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パプアニューギニア領 ウィキペディアから
ビスマルク諸島(ビスマルクしょとう、ドイツ語: Bismarck-Archipel)は、太平洋、ニューギニア島沖にあるパプアニューギニア領の諸島。名前はドイツの宰相オットー・フォン・ビスマルクにちなむ。多くは火山島である。
ビスマルク諸島はビスマルク海を取り囲んでいる。主な島を州ごとに示すと以下のとおり。
ビスマルク諸島に人類が定住を始めたのは、約3万〜4万年前である[1]。ポリネシア、ミクロネシア東部、メラネシア島嶼部のオーストロネシア人の直接の祖先とされるラピタ人が到達し定住を始めた。
ヨーロッパ人で最初にこの諸島を発見したのはオランダ人航海者のウィレム・スホーテン 〈Willem Cornelisz Schouten〉で、1616年のことである。しかし、1884年にドイツ領になるまでヨーロッパ人は住んでいなかった。
1888年3月13日、リッター島で火山の噴火が発生した。この噴火により巨大な津波が引き起こされ、火山の大部分が崩壊して海に沈んだ。その結果、島には小さな火口湖が形成された[2]。
第一次世界大戦が勃発すると、1914年にオーストラリア軍が占領した。その後オーストラリアの委任統治領となり、途中第二次世界大戦での日本軍による占領をはさみ、1975年のパプアニューギニアの独立までオーストラリアの統治下にあった。
なお、第二次世界大戦中の1943年に日本国内で発行された国民学校初等科6年生向けの教科書「初等科国語 七」において、美しい島々に住む心優しき住民、ラバウルの大きな港などが紹介されている。
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