ここ最近、『作品の舞台は「○○工業大学付属○○高校がモデル」である旨の編集が繰り返しされていますが、原作者(きゆづきさとこ氏)が公式にそのことをアナウンスしていません。よってWikipediaにおいては記述すべきではないと思量します。例えきゆづき氏(原作者)によってその旨がアナウンスされたとしても、同校に在籍し、通学している学生ら、並びに通勤している教職員らのプライバシーや現実と作品上の設定での差異等を考慮するとWikipediaにおいては記述すべきではありません。--D.Bellwood 2007年5月1日 (火) 10:31 (UTC)
- このところ、特定のIPユーザーによってそのような記述がされています。本日、このような行為を『荒らし』として管理者伝言板の荒らし報告書へ通告を行いました。--D.Bellwood 2007年5月1日 (火) 10:31 (UTC)
先に発生した『作品の舞台』に関する編集合戦もどき(…単に私が独りで大騒ぎをしていただけかも知れません。冷静になってみると…)を理由としたのですが、もうひとつ理由があります。それは、編集合戦もどきが落ち着いた(件の書き込みを行っていたIPユーザーが3日間ブロック処分を受けた)後に、「その他の登場人物」節に宇佐美センセの人物紹介が書き込まれましたが、あまりにも冗長すぎる点とネタバレ記述が過剰なところからコメントアウト処理としていました。今回、(騒ぎから10日間以上経過したことと)記述をかなり絞った上でコメントアウト処理を解除しました。--D.Bellwood 2007年5月10日 (木) 02:06 (UTC)
宇佐美先生(宇佐美センセ)記述コメントアウトの件
- 『ネタバレ』についての認識が足りませんでした。これについては自分の非です。が、『不思議ちゃん』という人物評は違うのではないでしょうか?『言』が『行』に追いついていないというのが自分の見方です。メインキャラ達の部分は少し加筆しました。あと原作3月号『未来予想図Ⅱ』に校名がありましたので加筆しました--鷹羽相模守 2007年5月13日 (日) 04:49 (UTC)。
- 宇佐美先生関連の投稿をしていた者です。(上記もそうです)
- 新規にIPを取得して改めて参加しています。新参者ですが、原作の連載に合わせて記述を更新していきたいと考えています。指摘点あれば書き込み宜しくお願い致します--鷹羽相模守 2007年5月13日 (日) 04:49 (UTC)。
- 振り回しているのはせいぜいノダミキ位で他4人は該当しないのではないでしょうか?そのノダミキにしても振り回して手を焼かせているのは『爪を出す気のない鷹』(きららcarat2007年5月号)が印象ある位ですし、他でも『ノダ後日再提出』(きららcarat2006年11月号)は一部始終を見ていて冷静に突っ込んでいますし、『また来年』(きららcarat2007年3月号)ではあしらっています。ですので、『振り回されたり』とか『大喜利そのもの』という人物紹介は妥当とは思えません。削除はしていませんが、あの人物紹介についての見解を伺えると幸いです--鷹羽相模守 2007年5月13日 (日) 04:49 (UTC)。
- あの人物紹介にしたのは、外間先生ら教職員陣が揃って初登場したきららCarat2006年10月号でのストーリーの進行を典拠としています(生徒たちの提出する課題の評価をする様子)。キョージュ(既に提出済)やキサラギはともかく、トモカネやナミコさんまでもが脱線(別の言葉で言えばボケ回答)する点と、殿センセ(このときは名前の設定はなし)の台詞「素人芸人たちの大喜利を…」という点からとなります。--D.Bellwood 2007年5月13日 (日) 08:15 (UTC)
- 見解を伺い納得出来ました。新参者の知識不足に対し丁寧な対応ありがとうございました。GAは昨年9月の終わりに地元の大手書店の新刊コーナーで如ちゃんに惹かれたのと棺担ぎのクロ。~懐中旅話~できゆづきさとこ先生を知っていて、なおかつ好感を持っていたので事前知識無しの衝動買いをし、そこからハマり以降この作品目当てにきららcaratを買い続ける様になりました(現在はひだまりスケッチにもハマり、他数作品も目を通しています)。ただ10月号だけ抜け落ちていたので外間先生の案件は知るに至りませんでした。恥じるばかりです。ちなみに、2巻まで待てないので国立国会図書館に時間を作って行く事にします。ありがとうございました。--鷹羽相模守 2007年5月14日 (月) 11:31 (UTC)
- きららcarat2007年3月号の『未来予想図Ⅱ』に『彩井学園』と記述がありますので積極的に使用しました。読みは『あやい』と個人的には解釈していますが確定情報では無いので本文投稿には使用を控えました--鷹羽相模守 2007年5月13日 (日) 04:49 (UTC)。
- 先の編集合戦もどきの時に私が問題視していたのは、『舞台のモデル』と称して実在の学校名が数度にわたって書き込まれた件(しまいにはその学校のサイトへ外部リンクをかけるという有様)となります。--D.Bellwood 2007年5月13日 (日) 08:15 (UTC)
- 自分はノートを見て初めてその『編集合戦(もどき)事件』を知りました。詳細を知らないのですが、外部リンクはやりすぎですね。モデル校の案件についても前述の姿勢で良いと思いますので支持し、それに従います。作中の校名のルビ付けは原作に出るまで控えます。ちなみに宇佐美先生の所は彩井学園工大と記述したかったのですが作中は『工業大学(工大)』のみなので控えました。--鷹羽相模守 2007年5月14日 (月) 12:21 (UTC)
情報源が(「作者のきゆづきさとこは~」を除いて)明記されておらず、wikipedia:独自研究は載せないに抵触している可能性があります。また、「ひだまりスケッチ」といくつか共通点があるのは事実ですが、その漫画との比較がこの記事&百科事典で必要かどうかも疑問です。なお、記事「ひだまりスケッチ」に同様の記述はありません。--綾川ほとり 2007年10月4日 (木) 09:27 (UTC)
- うわー。こんな記述が1年近く放置されていたのですか…。どう見ても独自研究ですし、なにより原典が存在しない情報です。編集対応でざっくり削りましょう…。 --yfuruhata 2008年12月5日 (金) 04:01 (UTC)
以前からGA5人の主要登場人物の項目に「イメージカラー」についての記載があるのですが(具体的には2008年3月25日 (火) 04:38 (UTC)の版から記載され、2008年8月15日 (金) 04:26 (UTC)の版で現在の形になっています)、これは本当に必要な記述なのでしょうか。根拠となっているのは第1巻p16の記述と、色調が人物のイメージや役割に影響するという趣旨のキョージュの発言だと思うのですが、他の記述とはあまり統一されていないように思われます。気になったので、作中における各キャラクターと色を結びつける記述について調べてみました。
- 如月
- シアン(1巻p7、色彩戦隊)
- 淡色、ペールオレンジ(1巻p16、キョージュによるイメージ)
- 暖色系(1巻p50、野田によるイメージ)
- ペール、ライト(1巻p56、消費の激しい色)
- 青(1巻p87、カラーページ)
- イエロー(1巻裏表紙)
- 透明水彩、グレイッシュ・トーン(2巻p78、カラーページ)
- グリーン(アニメ版紹介囲い)
- キョージュ
- 白黒(1巻p7、色彩戦隊)
- 寒色系(1巻p50、野田によるイメージ)
- 黒(1巻p52、好きな色)
- 無彩色の黒(1巻p56、消費の激しい色)
- 茶、橙(1巻p88、カラーページ)
- 白黒(1巻p111)
- ブラック(1巻裏表紙)
- インク、ダーク・トーン(2巻p53、カラーページ)
- イエロー(アニメ版紹介囲い)
- 友兼
- レッド(1巻p7、色彩戦隊)
- 微暗色、ディープオレンジ(1巻p16、キョージュによるイメージ)
- 赤(1巻p39、カラーページ)
- 暖色系(1巻p50、野田によるイメージ)
- レッド(1巻裏表紙)
- 色鉛筆、ストロング・トーン(2巻p79、カラーページ)
- レッド(アニメ版紹介囲い)
- 奈三子
- イエロー(1巻p7、色彩戦隊)
- 中灰色・グレイッシュオレンジ(1巻p16、キョージュによるイメージ)
- 寒色系(1巻p50、野田によるイメージ)
- 緑(1巻p110、カラーページ)
- グリーン(1巻裏表紙)
- 油絵具、ダル・トーン(2巻p52、カラーページ)
- シアン(アニメ版紹介囲い)
- 野田
- マゼンタ(1巻p7、色彩戦隊)
- 純色、ビビットオレンジ(1巻p16、キョージュによるイメージ)
- 黄(1巻p40、カラーページ)
- 黄、紫(1巻p52、好きな色)
- 純色の黄、オレンジ、紫(1巻p56、消費の激しい色)
- オレンジ(1巻裏表紙)
- ポスターカラー、ビビッド・トーン(2巻p19、カラーページ)
- パステル、ペール・トーン(2巻p20、カラーページ)
- ブルー(アニメ版紹介囲い)
如月が淡い色使いを愛用していること、キョージュの黒への執着、野田の純色好きなどは比較的統一されて描かれているように思えます。ナミコさんはあまり統一されていないと感じます。トモカネは比較的赤系のイメージで統一されていますが、イメージカラー=赤と断定する出典がなく、また「微暗色」としたキョージュの分析はあまり作中に生かされていない気がします。個人的には、第1巻p16におけるキョージュの分析を根拠に「イメージカラー」として特記するのは不要な記述だと思われ、特に異論がなければ除去してしまおうと考えているのですが、どうでしょうか。--Kanohara 2009年5月22日 (金) 12:54 (UTC)
- イメージカラーの扱いは微妙だと思います。一応、色=イメージや特徴と言うのは作中に何度か出てはいるものの、確かに特記・表示するには弱いですね。除去しても問題ないと考えます。---t-forces 2009年5月22日 (金) 15:42 (UTC)
- 一応、如月・キョージュ・ノダについては1巻p52、
p59p56の内容を根拠にして本文に組み込む形にしてみました。「イメージカラー」としての記述は、このまま異論がなければ除去してしまおうかと思っています。--Kanohara 2009年5月23日 (土) 12:44 (UTC) ページ番号の誤りを修正--Kanohara 2009年5月27日 (水) 17:44 (UTC)
- まぁ、キョ-ジュ(大道雅)については納得です(ネタではありません)。他の如月、野田も「系統色名」なら、本文に組み込むことで差し支えなくなるかなと思います(他の2人はバラけているため難しい)。一応、確認ですが、根拠にするのは1巻のp52(「心理色」)、p56(「続 心理色」)ということですよね。---t-forces 2009年5月27日 (水) 10:31 (UTC)
- 「続・心理色」のページ番号についてはその通りです。失礼しました。さてキョージュによるイメージ(1巻p16)についても、本文に組み込む形で併記する手はあると思うのですが、その場合どのような文面にしようかと悩んでいるところです。もし書くとしたら「~を好み、人柄についても淡色系/純色系に例えられることがある」のような感じでしょうかね。--Kanohara 2009年5月27日 (水) 17:44 (UTC)
- そうですね... "黒い色を好み、明度が低く彩度の弱い寒色や暗色のイメージ"(1巻p50,2巻p52,p78,p91)あるいは"単色"といった感じですかね。---t-forces 2009年5月27日 (水) 19:12 (UTC)
- ううむ、そこまで書くとちょっと書きすぎかも知れませんね。色や作風から人物の特徴をあぶり出す描写は作中に頻出する描写だと思いますが、作品を語る上で不可欠な特徴とまでは言えないと思うので、記述した結果、くどくどしくて分かりにくい表現になってしまうくらいなら、ばっさり削ったほうが良いのかも知れず、悩みます。キョージュに限って言えば、第1巻p16では彼女について触れられていないことや、「心理色」での分析があまり的確とは言えないこともあるので、個人的には現在くらいの記述でよいと思っています。--Kanohara 2009年5月28日 (木) 14:38 (UTC)
(インデントを戻します)なるほど。でしたら、あえて加筆せず、現状維持と言うのも1つの手法かもしれませんね。如月や野田についても、割と本文に書かれていましたので、脚注(出典)を移動させるだけで済みますから、それもそれで良いかな。う~ん、なかなか、難しいですね。。---t-forces 2009年5月28日 (木) 15:31 (UTC)
( 報告)一応、「イメージカラー」としての記述の扱いについては異論が出ないようなので、記事から除去しました。如月とノダについては一応本文に組み込む形にすることを試みてみたのですが、あまりうまく纏められなかったと感じるので、他に文案がある方などあれば修正して頂ければと思います。もっとも積極的に残すべきとする意見も出ませんでしたし、この辺りは個人の判断でばっさり編集除去してしまっても構わないかも知れません。--Kanohara 2009年5月31日 (日) 12:58 (UTC)
キョ-ジュ(大道雅)の利き手について、原作を確認したところ、左手で主に作業する描写が右手に比べるとだいぶ少ないように思います(第1巻p4)。左手で作業ができることが必ずしも両利きというわけでないと思うので修正を考えましたが、もしかしたら私の方で見落としがあるやもしれないため、こちらで場を借りて確認をお願いしたいのですが。 ---t-forces 2009年6月4日 (木) 17:44 (UTC)
