フロントネー=ロアン=ロアン
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フロントネー=ロアン=ロアン (Frontenay-Rohan-Rohan)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ドゥー=セーヴル県のコミューン。かつてはフロントネー=ラバテュ(Frontenay-l'Abattu)といい、サントンジュに属する。
Frontenay-Rohan-Rohan | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ドゥー=セーヴル県 |
郡 (arrondissement) | ニオール郡 |
小郡 (canton) | フロントネー=ロアン=ロアン小郡 |
INSEEコード | 79130 |
郵便番号 | 79270 |
市長(任期) |
ベルナール・バロー (2015年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Niortais |
人口動態 | |
人口 |
2946人 (2013年) |
人口密度 | 87人/km2 |
住民の呼称 | Frontenaisiens |
地理 | |
座標 | 北緯46度15分20秒 西経0度32分19秒 |
標高 |
平均:m 最低:2m 最高:47m |
面積 | km2 |
公式サイト | www.frontenayrr.fr |
ニオールの人口集塊内にあるコミューンで、小郡庁がおかれ、商店や小学校、中学校がある。ポワトヴァン湿地に近接しており、ニオールから10kmほどの距離にあるため、快適な生活がもたらされている。旧ポワトゥー=シャラント地域圏の主要都市に素早く移動でき、ラ・ロシェルへはおよそ30分、ポワティエへはおよそ1時間である。旧地域圏北部の主要大学都市となっている、ラ・ロシェルおよびポワティエは、若いフロントネー住民をその高等教育で歓迎している。
中世に初めて名づけられた名はフロントネーであった。その後リュジニャン領主のものとなった。1242年にユーグ10世・ド・リュジニャンが、アルフォンス・ド・ポワティエとルイ9世の兄弟に対して反乱を起こしたとき、町は15日間にわたって包囲された後に王軍に陥落させられた。報復で、町を取り巻いていた城壁が壊され、町はフロントネー=ラバテュと呼ばれるようになった[1]。
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 | 2013年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1746 | 1813 | 2097 | 2450 | 2571 | 2653 | 3043 | 2946 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2004年以降INSEE[3][4]。
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