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ポロネーズ(仏: polonaise、波: polonez、伊: polacca)は、フランス語で「ポーランド風」の意であり、マズルカと並んでポーランド起源のダンスまたはそのための曲の形式(舞曲)である。テンポがゆっくりな4分の3拍子で、もとはポーランドの民族舞踊であったが、一つの様式となってヨーロッパで流行した。特にショパンの『ポロネーズ第6番』(通称「英雄ポロネーズ」、『ポロネーズ第3番』(通称「軍隊ポロネーズ」)が有名である。
映像外部リンク | |
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ポロネーズのダンスを視聴する | |
ZATAŃCZYLI POLONEZA NA DZIERŻONIOWSKIM RYNKU, YouTube (TELEWIZJA SUDECKA) | |
Polonez pokazowy Studniówka 2017 Zajazd u Dziadka - LO w Strzelcach Op. | POLONAISE - Polish dance, YouTube (mika filmujemy emocje) | |
Polonez. Turniej Tańca Towarzyskiego o Puchar Wieczystego 2013, YouTube (Fundacja Promocji Kultury) | |
ヤン・トウホの「ポロネーズ ウロチスティ」, YouTube (日本フォークダンス連盟) |
典型的なポロネーズは荘重でゆったりした4分の3拍子で、第1拍が16分音符で細分されているのが特徴であるが、初期のものは必ずしもこれに従わず、2拍子のものもある。現在のリズムが定着したのは古典派の時代である。ダンスは3拍目の最後に挨拶をして締めくくられるため、3拍目の初めの拍(弱拍)で終結する(女性終止)のが特徴である。
もとは民俗的なものでなく貴族の行進から始まったといわれ、16世紀後半にポーランド王国の宮廷で行われたという。スウェーデンの民族舞踊「ポルスカ(Polska:スウェーデン語で「ポーランドの」の意)にも似たものがあり、これはスウェーデン王を兼ねたポーランド王ジグムント3世の時代に始まるともいう。
その後、ヨーロッパ各国の宮廷に取り入れられ、フランス宮廷からポロネーズの名が広まった。また純器楽曲としても作曲され、初期のもので有名なものにJ.S.バッハの作品(ブランデンブルク協奏曲、フランス組曲、管弦楽組曲など)やヘンデルの合奏協奏曲集作品6の3の第4曲がある。さらにフランツ・クサーヴァー・モーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバー、シューベルトらも作曲した。また、舞曲ではない「ポロネーズ風」(伊: alla polacca)という表記を付けた曲も多く存在する(ベートーヴェン「三重協奏曲」終楽章など)。
ポーランド本国ではユゼフ・コズウォフスキ(Jozef Kosłowski, 1757年 - 1831年)、ミハウ・クレオファス・オギンスキ(Michał Ogiński, 1765年 - 1833年)、カロル・クルピンスキ(Karol Kurpiński, 1785年 - 1857年)らが民族的なポロネーズを作曲し、これらはショパンに影響を与えた。ショパン以後も、ユリウシュ・ザレンプスキやアレクサンデル・ザジツキなどが規模の大きなポロネーズを作曲している。また、ポーランド以外でもリストやチャイコフスキーなど多くの作曲家が作曲している。
1885年、大統領入場の際の音楽を『大統領万歳』から変えたかったアメリカ大統領チェスター・A・アーサーは、ジョン・フィリップ・スーザに新しい音楽の作曲を依頼した。スーザは翌年『大統領ポロネーズ』を完成したが、アーサー大統領は初演の前に亡くなった[1]。
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