- これはどうなんでしょう。「GA材置き場」分や単行本化されていないエピソードは未確認なのですが、少なくとも単行本を確認する限り、作中で「両利き」であることを明示する台詞や描写は見当たらず、作画ミスの可能性もあるので(1巻p43-1コマにはトモカネが左手で絵筆を握っている描写があります)、もし単行本未収録のエピソードで「両利き」だと言及されていないのならWikipediaでは禁じられている独自研究に該当するようにも思えます。一応、こちらでも単行本でキョージュの握り手に関する描写を確認してみたところ、連載初期には一貫して左利きとして描写されている(1巻p4-6コマ、1巻p12-3コマ、1巻p17-1コマ)のですが、途中からは右利きとして描写されている(1巻p60-6コマ、1巻p64-5コマ、1巻p74-1コマ、2巻p15-2コマ、2巻p43-7コマ、2巻p73-4コマ、2巻p74-6コマ、2巻p75-7コマ、2巻p83-4コマ、2巻p109-7コマ)ように見受けられます。なお、他にも左手で髪留めを握っている描写(1巻p55-7コマ、2巻p13-7コマ)もあるのですが、これは利き腕の根拠としては微妙だと思います。
- 連載初期には左利きという設定もあったものの、「COMICぎゅっと!」の休刊などを挟んだことにより作者が設定を忘れてしまった、という解釈や、そこから想像を膨らませて両利きであるとする解釈も、作品のいちファンとしては興味深く感じるのですが、そのような作品解釈はWikipediaで扱う話題と言うよりは、ファンサイトや謎本で扱う範疇のようにも思えます(もちろん、謎本のような出版物で「両利きの可能性」に言及されるようなことがあれば、それを出典とすることは可能でしょう)。また、「両利き」とは断言せず「連載初期には左手で字や絵を描いているシーンもあった」という記述なら可能なのではないかとも考えてみたのですが、わざわざ特記することなのかどうかという問題もあり、判断が分かれる部分だと思えます。--Kanohara 2009年6月4日 (木) 21:23 (UTC)
- ひとまず、両利きおよび利き手に関する言及はないため、そのあたりはカットでしょうね(記事上では「両利きであると思われる。」とのことですし)。
- 残りの記述についてですが、例えば、キャラクターの特徴(個性)として「不思議な雰囲気を持つ。〜他の登場人物とは一線を画す存在。」(記事より抜粋)という文の中に、「字を書いたり絵を描いたりを右手で行うシーンと左手で行うシーンがある。」と加えるというのは。---t-forces 2009年6月5日 (金) 13:23 (UTC)
- うーん、左手で字を書くシーンが連載初期に偏っているという点が厄介だなあ、と感じています。既に作者が忘れている初期設定だとしたら、今後左手で筆記具や食器を持つシーンは描かれない上、「両利き」か「忘れられた設定」なのかということにも(作者が思い出さない限りは)言及されないだろうと思われます。一方でまた時期が偏っているゆえに「右手で行うシーンと左手で行うシーンがある」という記述も正確ではない気がしますし、今後左利きの描写がないとも言い切れないので「初期は左利き」のような記述も問題がありそうです。私としてはこれを「書いても良い」とも「書くべきではない」とも判断できないので、態度は保留としておきます。--Kanohara 2009年6月5日 (金) 14:23 (UTC)
- ( 報告) 書きようによっては使えそうな気がしますが、言及がない以上は活かせそうにない、まさに鶏肋ですね。
さて、そんな悩ましい記述ですが、ふっと何時頃書き加えられたのだろうかと最古の版から辿ってみたら、2009年4月3日 (金) 04:30と割と最近でした。記述もそのまんまで、あれっ?て感じです。古い記述が改変されたのなら悩ましいのですが、最初から推測込みの可能性が高そうなので現時点では取り除くことに。(ちなみに字を「かく」と絵を「かく」の漢字は、「書く」と「描く」で違うですがね…[編集に対して]) ---t-forces 2009年6月5日 (金) 17:33 (UTC)
水渕の解説文に新たに追加された恋人に関する表記について、出典元となっている原作単行本第3巻29頁『完熟色』で芦原たちの会話で話題にされている水渕がデートをしている校外の相手というのは、明確な表示はないものの恐らくエピソード時点で入学前だった如月のことだと思うのですが、それ以外に何か「如月ではない異性の交際相手」と確認出来る表記がありましたでしょうか。私には確認出来ませんでしたが、もしも個人的な思い込みや見落としであればと考えると未確認のままに削除するにも忍びなく、ひとまずこちらでご相談の上、複数の方の目により確認していただくのが無難であろうと思い書き込ませていただきました。--右門 2009年9月8日 (火) 07:53 (UTC)
- コメント 雑誌連載のときにも加筆されて、その後憶測であるとして除去された記述ですよね。この場面は額面通りに受け取ることもできますし、如月のことだと考えれば腑に落ちる描写でもありますし、一方の解釈を補完する描写がないためどちらとも受け取れる描写です。個人的には後者寄りの解釈で受け取りましたが、この解釈については作品に書かれていない情報を想像力や解釈で補う必要があるため、これを記述しようとすると「独自研究は載せない」というウィキペディアの基本的なルールに抵触します。悩ましいところです。個人的には「近所に幼馴染の彼氏がいるという噂があるが実際描写はなく、如月もそのことについては言及していない。真実かどうかは定かではない」的な回りくどい記述をするくらいなら、その後再び言及されるまで触れないようにした方が無難ではないかと考えます。とりあえず記事には{{要検証}}({{要出典}}ではなく)を追加しておきました。--Kanohara 2009年9月8日 (火) 14:31 (UTC)
- コメント 遅くなりましたが大変お手数をおかけしました。以前にも同様の内容が追加されたことがあったのですね。それではとりあえず、この件に関しては本編中で確認出来る描写のあるまで今後は触れずに置くと言うことで了解しました。個人では判断しかねる内容でしたのでご相談に伺いましたが、この手でなすべきだった手数までをお任せいたしましたようで、その点にも重ねてお礼申し上げます。--右門 2009年9月13日 (日) 05:51 (UTC)
ごちゃごちゃしていたのでPJ:COMICに基づいて、とりあえずGA1年を推敲しました(出典・注釈など付け方がよく分からなかったので、修正等ありましたらよろしくお願いします)。作中で一回程度しか言及されていない情報や書き文字で表現された情報などを主とした「重要でない情報」は、ただの知識自慢にすぎませんので、控えた方が良いでしょう。残りの人物は、あとで修正予定です。--駄ニメ 2009年12月27日 (日) 04:23 (UTC)
- 一応、間違えないようにrefタグを直したつもりですが、出典・注釈を出された方はチェックをお願いします。
- refタグを再修正するのは、大量になれば、かなり複雑な作業になってしまいますので、また修正・削除などをされる場合は慎重にお願いいたします。--Sonchou 2009年12月30日 (水) 17:20 (UTC)
- 冗長な記述が多いという問題は私も感じており、作品の理解に不要な(あるいは当初は重要な設定のようにも見えたが、後に生かされなかった)内容の整理や、もっと物語を俯瞰した視点からの内容の加筆といった、大幅な改稿の必要性は感じていました。まずは推敲を行った駄ニメさん、それから脚注の修正をして下さったSonchouさんの労力に感謝します。ただ、駄ニメさんの修正内容では私から見て重要に思える記述が除去されていたり、文章が省略されすぎていて分かりにくい部分があったり、さして重要とは思えない記述が残されていたりといった面もあるように感じられましたので、この機会にと私の方でも駄ニメさんの修正を踏まえた上で、記事の修正を行わせていただきました。
- なお駄ニメさんが改稿した内容では、単行本第1巻p3の人物紹介で使われているキャッチフレーズがほぼそのまま使用されているように見受けられます。これは読者が第1巻の最初のページをめくった時に最初に触れる内容であり、作者が伝えたい最も重要な情報であることは疑いがないのですが、それゆえにこのキャッチフレーズを記述の先頭に据え、それに大きく依存した説明になっていることは、引用の要件である主従関係を満たせるのだろうかという不安も感じます。このフレーズには独自の言い回しが使われており事実の列挙とは言いがたいように思われますし、引用箇所は鍵括弧で括られている訳でもありません。引用元は示されているので、もし私なら削除依頼にかけられても、グレーゾーン寄りの白として存続票に一票を投じますが、削除依頼ではこの程度の内容でも、(出所が明示されているにも関わらず)依頼が提出している例をよく見かけます。こうした内容は「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#文章を丸写しすること」にある「参照した文献にある内容を自分の文章でまとめなおす」という訓告に従い、独自研究にならない範囲で書き直すべきかと思い、一部記述を以前の版から復帰させるなどして修正を行いました。
- また、駄ニメさんはキャラクターの通称を定義の箇条書きの見出しに含める編集を行いましたが、カタカナ表記の「キサラギ」および「ノダミキ」はという愛称は、第1巻p3,p41および第3巻p2の人物紹介、アニメ版のOPEDでこそ使われているものの、作中では他の仲間から呼びかけられる場面がまったく存在せず、わずかに1巻p30(書き文字で「キサラギ画」)、2巻p19-20(自称「魔女っ娘ノダミキ」)、2巻p107(クラスメイトから「劇団ノダミキ」)などで限定的に使用されているに留まっています。アニメ公式サイトや関連出版物など作品外では多く使われており、無視できない程度には重要な情報だと思うものの、どう説明するか迷うところであり、省略して誤解を招くよりは、多少説明に紙幅を費やしたほうがベターであると考えます。この辺りは以前の記述内容や駄ニメさんの修正内容をある程度参考にした上で、現状を踏まえて記述を修正させて頂きました。--Kanohara 2009年12月31日 (木) 06:30 (UTC)
- 「キョージュに見えているもの」を修正しました。「霊魂の類だろうと判断できるコマ」をチェックしましたが、何であれで「霊魂の類だろうと判断できる」のか全く分かりません。話の流れからすればキョージュに見える「画」のような「何か」は、如月の感情イメージだと思います。なんで霊の類であるとする記述にこだわるのかも理解できませんが、キョージュに見えているが「霊」であると具体的に言及されなければ、「霊魂の類だろうと」私見で「判断」して記述するのは独自研究の類なので、霊の類等と記述するは避けるべきでしょう。
- ついでなので。Kanoharaさん宛。引用に関して何か誤解しておられるようですが、原文をそのまま引用する場合「」等で明確に区別する必要があるだけで、要約として引用する場合には出典を記述の直後に明示すれば「」は必要ありません。また、カタカナ表記については漫画単行本でもアニメ公式頁でも、そのように記載されていたからそのようにしたまでで、実際に使用されているかどうかについては判断の対象に入っていません。そもそも、あのカタカナ表記が「愛称」だという事を示す資料を当方は確認していません(「愛称」であるというのはどこから出てきた情報なのでしょうか?)。公式に「そのように表示されている情報」をそのまま書いて何が問題なんでしょうか? 実際に作中で彼女たちが「どう呼ばれているか?」は、公式に表示されている情報とは無関係だと思います(「人物紹介にあるカタカナ表記は愛称である」と決めつけているので関係あるように思えるだけです)。
- それと質問なんですが、単行本を元にする出典・注釈の「きゆづきさとこ (w, p, i). "はじめましてGA" GA 芸術科アートデザインクラス vol. 1, 41頁 (2006-10-12), 芳文社」といった書き方は、どこかで「そのように書かなくてはいけない」と決まっているんでしょうか? 書籍情報はちゃんと節になっていてWikipedia:出典を明記する#書誌情報の書き方(和書)通り提示されている以上、Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方の通り「コミックス1巻41頁」で情報は十分(ハーバード方式?)で、いちいち「きゆづきさとこ (w, p, i). "はじめましてGA" GA 芸術科アートデザインクラス vol. 1, 41頁 (2006-10-12), 芳文社」と書く必要はないと思うのですが。記述する側の自己満足に過ぎない気がします。--駄ニメ 2010年1月2日 (土) 14:47 (UTC)
改めて本文を確認しましたが、記述と出典が一致しない部分などが散見されますので再編集します。私見で性格等作中の表現(この部分修正)を判断する事は避けてください。それは独自研究です。--駄ニメ 2010年1月2日 (土) 15:15 (UTC)
- 出典の示し方については、項目を埋めるだけで出典に関する情報を漏れなく記述できるTemplate:Cite comicという便利なテンプレートがあるので、私はそれを利用しているに過ぎませんが、個人的には単行本からの情報なのか雑誌連載からの情報なのか、あるいは「GA材」ないしアニメまたはゲームからの情報なのかを区別できるような書き方であれば問題ないだろうとは思います。ただ、引用の要件については、削除依頼の議論を見る限りでは非常に厳しい判断をしておられる人もいて、例えば作中の台詞の引用については一時期多くの削除依頼が出されたと聞いていますし、削除依頼の審議には長い時間がかかることも多いのが実情です。削除依頼で議論を行うのは法律の専門家ではなく普通の人ですので、私は少々極端な主義主張の方や法律に疎い方が見ても隙がなさそうに見える書き方を心がけています。例えば、少なくとも他人から「脚注には単行本○巻○○ページが引用元と書いてあるが、この単行本とやらが誰によって書かれた何の作品の単行本なのかは書いていないので、これだけでは引用の要件を満たさない」などと突っ込まれて、議論を撹乱されたりしないようには注意しているつもりです。
