラザース・レコード | |||
プロデュース | ジミー・アイオヴィン、マーク・ノップラー | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
ダイアー・ストレイツ アルバム 年表 | ||||
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1980年7月、ダイアー・ストレイツは本作のためのレコーディング・セッションに入るが、その途中でマーク・ノップラーの弟デヴッド・ノップラーがバンドを脱退した[9]。デヴィッドは当時のことについて「私が辞めたのは、もはやマークと私が同じバンドでやっていくのが無理だったからだ。私達はスタジオで、床に目をそむけながら歩いていたよ」と語っている[10]。ただし、デヴィッドが1983年に発表した初のソロ・アルバム『Release』には、マーク及びジョン・イルズリーもゲスト参加した[11]。また、本作にはEストリート・バンドのロイ・ビタンが参加している[9]。
本作リリース後のツアーにはハル・リンデス(ギター)とアラン・クラーク(キーボード)が参加し、バンドは5人編成となった。
全英アルバムチャートでは最高4位を記録し、251週にわたってチャート圏内に入るロング・ヒットとなった[3]。本作からシングル・カットされた「ロミオとジュリエット」は全英シングルチャートで8位に達し、その後「メイキング・ムーヴィー」は37位、「トンネル・オブ・ラヴ」は54位を記録している[12]。
アメリカではBillboard 200で19位に達し[8]、1981年4月にはRIAAによってゴールドディスクに認定されて、2001年7月にはプラチナディスクの認定を受けている[13]。また、「メイキング・ムーヴィー」はBillboard Hot 100で58位に達した[8]。
ノルウェーのアルバム・チャートでは18週連続でトップ10入りし、うち2週にわたって1位を獲得した[1]。ニュージーランドのアルバム・チャートでは最高3位を記録し、1980年12月7日から1983年7月10日までの約2年半にわたり連続でトップ50入りして、その後も度々トップ50に浮上するロング・ヒットとなった[2]。
Stephen Thomas Erlewineはオールミュージックにおいて5点満点中4.5点を付け「このレコードは、締め括りの"Les Boys"で息切れしてしまっているとはいえ、それを除けば『メイキング・ムーヴィーズ』はバンドの最高傑作に位置付けられる」と評している[14]。『ローリング・ストーン』誌が選出した「1980年代のベスト・アルバム100」では52位にランク・イン[15]。
特記なき楽曲はマーク・ノップラー作。
アディショナル・ミュージシャン
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