- 個人的には、別にウィキペディアは原典から一字一句を正確に引き写した引用句集でなければならないとは考えていないので、駄ニメさんが難色を示して除去された記述の幾つかについては、ウィキペディアで禁じられているような独自研究には当たらない「情報を集めて整理する調査」や「分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」の範疇であり、「自分の言葉でまとめなおす」作業の範疇であると考えています。もし問題があるとお考えであれば、異なる解釈が存在することを示していただければと思います。
- キョージュに見えているものについては、他の4人の反応などを普通に読めば、特に解釈が分かれるような内容でもなく、少なくとも周囲にはお化けや幽霊の類として受け取られているものであると要約して問題ない内容であると考えています。それに「普通は見えない物」という表現はあまりに漠然としていて、記事の読者に何かを説明している文章にはならないと感じました。確かにまあ「実は周囲をからかって、霊が見えているフリをしているだけだった」「見えていたものは霊ではなく光学迷彩で隠れている宇宙人だった」「実は彼女は飛蚊症を煩っており、後に視力低下によって芸術の道を諦めるという展開への伏線だった」といったどんでん返しがないとは言い切れませんが、それはその時に「真相は違った」と加筆すればよいと考えます。ただ、根拠として挙げたコマに目を通したその上で、駄ニメさんにはキョージュに見えているものが霊魂以外である可能性に強い思い当たりがあると仰るのであれば、この記述は「他の人には見えない何物かが見えているかのような言動で周囲を怖がらせる」のような表現に言い換えた方が無難であるかも知れません。
- 如月のカタカナ表記が「愛称」なのか否かについては、まあ私は愛称の類だと思うのですが、3巻の人物紹介を見る限り、単なる「如月」の読み仮名表記に過ぎない可能性もあると考えています。なので先日の私の編集では「カタカナで表記される場合もある」として、カタカナ表記が愛称であるのか否かという言及を避けました。一方「ノダミキ」については作中で僅かながら自称・他称として使われている場面があり(2巻p19-20、2巻p107)、マイナーながらも愛称であると定義して問題ないと考えますが、気になるのでしたらこれも「表記」などと言い換えた方が良かったかも知れません。なお前の発言で述べたように、これが本編でまったく使われていない表現なら「作中で一回程度しか言及されていない、重要でない情報」として除去しても構わないのですが、一方でこの表記はアニメ公式サイト、ゲーム公式サイトなどでも広く流布している表現であり、何らかの言及は必要であると感じています。
- また単行本第1巻p3の人物紹介で使われているキャッチフレーズについては、鍵括弧よりも、記事が「主」で引用部分が「従」の関係になければならないという引用の要件や、引用の必然性があるか否かという部分で危ういものを感じます。この文章は作中から引用しなくても、記事として成立させることが可能ではないでしょうか?--Kanohara 2010年1月2日 (土) 18:29 (UTC)
- とりあえずKanoharaさんの編集は取り消させていただきました。
- まず一点。『「分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」の範疇』というのが私見に基づいています。「それはどうかな?」と思ったからこそ出典と記述が噛み合わない部分を除去したのであり、それをわざわざ『異なる解釈』を出して説明しなければならない必要性を感じません。必要だというのであれば、具体的に説明も出来ますので、説明を求める部分を提示してください。
- 次に、キャラクターに付いて、短く「そのもの」を説明できる文章があるのに、引用したそれを除去して、分かりやすいんだか分かりにくいだか判断が付けられない長々とした文章にして出典付きで説明しなければならない理由が不明です。また、いくつかの事実を合成して記述している部分や、言動等を都合良く解釈して記述に使っている点にも問題があると思われます。(例:『他の人には見えない何かが見えているかのような言動で周囲を怖がらせたりすることがあり[33]、ミキから宇宙人ではないかと疑われたり[34]、トモカネから自動人形ではないかと疑われたりしている[35]。』)--駄ニメ 2010年1月3日 (日) 00:34 (UTC)
- 駄ニメさんが独自研究や発表済みの情報の合成であるなどとして差し戻した内容は、私には何ら問題ない内容に思えます。どの辺りが「出典と噛み合わない」「都合良く解釈して記述」と思ったのかが私には疑問なのですが、そこまで仰るのでしたら、駄ニメさんが除去しようとしている記述に{{要検証範囲}}を貼り、検証を行うことにしましょう。私は根拠となる出典を脚注で示していますので、どの辺りが出典と噛み合わないと感じたのかを具体的に解説して頂ければと思います。言いがかりの類ではなく、私にも納得できる理由が示されれば、こちらでも修正いたします。
- それから作中に、端的にそのものを説明できる文章があるのになぜそれを使わないかという質問ですが、そりゃまあ、例えばアニメやゲーム作品の記事を執筆する際に、公式サイトの記述などを丸写しすることができたら、こんなに楽で正確なことはないでしょう。実際、ウィキペディアにはそうした記事を書いてしまう方も少なからずおられます。ですがそれは引用の範疇を超えており、ウィキペディアにおいては削除依頼の対象となるものです。何度も言いますが、引用部分を「短く「そのもの」を説明できる文章」として利用することは、引用部分が「主」となってしまうため、引用の要件である主従関係を満たすことができず、著作権侵害になる可能性があります。引用のガイドラインについては長い間「Wikipedia:引用のガイドライン/草案」で調整が行われており、なかなかガイドラインがまとまらないことを見ても、ウィキペディアにおける引用がデリケートな問題であることが伺えるかと思いますが、このガイドラインでは草案ながら、ウィキペディア上における引用の諸問題について多くのことが触れられています。本来、「Wikipedia:引用のガイドライン/草案#執筆は自分の言葉で」にもあるように、百科事典の執筆をする上で、作中の表現をそのまま、あるいは多少改変して使用しなければいけない場面はそれほど多くないはずなのです。私は駄ニメさんの編集については「引用箇所の内容を後に続く本文で詳しく説明するような体裁にも読めないことはないので、辛うじて主従関係が成り立ち、グレーゾーンではあるが削除依頼を出すほどではない」と考えていますが、これは渡る必要のない危うい橋を渡っているようにも見え、できれば引用が必要ない形に改めるべきであると考えています。
- とりあえず、これら単行本第1巻p3の人物紹介で使われているキャッチフレーズは、今回の編集では残しておきますが、これらの解説は、単行本であれば次ページから本編そのものが始まり、読者がその意味を確認することができる内容なのですが、作品を読んでいない人向けの解説としてはやや不親切にも思えます。例えばこの解説では、作中においては十分個性的なキャラクターとして描かれている如月のどの辺りが「平凡地味」であるのか、キョージュのどういった面が「フシギ」であるのか、読んだだけでは分からないのではないかと思います。第一、登場人物紹介もまた数百ページもある本の中で一度言及されたのみの「作中で一回程度しか言及されていない情報」に含まれるとも言え、整理の対象になるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
- 駄ニメさんの加筆内容についても一言言わせて頂きたく思います。駄ニメさんは2009年12月27日 (日) 09:08 (UTC)の編集において「私見や重要でない情報を除去」として様々な記述を除去した際に、如月の解説に「課題は好みからかファンシーな物になりがち」という一文を追加されました。もちろん、彼女が可愛い(≒ファンシーな)ものが好みであることには出典がありますし、プライベートではファンシーな絵を描いていることは、「素猫」に関するエピソードから窺い知ることができます。ですが授業の課題となる別で、如月の提出内容に関する描写がある第1巻p20,30,69,71、第2巻p5,7,9,49,71,85、第3巻p3,7,23,33,34,38,90,96,118などを見る限り、如月の課題内容を「ファンシー」であると形容できるような描写は限られており、「なりがち」とまでは言えないように思われます。これが駄ニメさんの私見ではなく、作中で一回程度しか言及されていない情報などでもなく、私が見落としたコマや作中外などにおいて「ファンシーなものになりがち」という設定が紹介されているということでしたら、提示していただきたく思います。もし有益な出典が示されれば、如月の人柄を端的に表している、価値のある情報だと思います。
- それと駄ニメさんは、トモカネの過去についての「~発散していたといい」「~発散していたと語っており」という文章を、作中でトモカネ自身の台詞として明言されている内容にも関わらず、「~発散していたらしく」という曖昧な表現に言い換えましたが、これはWikipedia:言葉を濁さないに反するため好ましくない表現に思えます。曖昧にしなければならない理由は何かあるのでしょうか? --Kanohara 2010年1月3日 (日) 17:12 (UTC)
- まず最初に。検証しようというのに先に「問題なし」として編集を加えるのは、例え「要出典」付きでも問題のある行為だと判断し、編集を取り消しました。
- 引用について:パロディモンタージュ事件の最高裁判例によれば『引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で自己の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない(いうべき)』(関連部分のみ一部抜粋)とあります。人物の分かりやすい紹介として単行本の人物紹介ページを引用し、その上で独自の引用部分より詳しい人物紹介をしている以上、引用の用件は満たしています。
- 人物紹介:どの辺りが「平凡地味」「フシギ」なのか、それをウィキペディア上で「分からなければいけない」理由はありません。ウィキペディアは「百科事典」であり、ファンページではないので「この辺が平凡地味」「この辺がフシギ」と説明しなくとも、「如月は平凡地味」と書いてれば「如月は平凡で地味なキャラだえる」と判断できます。PJ:COMICの「登場人物」にも『単な説明もあるとよい。詳細な説明(プロフィールなど)は、一般的には不要。』と明記されています。
- 当方の加筆について:例として「ファンシーになりがち」が出ていますが、「そうは思えない」のであれば編集を加えれば良いだけです。編集コメントに「確認したが『なりがち』とは言い切れない」と書いておけばいいのでは?(2巻頭の辺りの課題でソトマに「山口の個性は出てきた(うさぎ携帯)」、ウサミに「山口さんらしい発想(柔らかいマグカップ)」と言われているのは「ファンシーになりがち」を証明しているのでは?括弧内追記)
- トモカネの「発散」について:本人のセリフによる自己申告のみで実際の描写がないのと、日本語として「発散していたといい」では次文につながりが悪いので「らしく」と書き換えました。この点も「本人が語ってるじゃないか」というのでしたら編集すれば良いだけです。
- カタカナ表記について:本編で使用されていないのに必ず公式な人物紹介につきまとう事から考えれば、作者的な愛称であり作中で使われる彼女たちの愛称ではないと考えるのが妥当。しかし、それを示す出典がないので「そのまま書く」もしくは「書かない」のが正しいでしょう。わざわざ「カタカナで表記される場合もある」などと書くほどの意味はないと考える次第。
- 時々見せる天然ボケで云々:冒頭に「時々天然」と引用されているのだから同じを書く必要はないと考える。それに如月の天然にはすでに慣れている描写もあったと思うが。
- 本名を音読みした:ナミコさんが音読みして「マサ」と言っているとする出典がない。「ミヤビ」と読むと知らずに「マサ」と呼んでいただけかも知れない。
- 生真面目で:出典によると『マサって生真面目にズレてるよね』。「ズレかたが生真面目」だと言っているのであり、キョージュが生真面目な性格である言っているわけではない。セリフの意味を無視して一部を切り出して性格をねつ造するのは完全にアウト。
- あまり喜怒哀楽を表に出すことがない:寡黙とは一般的に口数が少なく物静かで表情が乏しい様を言います。喜怒哀楽を云々書かなくても寡黙で事足ります。引用文にも書いてあるし。
- 3巻80ページ2コマ目:あればナミコさんの持っている「キョージュ像」で公式設定(万人の持つ印象)かどうか不明。また、それを使わなくともキャラ紹介はできる。そういったハッキリしない情報を記述の頼りにするのは危険。
- しばしば友人たちの行動に興味を示し:作中に三回しかなく個別に出典を示さないとならない事が重要な特徴と言えるのか疑問。
- 他の人には見えない何かが:霊とは限らないし、怖がらせてもいない。
- 謎も多く:あくびしてるところやトイレに行くところを見た事がないとトモカネは言ってるけど、それって「謎」? 見た事がない、または知らないだけでしょ?
- ミキから宇宙人ではないかと〜:時々そう思ってるだけで別に疑ってるわけじゃないでしょ?
- トモカネから自動人形ではないかと〜:冗談を言ってるようにしか見えません。(キョージュのジョークに応えているだけ)
- 私服を着ていると男性に間違われるような容姿:自己申告はあるが実際に間違われている描写がないので書く必要があるほど重要とは思えない。
- 姉御肌で面倒見がよく:「姉御肌」ってさっぱりしていて面倒見が良い女性の事なので重複表現。引用文にも書いてある。
- 皆の「お姉さん」あるいは:引用文があるので不要。
- グループには欠かせない人物:いつもいるはずの人物がいなけりゃ誰だって寂しいと思いますが、その程度で「グループには欠かせない」と表現するのはどうでしょう?
- お祭り好きで/グループのムードメーカー:引用文に書いてある。
- 陽気で目立つ人柄をそのような色に例えられる場合も:流れでたまたまそういう話になった程度のことでしかない。普段から例えられているならともかく、標識の下りでは危険色にされてた気もするが?
- だいたいこんな感じです。--駄ニメ 2010年1月4日 (月) 00:58 (UTC)/一部追記--駄ニメ 2010年1月4日 (月) 02:08 (UTC)
- コメント 自分で「具体的に説明も出来ますので、説明を求める部分を提示してください」とノートでの議論を振りつつ記事を修正して、いざ説明を求めると今度は「検証しようとノートに誘っておいて本文を編集しちゃうのは問題では?」と掌を返して差し戻しを実行する、駄ニメさんの議論態度には釈然としないものも感じています。先月私と駄ニメさんの間で議論があった「ノート:かなめも」における、駄ニメさんの「推敲するのに具体的な案を出して他の記述参加者にお伺いを立てなければならないとは思いません」という発言とのダブルスタンダードのようにも思えます。まあ私が投稿した版は履歴から確認できるので、これを元に議論を進めることにしましょう。
- 引用について:その文脈によって「辛うじてグレーゾーンに留まっている」認識であることは私が既に述べたとおりです。その上で、これは危ういからやめたほうがいいと言っています。
- 人物紹介:分かるように書かなければ説明とは言えず、説明になっていないのでは百科事典とは言えません。PJ:COMICで求められているのは「簡単な説明」であって、決して「一応何か書いた」というアリバイではありません。駄ニメさんが不要であるとしたものは、PJ:COMICで挙げられている「プロフィールなど」の範疇ではないと思います。本当に不要な情報であるのなら、駄ニメさんが引用した「平凡地味」「フシギ」といった記述すらも不要であるはずです。
- 駄ニメさんの編集:「「そうは思えない」のであれば編集を加えれば良いだけです」「「本人が語ってるじゃないか」というのでしたら編集すれば良いだけです」と言いますが、そう言いながらも差し戻しているではありませんか。また2巻p7,9の記述は、このエピソードで描かれた生活用品の課題に限定して「可愛いものが好きな如月らしい好み」を反映していることの根拠となりますが、他の課題も同様の傾向があることを示す内容とは受け取りにくく思えますし、実際、このエピソード以外で描写されている他の課題は別段「ファンシー」なものには見えません。「~したこともある」と言い換えれば、この記述は出典に即した内容になると考えますが、作中で一回程度しか言及されていない情報は控えるべきだと最初に主張したのは、他ならぬ駄ニメさんであるはずです。
- 以前も述べましたが、「キサラギ」「ノダミキ」表記はアニメ公式サイトや関連出版物など作品外で多く使われており、無視できない程度には重要な情報だと考えます。しかし何の説明もなく併記したり、人物紹介もしくは作中と異なる表記をするよりも、多少説明に紙幅を費やしたほうが読者の混乱も少ないと考えます。「登場人物紹介では「キサラギ」とカタカナで表記される場合もある」「登場人物紹介では「ノダミキ」という表記も紹介されている」という記述自体は事実に基づくものであり、独自研究ではないでしょう。
- キャッチフレーズの引用だけでは説明不足であると考えたので加筆しました。「引用の上で独自の引用部分より詳しい人物紹介をしている」と主張するのであれば、この解説は必要であると考えます。天然ボケで周囲を驚かせている、という記述はアニメ公式サイトやゲーム公式サイトに使われている紹介文で言及されている内容であり、独自研究には当たりません。第1巻p48でも、ナミコは如月のボケに(p41では冷静にツッコミを入れているにも関わらず)驚いたと述べています。
- 「雅」という漢字の音読みがマサであることは辞書にも載っていることですし、雅と書いてマサとルビを振っている台詞もありますから(2巻p43ほか)、マサが雅の音読であることは「分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」だと思います。愛称であるか否かですが、3巻p80では「通称」であると書かれています。もし後から「ナミコさんは雅をミヤビと読むと知らなかった」という情報が出てきたなら、その時はそう加筆すればよいことです。
- 別に切り出しても切り出さなくても意味は変わらず、「セリフの意味を無視して一部を切り出して性格をねつ造」しているとは思いませんが、キョージュの生真面目さについてはp60など、物語全編の描写からも窺い知ることができます。
- 寡黙には表情に乏しいという意味もある、と駄ニメさんは仰いますが、手元の国語辞典ではそのような意味・用法を確認することができませんでした(参考→大辞林における「寡黙」の項目)。キョージュの無表情はただ物静かというだけでなく、それ自体エピソードのネタになる程の個性であり(第3巻p20)、彼女の特徴を説明する上で重要な情報であると考えます。なお「表情が乏しい」こと自体は独自研究ではなく、3巻p80に明記されています。
- 3巻p80の2コマ目には原作者に触れるメタフィクション的な記述もあり、「ナミコさんの持っているキョージュ像」であるとは思えません。作中で真実として描写されている内容であり出典としては問題ないと考えます。
- 3箇所では不足だというのなら、1巻p23,48、3巻p15,110も挙げましょう。繰り返し描写されている特徴であり、キョージュの不思議さを表している特徴だと考えます。少なくとも「作中で一回程度しか言及されていない情報」ではなく、整理の対象には思えません。
- いや十分怖がらせていると思いますが。
- 謎が多いこと自体はこのコマに限らず、多くの場面で描写されていると考えます。「謎が多い」と言ったのはミキであり、8コマ目を見ればミキの言う「謎」が宇宙人やロボットに関連した内容であることは、「分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」だと思います。トモカネの言う「あくび」「トイレ」も、キョージュが常人ではないことを疑っている台詞であると解釈できますし、そうでない解釈があると強弁する方が奇妙な主張に思えます。
- 何ら独自研究を挟まない言い換えであると考えます。
- 本気で疑っているかどうかは別に問題ではありません。そう表現されてしまうような人柄であることが重要な特徴なのです。淡々と作中の事実を説明しているに過ぎません。
- トモカネの容姿が少年のような見た目であることは、トモカネが登場する全てのコマで描写されていることですが、そこを「男の子のような外見」などと書いてしまうと「それは作者の絵柄で、意図せずそう見えるだけに過ぎず、独自研究である。私には十分かわいい女の子に見える」などと言われてしまうかも知れません。ですがこのページでは「男に間違えられる」ことが明言されています。このページを出典とすることで独自研究を挟まず、トモカネの容姿に言及することができます。
- 国語辞典ではそのような意味を確認することはできませんでした。我々は実際に作品を読んでいるから意味を正しく受け取ることができますが、そうでない方はドロンジョ様のようなキャラクターを連想するかも知れません。姉御といっても妖艶な女性であったり、不良っぽい女番町のような女性であったりする場合もあります。それに「引用の上で独自の引用部分より詳しい人物紹介をしている」と主張するのであれば、どのように姉御肌で、どのようにお姉さんであるのかについても触れなければならないでしょう。むしろもっと詳しく書く必要があります。
- 同上。
- いつもいるはずの人物がいなくなると寂しくなってしまうような間柄のグループである、という点で既に十分に一筆に値するエピソードだと思います。それにこの作品は「皆のボケにナミコさんがツッコミを入れる」ことが基本的な話の流れに組み込まれている作品だと感じますが、私個人の主観に頼らず「ツッコミ担当のナミコさんがいないと、このグループはうまく回らない」ことを説明するには、このエピソードを出典とするのが最良であると考えました。
- そもそも引用を主にしてキャラクターを説明すること自体に反対です。この場合は、騒々しい人物である、という特徴は一箇所にまとまっていた方がよいと判断しました。引用とは必要最低限でなければならないはずですが、本編最初のページを開けば書いてあるはずの第1巻p3のキャラクター紹介全文を律儀に引用し、全員分掲載しなければならない意義はあるのでしょうか?
- この記述が成立した経緯についてはこのノートの「#イメージカラーについての特記は必要か?」をご覧下さい。私は当初、この記述の存続については消極的だったのですが、アニメEDでも「ビタミンカラー」に関する言及がありますし、あっても良い記述なのではないかとも思っています。これらを踏まえた上で不要な記述であると仰るのでしたら、この点については特にこだわりません。
- ノダの説明における「お菓子作りが得意」など、作中さして重要でもなく描写回数も少ないように思える記述は残しつつも、個人的に重要に思える記述を除去する、駄ニメさんの基準が正直よく分からずにいます。「大きな眼鏡とポニーテール」のような体言止めも、ちゃんとした説明になっていないと考えます。文章量さえ減らせばよいという訳でもないでしょう。駄ニメさんの反論も聞かせていただければと思います。--Kanohara 2010年1月4日 (月) 04:42 (UTC)
- 引用について:「グレーゾーン」はKanoharaさんがそう思ってるだけです。ちゃんと「引用」の要件は満たしています。何の問題もありません。
- 人物紹介:「分かるように書かなければ説明にならない」という事ですが、「地味で天然」と書いてあれば、「このキャラクターは地味で天然なんだな」と分かります。「なぜ」地味で天然なのか?までは書く必要がありません。
- 編集について:誰かが編集を加えたら、差し戻したり再編集したりしてはいけない、と言うのですか? 「ファンシーンなりがち」については消されても復帰させた、という事はないはずですけど? ちゃんと「ファンシーになりがちとは言えない」ってコメントして編集すればいいのではないですか? 別に差し戻そうとか思ってませから。
- カタカナ表記について:なぜ公式な人物紹介にカタカナ表記が併記されているのか?の理由がわからないのに「無視できない程度には重要な情報」なのか理解できません。当方からすれば「毎回書いてある」以上の物ではありませんので、あってもなくても問題ありません。「場合もある」「紹介されている」程度でしかないのなら、書かなくとも何の問題もありません。独自研究云々ではなく、「書くほどの事はない情報」なので除去対象になるんです。書くならそのまま書く。余計な一言を書いて「書かなくても良いような些細な情報」にする必要もありません。
- キャッチフレーズの引用だけでは説明不足:単行本の人物紹介がキャッチフレーズかどうかは別として、公式情報にあるなら独自研究ではないでしょう。しかし、周囲を驚かせる描写が度々あるならともかく、実際にはそれほど驚かせてはないのでは? ナミコさんが驚いたのも如月がボケた事(がんばれあたしたち)ではなく、「GA」の意味を知らなかった事に驚いたように思えますが?
- 雅:通称でも愛称でも別にいいですが、分かっているのはナミコさんが「マサ」と呼んでいる事だけです。「なぜマサと呼ぶのか?」が分からないのに「雅」という漢字の音読みがマサであることは辞書にも載っていることですし、雅と書いてマサとルビを振っている台詞もありますから(2巻p43ほか)、マサが雅の音読であることは「分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」」として「音読みでマサと呼ぶ」と記述するのは完全に独自研究です。そう言う自分勝手な理屈を付けて作中で明らかではない事を説明・記述するのを独自研究と言うんです。当方は「雅」を「マサ」と読む事は否定していません。ナミコさんが「音読みでマサと呼ぶ」事を否定しています。
- 別に切り出しても切り出さなくても意味は変わらず:呆れて開いた口がふさがらない。「マサって生真面目にズレてるよね」が「マサって生真面目だよね」と言ってるのと同じだと思うのなら、もう少し日本語を勉強した方が良いでしょう。
- 寡黙:当方の主張は「寡黙とは一般的に口数が少なく物静かで表情が乏しい様を言います」。寡黙に「表情に乏しいという意味もある」などとは言ってません。「様」とは「様子」の事です。辞書に頼るより、やはりもう少し日本語を勉強していただけませんか? ちなみにですが、寡黙=表情に乏しいではないのは確かですが、寡黙な人が表情豊かな場合「寡黙だが表情豊か」といった風に表現されます。間をつなぐ「だが」がどんな意味を持つか、考えてみてください。
- 3巻p80の2コマ目:2コマ目と表現するのも変ですが、あれはナミコさんが「イラストレーションとは何か?」を説明するために用いている教材です。書いてある内容には何の保証もありません。出典には不適切です。(ナミコさんが説明に使用している以上、あれはナミコさんが持つキョージュのイメージです。ナミコさんが説明に使っているから、という以上の根拠はありませんが、少なくとも「メタフィクション的な記述(「設定ではあるが」辺り?)」がある事が実際にメタフィクションである事の証明にはならない。)
- 真似:p23は真似してるんじゃなくて実況してるだけでは?(真似とは関係ないが掃除中のはず(生真面目なはずでは?)。p48は真似ですね、タイトルからすれば。3巻15pは絵の真似。p110はどこが真似だか分かりません。「しばしば友人たちの行動に興味を示し」の出典としてはどうでしょう。友人じゃないのが混じってるし、「興味を示して」真似してるのかもハッキリしないし。女子高生辺りが何かの真似をするのはそんなに珍しい行動ではないので、キョージュのキャラクターを表す特徴とするには無理があると考えます。
- 十分怖がらせている:出典とされる4カ所全て「怖がってる」様には見えない。「驚いている」「引いている」辺り?
- 謎が多いこと:セリフに「謎が多い」とあった事=実際に謎が多い事にはなりません(ノダちゃんの感想でしかない)。解釈については「個人的な解釈」に過ぎず、ウィキペディアに記述する理由にはなり得ません。「個人的な解釈」は「異なる解釈」の可能性があるので、できる限り避けなければなりません。「分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」と唱えれば済むと思うのは止めた方が良いでしょう。
- 宇宙人:記述するほどの重要性を認めない。出典があるからと言って何でもかんでも書いていいわけではない。
- 自動人形:上に同じ。
- トモカネの容姿:実際に間違われている描写がないのに記述する必要があるとは思えない。全編で描写されている「トモカネの容姿が少年のような見た目であること」はキャラクターデザインの問題で、それをして「男と間違われる」事の根拠とはできない。デザイン的にスカート以外の女性的な部分(長い髪とかおっぱいとか)が排除されているのは確かだが、それなら「少年のような外見」で十分で、わざわざ「私服だと男に間違われる」と入れる必要があるか疑問。
- 姉御肌:辞書にちゃんと書いてありますが?
- ナミコさんがいない:つっこみがない事に不安を抱いていたノダちゃんとトモカネは、結局だいたいいつも通りの行動をしているようですが? なんであれ「いなくてはならない」は言い過ぎですね。
- キャラクター説明:あれほど分かりやすい説明をわざわざ使わない方が理解できません。長々と説明を書かなければいけない理由もありません。引用については既に説明した通り、ちゃんと要件を満たしています。
- イメージカラー:成立の経緯が問題なのではなく、実際に普段からそう例えられている訳ではないし危険色扱いされた事だってあるんだから、そういう誤解を招く記述はするべきではないので除去対象になります。
- 記述関連:推敲する場合、「残すべき」か「残す必要がない」かの判断に迷った場合、元の記述は残す事にしています。お菓子作りに関してはノダちゃんのセンスを表す可能性を考慮し、一応残しました。「大きな眼鏡とポニーテール」はそれが「特徴」とできるのか否かの判断の問題で、当方としては「漫画の記号」としての「特徴」ではあるものの、作中での如月の特徴といえるのかどうかに関しては疑問が残るので「特徴」部分のみ除去した次第。
- 当方の主な編集は、文章量を減らすのを目的としているのではありません。内容的に記述の要不要を判断し、ハッキリしない事や独自研究に類する部分を除去したり、足りない部分があれば書き足したりします。そういった作業の事を「推敲」と言うのです。--駄ニメ 2010年1月5日 (火) 03:10 (UTC)
(インデント戻します)昨年末にネット書店で注文していたオフィシャルムック「GA 芸術科アートデザインクラス TVアニメビジュアルガイドブック」(きゆづきさとこ原作/まんがタイムきらら編、ISBN 978-4-8322-7871-4)が先程届きました。いま読んでいるところですが、例えばキョージュに見えているものが「霊」であることが明言されていますし、彼女が如月やミキの行動を真似るのが「実は好奇心旺盛な性格」の例として挙げられているなど(それぞれp40より)、本議題で出されている疑問点の幾つかには明確な回答を出せるように思えます。後ほど整理してまとめます。--Kanohara 2010年1月6日 (水) 05:41 (UTC)
- それは良かったですね。例に挙げられている2点については原典である漫画やアニメでは「はっきりとは分からない事」なので、本文に記述するのではなく、脚注機能を利用して「TVアニメビジュアルガイドブックによると」と注釈を使って記述するのが良いでしょう。それと、内容は正確に。「ナミコさんが「マサ」と呼ぶ」と「「雅」という字は「マサ」と読む(ことは明白)」を合成して「ナミコさんは雅を音読みして「マサ」と呼ぶ」と言った独自研究にならないようにお願いします。--駄ニメ 2010年1月7日 (木) 01:20 (UTC)
- コメント 「マサ」については、やはり「アニメビジュアルガイドブック」p40に「名前をもじった」呼び名であるという言及があります。これで「本名とは別の由来があるのではないか?」という懸念はなくなったと考えます。読者や編集者の中には「マサ」が正しい読みだと誤解している方もいるようなので、この呼び名に関する何らかの補足は記事内に必要だと考えますが、アニメビジュアルガイドブックの解説をもってしても「本名をもじる=本名を音読みする」ではない可能性がある、という指摘があるようなら、出典に即して「奈三子からは本名をもじって「マサ」という通称で呼ばれている」でも構わないと考えています。
- 「アニメビジュアルガイドブック」を読み進めていくと、「この人物は皆の前ではこういうキャラとして振舞っているけど、実は内面は違っている」的な裏話や新事実、その他作中からは読み取れなかったり、読み取れても独自研究になってしまうため掲載できなかった情報があれこれ出てきて、現在の記事についてはかなり大掛かりな修正が必要なのではないかと感じています。少なくとも事実ではないと否定された情報の修正については、本議論よりも優先して取り掛からせてもらいますが、どこから手をつければよいのやら悩んでいます。--Kanohara 2010年1月7日 (木) 11:01 (UTC)
- まず一点。出典のMOOKですがタイトルを見る限り「TVアニメビジュアルガイドブック」でありオフィシャルなものかどうかが不明なのですが、内容等は別として「公式な物」なのかどうかの確認をお願いします。公式な物であった場合は問題ないのですが、公式ではない場合は(アニメ雑誌の記事のように)編集部が勝手な事を言ってるだけ、という場合があるので注意してください(制作のスタッフの発言等は問題はありませんので、裏話や新事実はスタッフの発言に頼るべきでしょう)。また、「アニメ」のMOOKなので原作でもそうなのか不明なので、その点も注意をお願いします(本文の記述の補足説明として「アニメビジュアルブックでは」と注釈するのが良いかも知れません)。
- MOOKに「マサ」が「名前をもじった呼び名である」と書いてあるのでしたら、「ナミコは名前をもじってマサと呼ぶ」とだけ記述してください。「雅はマサと読むから」とかいう説明を加える必要はありません。『「独自研究(original research)」とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です』から、余計な事を付け加えずにそのまま書くようにお願いします。--駄ニメ 2010年1月7日 (木) 11:48 (UTC)/追記:誤解で間違った編集をされた場合は「それは違う」とコメントして差し戻せばいいだけなので、誤解をしている人に対する配慮は、(出典があるので)する必要はないでしょう。(「みやび」については2巻の「えがいてあそぼ」に書いてあるので、「2巻の『えがいてあそぼ』を確認する事」とコメントすれば相手も分かるでしょう)--駄ニメ 2010年1月7日 (木) 11:56 (UTC)
- 「TVアニメビジュアルガイドブック」の著者名義は「きゆづきさとこ原作/まんがタイムきらら編」になっています。各キャラクター記事には無署名のライターによる人物解説、アニメ版キャラクターデザインの渡辺敦子による解説、原作者きゆづきさとこによる解説、役を演じた声優によるインタビューが掲載されています。原作者によれば、キャラクターデザインの渡辺敦子とは親密に設定のやり取りをしたとのことで、この方による一歩踏み込んだキャラクター解釈などは十分に信頼できる情報であると考えます。登場人物以外の記事については無署名のライターによるアニメ版の各話解説、スタッフ(桜井弘明監督、待田堂子、渡辺敦子、原作者きゆづきさとこ)のインタビュー記事、漫画の登場人物がアニメについて語るメタフィクション的な描き下ろし漫画、あと「まんがタイムきららキャラット」からの再掲として、シバユウスケによる「チェルシー」の登場人物を用いた制作現場・アフレコ現場のレポート漫画(原作者へのインタビューを含む)などが掲載されています。
- 私と駄ニメさんの間には「信頼できる情報源」の定義について大きな見解の相違があると把握していますが、私としてはこのムックが漫画の掲載誌であるまんがタイムきらら編集部の名義で編集されており、芳文社から出版され、数多くのページで原作者によるコメントが紹介されていることから、無署名の記事であっても原作者による査読が入っていないとは考えにくく、仮に入っていないとしても、信頼できる出版社から発行された信頼に値する二次情報源として取り扱っても問題ないだろうと考えています。
- さて出典の表現をそのまま借りれてこれば、独自研究にならないようにするのは容易なのですが、このムックにおいて人物の特徴としてピックアップされている事柄については本記事との相違が少ないので、これを出典としてそのまま引用すると、細部の表現を少し変えただけの全文転載になってしまうのではないかと心配していたりもします。--Kanohara 2010年1月7日 (木) 14:07 (UTC)
- 無記名の解説以外は出典として申し分ないと思います。しかし、無記名分も「編集部名義で原作の出版社で原作者のコメントが多く入っている」事から「信頼できる」と評価するのは問題があると考えます(今回とは多少異なりますが「ガンセン」の例を考えてみてください)。Kanoharaさん的には「そういう本に原作者の査読が入ってないはずがない」なんでしょうが、「(そういったMOOKの)原稿を原作者(または関係者)が必ずチェックしている」という話は当方聞いた事がありません。記述する場合には「アニメガイドブックによると」が必要でしょう。--駄ニメ 2010年1月7日 (木) 23:48 (UTC)
- コメント 記述が一次資料(原作)ではなくガイドブックに基づいていることは、現状のように脚注機能を利用して出典を示すことで十分に伝わると考えます。まあ確かに、作中の情報と矛盾するような内容や、別の文献では異なる解説がされている内容、本編からはまったく読み取ることができない裏設定に属する内容であれば断り書きもあった方がよいと思いますが、例えば「奈三子からはマサという通称で呼ばれている。本編および原作者からはこの通称の由来は説明されていないが、関連書籍「GA 芸術科アートデザインクラス TVアニメビジュアルガイドブック」には、この呼び名は本名をもじったものであるという解説がなされている」のようなくどくどしい記述は不要でしょう。「奈三子からは本名をもじった[1]マサという通称で呼ばれている」のような記述で十分かと。
- 駄ニメさんが、二次情報源よりも一次情報源を重んじる主義であることは存じていますが、ウィキペディアでは真実かどうかよりも検証可能かどうかが重要視され、一次情報源よりも二次情報源を記事の参照先として依存することが求められています。ムックの解説と原作から読み取れる内容に大きな相違がない場合は、脚注で十分でしょう。--Kanohara 2010年1月8日 (金) 09:47 (UTC)
- 『「奈三子からはマサという通称で呼ばれている。本編および原作者からはこの通称の由来は説明されていないが、関連書籍「GA 芸術科アートデザインクラス TVアニメビジュアルガイドブック」には、この呼び名は本名をもじったものであるという解説がなされている」のようなくどくどしい記述は不要でしょう。「奈三子からは本名をもじった[1]マサという通称で呼ばれている」のような記述で十分かと。』ではなく、「奈三子からは「マサ」と呼ばれている」で十分です。原作者があえて「もじっている」と言っているならともかく、そもそも「通称」とは『正式ではないが世間一般で呼ばれている名称(デジタル大辞泉)』ですから実際には「通称」ではない(別件だが、この点からも3巻80pがナミコさんの主観に基づいた解説であると判断できる)ので「MOOKに書かれている→出典がある→記述しても良い」という判断はするべきではなく、また出典がある事を理由に「奈三子からは「マサ」と呼ばれている」で済む記述を『奈三子からは本名をもじった[1]マサという通称で呼ばれている』と日本語としてとして正確でない(「通称」ではなくナミコさん的には「愛称」でしょうね、たぶん)くどい表現にする必要はないでしょう。Kanoharaさんが出典至上主義であるとまでは言う気はありませんが、「書くべき事、書いてもいい事、書かなくていい事」(本件は「事実であっても特に重要ではない情報」なので「書かなくていい事」に含まれる)を、もう少し考えてください(「詳しく説明しなければ知らない利用者には分からない」といった事をKanoharaさんは主張していましたが、知らない利用者だってそんなに馬鹿ではありません)。
- Wikipedia:検証可能性に依れば「真実かどうかより検証可能かどうかが重要」であるのはその通りですが、「出典があるからと言って何でもかんでも記述して良い」という話にはなりません。「ムックの解説と原作から読み取れる内容に大きな相違がない場合」は確かに問題はないと思われますが、その判断基準が正確とは言い切れません。Kanoharaさん的には「相違なし」でも当方からすれば「?」な可能性もあります。「キョージュに見えている物」で意見が分かれたのが良い例です。「キョージュに見えている物」についてMOOKになんと書かれているかは書店ではシュリンクされていて確認できない上に当方購入予定がないので実際の検証はできませんが、その例に限らず、記述が「原作者やスタッフの証言」を元にしているか、それとも「編集者が(勝手に)書いた解説」なのかは、記述の正確性に掛かる問題であるので、情報としてはキッチリ分けるべきでしょう。--駄ニメ 2010年1月10日 (日) 01:35 (UTC)
- コメント 駄ニメさんの主張は、「マサ」は愛称ではない可能性があり愛称だと断定されていない限りは独自研究、という趣旨ものだったはずで、その意見に一理あると考えたからこそ、作中の表現を用いた上で、記述の根拠となる出典を追加して「通称」であると記述しました。仮に3巻p80の内容が駄ニメさんの言うように奈三子の主観に基づいた解説であるのなら、「マサ」という呼び名を使っている本人が「通称」だと言っているのですから通称に間違いないでしょうし、これが私が考えるように作者の設定であるとしても、作者が「通称」だと言っているのですから作中内で事実とされていることに間違いありません。現在でこそ作中で雅を「マサ」と呼ぶのは奈三子とその母だけですが、例えば雅が中学生だった頃には広く通った「通称」であったという可能性も否定できません。ただし「マサ」が「愛称」であると断定することに反対していた駄ニメさんが、その後の情報の提示によって「通称でも愛称でもよい」と考え直したということであれば、私は反対しません。
- また駄ニメさんは「もじっている」という説明は不要だと仰いましたが、私はその説明では不足であり加筆が必要だと考えました。「足りない部分があれば書き足したり」するのも推敲であるというのは、駄ニメさん自身が2010年1月5日 (火) 03:10 (UTC)の発言で仰った通りです。私は以前の記述には説明が足りないと判断し、この記述を追加しました。現時点では「もじっている」「霊が見える」といった記述にはきちんと出典が示されており、出典の信頼性を疑わせるような証拠は何もなく「もしかしたらそうでない可能性があるかも知れない」といった駄ニメさんの主張は何の証拠もない独自研究です。特別な主張には特別な証拠が求められます。それに、たとえ「本名をもじった通称」という「事実とされていること」が、作者が考えていた真実と異なっていて、これが将来的に作品の理解を大きく妨げるような事態を読者にもたらすようなことが起こったとしても、ウィキペディアでは事実が本当に真実であるかどうかは重要視されておらず、そうした見解を述べる権限が与えられていない我々が、あれこれと気を回すことではありません。この記述が作者の発言や作中の表現を基にした記述でないことは、脚注によって示されており、読者は脚注を見た上で、その情報が信頼できるか否かを判断できるようになっています。駄ニメさんが言うように、利用者だってそんなに愚かではないでしょう。--Kanohara 2010年1月10日 (日) 23:21 (UTC)
(インデント戻し)当初の問題点は「『マサ』が何なのか分からない」でしたが、現在の「もじって呼ぶ」に関しては「記述する必要のない些細な情報」です。「もじって呼ぶ」事に深い意味がある(なんらかの理由でもじって呼んでいる場合)のであれば「必要な情報」でしょうが、単純に「もじって呼んでいる」だけなら、「もじって呼ぶ」事自体に意味はなく説明にもなりません。「通称」関しては前述の通り「イラストレーションとは何か?」の教材として使われたアイテム以上の意味があるという事を示す情報がありませんので、Kanoharaさんの主張はKanoharaさんの想像以上の物にはなり得ません。「記述したいがために自分に都合の良い推測で主張をしている」とまでは言いませんが、「用語の解説のために登場した教材に書かれた情報」に、「ウィキペディアでは真実であるかどうかは重要視されていない」と理屈を付けるのはさすがに無理があります。「出典があるから」と理由で記述するのであれば、ここは「奈三子からは本名をもじった[32]「マサ」という通称[33]で呼ばれている。」ではなく「奈三子からは本名をもじって[32]「マサ」と呼ばれている。」程度が妥当でしょう。それと、当方は「通称でも愛称でも別にいいですが」と2010年1月5日 (火) 03:10 (UTC)にすでに言っています。重要なのは「ナミコさんがマサと呼ぶ」事だけです。
また、「もじって」「霊が見える」に関しては、出典情報を見る限り、作者を含むスタッフの公式な情報ではなく無記名執筆者によるキャラ紹介ですから、公式な情報とは一線を画す必要があるでしょう(出典情報で公式情報と編集部情報が分けられている点で解消されているので問題なし)。それと、どうでもいい事ですが、Kanoharaさんが霊が見えている証拠としたコマですが、仮に見えているのが霊とすると、2p前の「地獄」のように如月の魂が抜け出ているのが見えていると思いますが、友達(親友?)の魂が抜け出てるのを見て、ぱっぱと手で払って画じゃないのを確認するのは、やはりおかしいでしょう。出典とされる無記名執筆者の記事は、当方としてはやはり信頼性に欠ける場合があると考えます。--駄ニメ 2010年1月11日 (月) 00:49 (UTC)
- コメント 「もじって」に関しては提案の文章へと修正しておきました。これに関しては無記名執筆者の正確性を疑うような内容ではなく、出典が示されていれば十分だと考えます。「霊」に関しては、「GA材置き場」第38回の描写を見る限り、雅が周囲が怖がっているのを面白がっているだけの可能性も十分あるので(だとしても「霊が見えるかのように振舞って」だと思いますし、実際のところ「霊」が物語の核心を占めている訳でもない本作においては、真相がどうなのかはわりと枝葉事だと思いますが)、注釈と言う形で「原典では曖昧にされており、霊であると断定しているのは関連書籍からの情報である」という趣旨の解説を書き加えておきます。なお出典の正確性に疑問があるのでしたら、一度「TVアニメビジュアルガイドブック」の現物を手にとって確認して頂くのが一番だと思います。--Kanohara 2010年1月13日 (水) 19:44 (UTC)
「如月」「キサラギ」の表記について
「#人物節について」において如月のカタカナ表記に関する議論があったにもかかわらず、記事本文中における山口如月の解説「友人からは「如月」と呼ばれている。」という記述が、カタカナ表記の「キサラギ」に置き換えられる編集がありました。しかも、私が記事から離れている間の1ヶ月以上、事実と異なる内容がそのままになっており、これが原作における全編に渡って頻出する表現で、ノートで議論された内容であったにも関わらず放置されていたことを遺憾に思います。
アニメ公式サイト、ゲーム公式サイト、および書籍「GA 芸術科アートデザインクラス TVアニメビジュアルガイドブック」では全ページに渡って、山口如月の表記はカタカナ表記の「キサラギ」に統一されており、「キサラギ」になっていても違和感を感じない方が多いのも仕方がないとは思います。だからこそ、この表記については言及すべきだと考えます。この記述を除去した駄ニメさんの「書かなくとも何の問題もありません」という主張に反して問題が発生しているのですし、駄ニメさんが「あってもなくても問題ありません」という考えであるのなら、私は書くべきだと主張します。--Kanohara 2010年3月31日 (水) 21:39 (UTC)
人物節はまだ良いんですが、他の注釈の付け方が過剰だと思います。ゲームの節で「アドベンチャーゲーム」であることに典拠を示していますが、まずその書き方がくどいとも思うんですが、文章を整理すれば脚註は一つで済むと思います。それに「登場するマリが原作者発案であること」と「プレイヤーキャラとして使える事」に、なぜ両方出典を書いているのか意味がよく分からないです。この記事をテンプレートの実験に用いてると誤解を与えそうな気がします。--弐之宮瓶 2010年1月7日 (木) 09:15 (UTC)
- コメント 本記事のような脚注が過剰か否かについては、以前から私と駄ニメさんとの間で「ノート:かなめも」において少々険悪になるほどの議論があり、今も続いているのですが、結局のところこうして原典の解釈を巡って議論になる以上は、記述の根拠が何ページにあるのかという脚注は必要なのではないかとも感じています。
- ゲーム節については、書き出しはWikipedia:ウィキプロジェクト コンピュータゲーム#本文フォーマットに倣いました。このゲームは現時点では未発売で、開発関係者以外の人にとっては実際のゲームを手に取ることが不可能であるため、やや過剰な脚注については、Wikipedia:性急な編集をしない#速報的な編集には出典をに従いました。マリについての脚注は、「登場するマリが原作者発案であること」ではなく公式サイトでしか明かされていないマリのフルネームに対する脚注のつもりでしたが、誤解を与える脚注の付け方であったようなので、その点については修正しておきました。--Kanohara 2010年1月7日 (木) 11:01 (UTC)
- ゲームについては購入予定もないので口を挟まないつもりでいたのですが、「脚注に於ける出典明記の簡略化」を提案する(予定)にあたり、ちょっと気になっているので一言。現在のゲーム節の本文は『ラッセルより発売予定のアドベンチャーゲーム[113]。2010年春にプレイステーション・ポータブル専用ソフトとして発売される予定[113][114]。原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物マリ(マリアンヌ・ファン・ティエネン[115])がプレイヤーキャラクターとして登場する[116]。』(全文引用)ですが、これを「2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲームで、ゲームオリジナルキャラクターが登場する。」という記述にすれば、記述はあっさりと、出典・脚注を「ゲーム公式サイト」のみにする事が出来ます(「原作者原案のキャラ」は後で書けばいいレベルの情報)。発売前で情報も少ない事も含め、「記事の書き方」についてもう少し考えた方が良いでしょう(Kanoharaさんの記述は冗長になりがちと考える)。--駄ニメ 2010年1月8日 (金) 03:41 (UTC)
- コメント 今すぐ慌てて整理しなくても、一次情報源となるゲームソフトが発売されれば、幾つかの記述についてはゲーム本編およびパッケージ・マニュアル等から読み取れる情報として、出典を一元化し記述を整理することができると考えます。出典については、ゲーム公式サイトではゲームジャンルが「アートデザインアドベンチャー」なる耳慣れない用語で説明されているなど、やや不明瞭に思える記述や解釈に迷う内容があったため、複数の出典を追加しました。なお「ゲームオリジナルキャラクターが登場すること」自体には別に特記する内容ではありませんが、ゲームオリジナルキャラクターがプレイヤーキャラクター(≒主人公)として登場することは、ゲームの概要を説明する上で重要な特徴であると考えます。--Kanohara 2010年1月8日 (金) 09:47 (UTC)
- 「慌てて整理しなくても」ではなく、予定は最初から簡素に書いておけばいい、という事です(だから当方も本文記述を直していない)。情報が出そろってからキチッとした物にすれば足ります。予定にも関わらず複数の情報源に依らなければならない、という事は「情報の信頼性に欠ける可能性がある」という事です。--駄ニメ 2010年1月10日 (日) 01:35 (UTC)
- コメント 私は必要最低限の情報を十分簡素に書いたつもりですし、情報の信頼性については、複数の出典を確認することで十分に満たされたと考えます。個人的な経験では、既に検証可能な情報を曖昧にして書くと、かえって未熟な編集者の執筆意欲を煽ってしまい、重要ではない情報が逐次的に加筆されたり、公式サイトからの全文転載(著作権侵害で削除依頼)などが起こってしまう傾向があるように思えます。短くてもまとまった記事として成立している必要があると考えます。--Kanohara 2010年1月10日 (日) 23:21 (UTC)
- 「2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲームで、ゲームオリジナルキャラクターが登場する。」で、十分まとまっている、という話。いるかいないか分からない未熟な編集者の「間違った編集」に事前に配慮するよりも、未熟な編集者が間違った編集を加えてから「そういう編集は間違っている」と教えた方がウィキペディア的にはプラスになるでしょう。Kanoharaさんの「配慮」が未熟な編集者に対して有効とも限りませんし(好き勝手に独自研究を書き加える編集者のなんと多い事か)。--駄ニメ 2010年1月11日 (月) 00:49 (UTC)
- コメント 以前の発言でも同じ事を述べたつもりなのですが、もし「プレイヤーが操作するキャラクターがゲームオリジナルの登場人物である」といった記述を記載すべきでないとするなら、「ゲームオリジナルキャラクターが登場する」という記述も削るべきだと考えます。「ゲームオリジナルキャラクター」というだけでは、その人物が主役なのか端役なのかは読者に伝わりません。嘘は書いていないけれど定義の体を成していない記述は編集者の自己満足どころか、かえって読者の理解を妨げ有害です。例えば本作のアニメ版の概要について「アニメオリジナルキャラクター(である森田先生)が登場する」と書いても嘘にはなりませんが、それを作品の主要な定義として書くことは誤解を招くでしょう。そして本作のことをよく知らない、あるいは原作しか知らない読者には「ゲームオリジナルキャラクターのマリ」と「アニメオリジナルキャラクターの森田先生」の記述の違いを区別することができません。
- ただ、マリについてはフルネームや、ゲームにおいてプレイヤーが操作するキャラクターであることが公表されており、それについては正確性の心配をする必要もなく、また作品の性質を説明する上で重要かつわかりやすい特徴だと考えます。私は「プレイヤーキャラクターである」という記述を削らないほうがまとまっていると考えます。--Kanohara 2010年1月13日 (水) 19:44 (UTC)
- 新キャラがPCなのはアニメや漫画をゲーム化した場合には良くある事(RPGやアドベンチャーの場合)なので「プレイヤーが操作するキャラクターがゲームオリジナルの登場人物である」という情報は特筆ほど重要ではありません。ゲームをアニメ化するとPCが主役になるのが通常は当たり前なのと同等です(ゲームがアニメ化される際に事前情報として「プレイヤーが操作するキャラクターがアニメの主人公である」と書く必要はないでしょう)。しょせん、発売前の「事前情報」に過ぎないのですから、「オリキャラが登場する」レベルで十分です(「事前情報」と「概要」の記述を比較するのは無理がありすぎます)。細かい情報は発売後に好きなだけ書き加えればいいのです。--駄ニメ 2010年1月14日 (木) 01:23 (UTC)
- コメント 駄ニメさんは「良くある事」と言いますが、もっと多いのは原作の主人公がプレイヤーキャラクターとなる場合であると思えます。私見ですが、『Slapstick WONDER LAND』のように独自の主人公を立てるのは、近年のゲーム化作品では比較的少数例のように思えますし、仮に良くあることだとしても、その常識はキャラクターゲームをやり込んでいる人にしか通用しない常識ではないでしょうか。これが駄ニメさんの例示したような「原作ゲームの主人公がアニメ版の主人公である」場合や、「原作漫画の主人公がゲーム版の主人公になる」ような場合なら、確かにあまり重要でない情報かも知れません。ですが、例えばストーリー性のあるゲームを原作としたアニメ作品で「アニメ版の主人公は、原作ゲームとは異なるオリジナルキャラである」といった場合は特記に値するでしょうし、『Slapstick WONDER LAND』の場合はその例に近いものであると考えます。--Kanohara 2010年1月14日 (木) 03:38 (UTC)
- だから、その「重要な情報」はゲームが発売されてから記述すればいいんですよ。事前情報は事前情報でしかありません。公式ページのストーリー見れば、オリキャラがPCかNPCかくらいは普通の人なら分かります。ウィキペディアが百科事典であり速報を必要としない以上、事前情報は「今度こういうゲームが発売されます」程度で十分です。発売するまで待てとは言いませんが、詳しい事はもっと情報が固まってからでいいんです。--駄ニメ 2010年1月15日 (金) 00:27 (UTC)
(インデント戻します)「ウィキペディアが百科事典であり速報を必要としない」というのはつまり、駄ニメさんはゲームの内容についての記載が「性急な編集をしない」や「ウィキペディアはニュース速報の場所ではありません」といったガイドラインに抵触すると仰りたいのでしょうか? 確かにウィキペディアでは比較的最近まで、ニュース速報的な内容や、未発売のゲームや放送前のアニメオリジナル作品などに関する情報の加筆は望ましくないものとして厳しく制限されていた経緯があり、かつてのTemplate:コンピュータゲームの新製品では、そのような加筆を戒めていました。ですが現在の「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」は内容の改定の結果「ニュース・ニュース速報の場所ではありません」という文面は除去されており(上記の過去ログと最新の文面を見比べてみて下さい)、「Wikipedia:性急な編集をしない」も内容の大幅な見直しが行われ、現在のところこのガイドラインは、続きもののストーリーの内容を展開に沿って逐次的に書き足すことによって、記事のまとまりがなくなることを戒める趣旨のガイドラインとして位置づけられています。後者のガイドラインでは未発売の作品に関しての内容が改められ、速報的な編集であっても検証可能性を満たした内容を加筆することは問題ないとされています。
ゲームが発売されそのストーリーやゲームシステムについて記事内で解説するとなると、主人公がオリジナルキャラであることについて触れない訳にはいかないと考えます。検証可能性を満たしている限りは速報的な記述が禁じられていない現状、そういった重要な情報を一度除去して、発売日になってから復帰させるような手順を踏まなければならない理由はありません。なお、私も事前情報については、現在の記述以上の情報は不要だと考えており、むやみに記述を増やすつもりはありません。--Kanohara 2010年1月15日 (金) 18:30 (UTC)
- Wikipedia:性急な編集をしないの要旨に『記事に、速報的な編集等、将来の予定ないし現在進行中の事項を、逐次的に追記しないでください。』と書いてあります。つまり、今回の場合の「予定」に関しては「逐次的に追記しない」ようにしなければいけません。Kanoharaさんのように細かい情報まで書き込むと、その細かい情報に新情報が出るたびに「逐次的に追記」する間違った編集をする他の利用者が現れる可能性がある、という事です。だから、「予定に関しては簡単にだけ書き、発売して(またはある程度情報がまとまって)から詳しく書けばいい」と言っているんです。いるかいないか分からない間違った編集をする利用者や何故そうなのかを説明しなければ理解してくれないかも知れないROM者に対していろいろと配慮してるKanoharaさんにしては、「逐次情報を追記しようとするかもしれない利用者」に対する配慮が足りないのではないでしょうか?(その辺の矛盾が「自分がやりたいようにするための方便」のように見える。また、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかは「ウィキペディアが何ではないか?」の「例」であり「全て」ではない。文面が除去されたからと言って百科事典を「速報の場所である」と考える人は(あまり)いないのでは?)
- それと、なにか勘違いしているようですが「一旦除去して発売後に改めて書き直せ」というような事は当方一言も言っていません。 2010年1月10日 (日) 01:35 (UTC)をご確認ください。また、現在の記述が「くどい」と考える人がいるからこそ、この節の議論になった、という事を考えるべきでしょう(Kanoharaさんさんは「現在の記述以上の情報は不要だと考えて」いるようですが、現在の記述でも情報過多だと感じる人がいる、という話)。--駄ニメ 2010年1月16日 (土) 01:29 (UTC)
- コメント もし駄ニメさんがまた「原作者や公式サイトから発せられた一次情報でないと信用できない」とお考えなのであれば、ゲーム公式サイトも出典として追加しますが、それではどうでしょうか?
- 2010年1月10日 (日) 23:21 (UTC) の発言でも述べたように、私は作品の基本的な情報を記述しないことはかえって「逐次情報を追記しようとするかもしれない利用者」の加筆を誘発すると考えています。もちろん私自身は今回議題に上がっている内容を2010年1月1日 (金) 17:46 (UTC) の加筆(差分)において、ゲーム節を作ると同時に記述したのであり、情報を小刻みに書き足すような「逐次的」な編集は行っておらず、そのことで批判される覚えがありません。
- 「Wikipedia:性急な編集をしない」には「信頼のおける情報源を出典とさえしていればタイムリーな編集は性急な編集とは見なされず、歓迎されます」という一文があります。未発売の作品の記事を作成・編集する行為は対象となる行動のケースaに該当しますが、このケースaには「ただし、検証可能性を満たし、なおかつ単なる宣伝に当たらない場合は例外となる」という例外規定があります。「ゲーム版のプレイヤーキャラクターが原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物で、名前はマリ(マリアンヌ・ファン・ティエネンである」という情報には出典を示していますし、これらの情報は公式サイトの他にもファミ通.comの記事でも取り上げられており、単なる公式サイトの宣伝であるとか、特筆性を満たさない些末な内容であるとは思いません。--Kanohara 2010年1月16日 (土) 19:05 (UTC)
- 当方、「原作者や公式サイトから発せられた一次情報でないと信用できない」などと言っていませんし、Kanoharaさんが「逐次的な編集を行っている」等と批判した覚えはないのですが?
- 当方が言っているのは「事前情報に過ぎない情報を記述するのに、出典を複数の情報源に頼るようなくどい書き方をする必要はない」です。出典の正当性などに関しては何も言ってません。現在の本文を書き換えたわけでもないし、Kanoharaさんが何に対してそんなにムキになって反論しているのか、正直さっぱり理解できません。Kanoharaさんの記述が「くどい」と感じている他の利用者がいる、って事が、まだ理解できませんか? Kanoharaさんの善意は善意になっていない可能性があるんです。
- 「ゲーム版のプレイヤーキャラクターが原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物で、名前はマリ(マリアンヌ・ファン・ティエネンである」も些細な情報です。そんな事書いて無くても「ゲームが発売予定である」という事実には何の影響もありません。そういった、あってもなくても記述内容(今回の場合、ゲームが発売予定である事)に影響しない事を「些細な情報」と言うのです。--駄ニメ 2010年1月17日 (日) 01:58 (UTC)
- コメント 弐之宮瓶さんの提案は「脚注がくどい」というものであって、「ゲーム版の主人公がオリジナルの登場人物だという事前情報は不要」という意見ではなかったはずです。弐之宮瓶さんの意見に対しては、速報的な内容には正確な出典の提示が求められるという「Wikipedia:性急な編集をしない#速報的な編集には出典を」のガイドラインを示しました。もちろん複数の情報源に頼らず公式サイトのみの情報を使って記述する場合でも「ラッセルより発売予定のアートデザインアドベンチャー。2010年春にプレイステーション・ポータブル専用ソフトとして発売される予定。原作者原案によるオリジナルの登場人物マリ(マリアンヌ・ファン・ティエネン)をプレイヤーキャラクターに据えたオリジナルストーリー。」などと記述することも十分可能ではあります。ただ「ラッセル (企業)」はそれ程著名なゲームメーカーではなく、その公式サイトが信頼できる情報源であるかどうか、特筆性は満たしているのか、単なる同人ゲームではないのかという疑念を抱くような人もいるだろうと考え、アニメ公式サイトや大手ゲーム情報サイトなどを出典にする必要があると考えました。ファミ通の記事に一本化する場合でも「2010年春にプレイステーション・ポータブル専用ソフトとして発売される予定のアドベンチャーゲーム。原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物マリが主人公として登場する。」と書くこともできますが、ゲームが発売されていない現状、二次情報もどこまで信頼して良いのか悩むところです。ですが、複数の出典で言及されており、大言壮語な宣伝や思い違いが含まれていないように思える内容については、真実かどうかはともかく十分に検証可能な事実であると受け取ってよいと考えられ、性急な編集には当たらないと考えます。
- 正直、私には駄ニメさんがそこまで「ゲーム版の主人公はオリジナルキャラ」という記述の除去にこだわる理由がよく分かりません。記述してはならない根拠となる具体的なルールや、その情報を記述しないことによってどのような益があるのかを示して頂ければ納得もするのですが、除去すべきという根拠は駄ニメさんの主観や思い込みに基づいているように思え、正直なところ単に引っ込みがつかなくなっただけなのではないかという疑念も感じています。--Kanohara 2010年1月18日 (月) 19:22 (UTC)
- 何度か指摘しましたがKanoharaさんは、もう少しちゃんと文章を読んで理解してください。
- 最初に指摘された問題点は『注釈の付け方が過剰』であり『書き方がくどい』→『文章を整理すれば脚註は一つで済むと思』う、と言う話です。文章を整理した方が良い、という話なのに「出典をちゃんと示している事」をガイドラインで証明したりしている点、Kanoharaさんは最初から何が問題なのか全く理解していないと思います。弐之宮瓶さんは、「細かい部分にいちいち出典を提示する意味」を問うているのであり、「文章を整理すれば脚注を一つにできるのに、なんでわざわざくどい表現をしていくつも出典を付けるのか?」、それは「テンプレの実験ではないのか?」という話をしています。理解できてますか? 話がずれているのはKanoharaさんが自分の記述方法に固執するあまり、相手の話をちゃんと理解せずに反論する事を目的としているからです。
- また、当方は弐之宮瓶さんの意見を受けて、このようにすれば出典は一つで済むという例を挙げているだけであり、予定については細かく記述する必要がないという話をしているのであり、現時点の記述を書き直そうとか、書き直すべきだ、とか書き直さなければならない、とかいう話をしているのではありません。したがって『「ゲーム版の主人公はオリジナルキャラ」という記述の除去にこだわる』などというのは事実無根であり、言い掛かりです。誰が「除去しろ」って言いましたか? 「必要ない」=「除去しろ」ではありませんよ? 読解力が皆無に近い可能性があるので具体的に書けば「今後予定を記述する際は気を付けた方が良い」って話をしてるんです。分かります?
- ハッキリいますが、この節でKanoharaさんが行っている反論は、的外れです。引っ込みが付かないのは当方ではなくむしろKanoharaさんの方でしょう。--駄ニメ 2010年1月19日 (火) 01:24 (UTC)
- コメント 私は他人の考えを言い当てられる超能力者などではないので、駄ニメさんが何を主張しようとしていて、どういう方向性へと記事を持って行きたいのかが未だに分からないのですが、駄ニメさんは「「必要ない」=「除去しろ」ではありません」と仰る割には、「ゲーム版の主人公はオリジナルキャラという情報は必要ない」という主張に随分とこだわっているように見えますし、駄ニメさんの編集姿勢は「百科事典に必要ない記述は容赦なく除去していく」というものであると把握しています。私が把握する限り駄ニメさんは現状を、
- 「ゲーム版の主人公はオリジナルキャラ」という情報は、あってもなくてもよい些末な内容である。
- 現在のゲーム節については目下、脚注を減らして読みやすくする事が最も重要な課題である。
- あってもなくてもよい些細な内容を丸々削れば文章・脚注もスッキリして解決である。
- ……のように捕らえているものと受け取っています。
- 私は今の文章がくどいとは思いませんが、内容を維持しつつおかしな文法を修正したり、記述順序を入れ替えたり、もっと適切な単語を選択するなどといった編集なら歓迎すべきものと考えます。しかし私には駄ニメさんの主張の前提となっている「ゲーム版の主人公はオリジナルキャラという情報は些末事」という意見は受け入れ難く思いますし、ゆえに必要な内容を削ってまで脚注の数を減らすことを優先するといった案も奇異に聞こえます。記事を読んでもどのような趣旨のゲームであるのかを把握できないような定義未満の記事は、百科事典に残す価値はありませんし、そうでない記事として成立させるためには、「Wikipedia:性急な編集をしない」にあるように基づき出典が不可欠です。
- そもそも「ゲーム版の主人公はオリジナルキャラ」という情報はゲーム公式サイトをはじめ複数の出典で確認できることであり、この記述を除去すれば出典を整理できるという主張も理解できません。その記述が必要だという私の意見に対して反論を述べ、その記述を削る文案を繰り返し提案している駄ニメさんは、その記述を削ることに強いこだわりがあるのではないかと感じています。とりあえず「Kanoharaから反論がなかったので合意形成、記述は除去」と言われては困るので、その文案には不同意であるという立場は表明させて頂きます。「現在の記述の中で何が重要で、何が重要でないか」という合意形成に失敗している現状、推敲を進めることは困難でしょう。--Kanohara 2010年1月19日 (火) 17:44 (UTC)
ゲーム節に関して(つづきのつづき)
Kanoharaさんが問題点を理解していないようなので整理。
- 当初の記述:『ラッセルより発売予定のアドベンチャーゲーム[122]。2010年春にプレイステーション・ポータブル専用ソフトとして発売される予定[122][123]。原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物「マリアンヌ・ファン・ティエネン(マリ)」[124]がプレイヤーキャラクターとして登場する[125]。』
- 弐之宮瓶さんの指摘(2010年1月7日 (木) 0915 (UTC)):『注釈の付け方が過剰』『(注釈の)書き方がくどい』『文章を整理すれば脚註は一つで済む』『(マリが原作者原案である事とPCに使える事の)なぜ両方出典を書いているのか意味がよく分からない』
- 「注釈の付け方が過剰ではないのか?」は必ずしも「注釈の数が多い」ということではない(つまり「かなめも」問題とは関係ない)。例えば「発売予定に2つも出典は必要なのか?」という意味。
- 「注釈の書き方がくどい」というのは「(言及されている一つ一つに)細かく注釈を付けている」事。上記の他、「『マリ』と『PCで使える』にそれぞれ出典が必要なのか?」など。
- 「文章を整理すれば脚註は一つで済む」というのは「細切れの文章にするのではなく、整理した文章にすれば脚注は1つで済む」という事。→駄ニメ案:『2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲームで、ゲームオリジナルキャラクターが登場する。[出典:公式サイト]』
- 「なぜ両方出典を書いているのか意味がよく分からない」は、Kanoharaさんの善意が実際の読み手には単なる「不可解な注釈でしかない」という事実。「マリについての脚注は公式サイトでしか明かされていないマリのフルネームに対する脚注」という目的が利用者に伝わっていない(=独り善がりの可能性が高い)(「かなめも」問題でも、どこが出典になるのか分からない部分があったと思うが?)。
- Kanoharaさんの主張
- 出典は必要である。
- 過剰な脚注はルールに従ったものである。
- オリキャラがPC
に使えるなのは重要な情報なので書く価値がある。(一カ所修正--駄ニメ 2010年1月29日 (金) 05:41 (UTC))
- 駄ニメの主張:
- 「予定」は「予定」に過ぎないのだから「予定」は簡単に書いておけばいい。
- 詳しい情報は発売後またはある程度まとまってから書けばいい。
こんな感じか?(弐之宮瓶さんの指摘は駄ニメの解釈なので間違ってる可能性もある)--駄ニメ 2010年1月27日 (水) 09:39 (UTC)
- コメント 読みにくい文は文意を変更しない範囲で推敲すれば良いのですし、出典の信頼性や特筆性を疑う必要がない箇所については、信頼性の高い出典だけを残して削っても問題ないでしょう。しかし、その解決案として駄ニメさんが提案した、
- > 『2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲームで、ゲームオリジナルキャラクターが登場する。[出典:公式サイト]』
- という文章には問題が多すぎると考えています。
- まず同作のゲームジャンルがいわゆるアドベンチャーゲームであること自体は、アニメ公式サイトをはじめとして複数の出典が存在しており検証可能性を満たした情報であると考えます。ですが駄ニメさんの文案で唯一の出典となっているゲーム公式サイトには、同作が「アドベンチャーゲーム」であるという情報が掲載されておらず、この箇所の出典としてゲーム公式サイトを用いることは不適切なのです。ゲームが発売されれば、この箇所はゲーム本編を出典と見なすことができるようになり、「ゲームを少しプレイすれば自明のこと」であるとして出典の明示が不要になると考えますが、ゲーム本編の内容が検証できない現段階では、この箇所に出典が必要であると考えます。
- それと、駄ニメさんの説明では「原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物マリ(マリアンヌ・ファン・ティエネン)がプレイヤーキャラクターとして登場する」という情報を除去する理由が不明瞭です。マリのフルネームのみ公式サイト内別ページの記載となっているものの、これらは公式サイトに書かれている情報です。個人的には、記述の内容が複数の第三者によって話題になったことを示す(特筆性を満たす)ために、複数の出典が必要であると考えますし、脚注を減らすために情報を整理するのは本末転倒ではあると考えますが、弐之宮瓶さんの意見のみを取り入れて脚注を1つで済ませることだけが目的なら、
- 『2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のゲームで、原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物「マリ」がプレイヤーキャラクターとして登場する[出典:公式サイト』
- という記述でも問題がないはずなのです。ところが駄ニメさんはあれこれ理由をつけて「プレイヤーキャラクターはゲームオリジナルの登場人物」という説明を省こうとなさっている。私から見ると、それは弐之宮瓶さんの意見ではなくて、自分の知らないところで決まった方針やガイドラインに同意できない駄ニメさんの個人的意見でしょう? としか思えません。自分個人の意見を他の方の意見であるかのように摩り替えないで下さい。
- なお、出典の有無で記述を分けると以下のようになります。
- 個人的には、複数の出典があるものについては、十分な正確性と特筆性があると考えています。
- > Kanoharaさんの主張
- > オリキャラがPCに使えるのは重要な情報なので書く価値がある。
- この部分には語弊があります。これがもし格闘ゲームのように、原作の主人公たちを含めた複数の登場人物たちの中からプレイヤーキャラクターを一人を選択するようなゲームであれば、「オリキャラがPCに使える」という表現は正確ですし、同時に駄ニメさんが主張するように、ゲームではよくあることでありとりたてて特記する必要もない内容だったでしょう。ですが違います。公式サイトのストーリー紹介やファミ通の記事などを読めば分かりやすいと思いますが、本作の場合、「オリキャラもPCとして使える」のではなくて「オリキャラが唯一無二のPC」なのです。原作では主人公であり感情移入の対象であったGAの5人は、ゲーム版ではある意味脇役となっているのですから、これが重要な情報ではなくて何なのか、と私は思います。--Kanohara 2010年1月28日 (木) 22:22 (UTC)
- わざわざ問題点をまとめてるというのに相変わらず「何が問題なのか?」がまるで分かっていないようですね、Kanoharaさん。
- 『ゲーム公式サイトには、同作が「アドベンチャーゲーム」であるという情報が掲載されておらず』:商品紹介ページにちゃんと書いてあります。
- 『弐之宮瓶さんの意見のみを取り入れて脚注を1つで済ませることだけが目的なら、『2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のゲームで、原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物「マリ」がプレイヤーキャラクターとして登場する[出典:公式サイト』という記述でも問題がないはずなのです。』:では、そうすればいいのでは? いったいいつ当方が「俺の文案こそが唯一絶対なのだ!それ以外はゆるさん!」とか言いましたか? 『あれこれ理由をつけて』『省こうと』してるんじゃなく、当方は重要な情報とは思ってないから文案に含まれていないだけです。そんなに重要だと思うなら、最初から『原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物「マリ」がプレイヤーキャラクターとして登場する』が入る文案を作って、「じゃあこんなんでどうだい?」と提案すれば良かったんですよ。別に反対しませんよ、それでも。当方に対する拒否反応で脊髄反射ばかりしてるから何も見えないんですよ、Kanoharaさんには。それと、邪推で他人を攻撃するのは止めろ。そろそろ我慢も限界だ。
- 『この部分には語弊があります。』:はぁそうですか。弐之宮瓶さんがそう書いてたから、そのまま使っただけです。それ以上の意味はありません。修正すれば終わりですね(なんでこんな些末な事に拘ってるんだか?)。また、「オリキャラが唯一無二のPC」な事が、何で『重要な情報』になるのか、全く分かりません。ゲームって、そういう物でしょ?(PCがプレイヤーの分身になる事。オリキャラでもいつもの5人のうちの誰かでも、PCを操ってゲームに参加する事は変わらない)--駄ニメ 2010年1月29日 (金) 05:41 (UTC)
- コメント 現在の文章も自分なりの考えがあってまとめたものであることは、2010年1月7日 (木) 11:01 (UTC) の発言で最初に述べた通りですが、それとは別に文章の推敲が必要であるという大筋については、私と駄ニメさんの間で争点はないものと把握しています。その上で、推敲する上で何を残すべきか、何を削るべきかという話を続けているつもりなのですが、仮に私が争点がないものと把握している部分について駄ニメさんが異なる印象を抱いており、そのせいで議論がはぐらかされているように感じているのでしたら、その点は半分くらいは私の書き方が悪いせいなのかも知れません。ただ実のところ、確かに私は駄ニメさんが何を指して「「何が問題なのか?」がまるで分かっていない」と仰っているのか、よく分かりません。
- 2010年1月8日 (金) 09:47 (UTC) の発言でも指摘しているのですが、公式サイトでは、ゲームジャンルを「アドベンチャーゲーム」ではなく「アートデザインアドベンチャー」なる耳慣れない造語で説明しています。「アートデザインアドベンチャー」を「アドベンチャーゲーム」と言い換えて良いのか、私には確証を持てなかったので、複数の出典を当たって脚注を明示しました。以前の議論で雅の通称について「音読み」と「もじった」の意味の違いで私と散々揉めた駄ニメさんには、このことが気にならなかったのでしょうか? 私には気になります。
- もとより同様の文案は2010年1月18日 (月) 19:22 (UTC) の発言で示したつもりなのですが。まあ、「別に反対しませんよ」という、ここまで長々と議論を続けていてずっと確認したかった、言質を取りたかった一言が聞けましたので(2010年1月20日 (水) 17:13 (UTC) における私の発言も参照)、この文案をベースに進めていきたいと思います。駄ニメさんにとって重要でない情報が含まれている文案は不本意であろうと察しますが、どうかご了承ください。
- 駄ニメさんがこの表現を用いた際、私はふと「駄ニメさんはゲーム内容について何か誤解をしていて、その誤解を元に持論を展開しているのではないか」と感じたので、念のため説明しました。私の杞憂であれば問題ありません。「オリキャラが唯一無二のPC」云々の話については、仮にオリジナルキャラが多数の選択可能な主人公の中の一人であったのなら、それは「シリーズものの格闘ゲームで、隠しキャラとして新キャラが使える」程度の重みで扱うべきであり、概要を説明する文章には不要な情報であっただろう、という話をしています。
- では、駄ニメさんから「別に反対しませんよ」という言質が取れたので、文案の推敲に移りましょう。
2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲームで、原作者原案によるゲームオリジナルの人物「マリ」がプレイヤーキャラクター(主人公)として登場する。
- ゲーム公式サイトのみを出典とした場合、特筆性に問題がある上、「アートデザインアドベンチャー」なるゲームジャンルの説明に出典を示せないという問題が生じます。複数の出典は必要であると考えます。なお出典の示し方については、<ref></ref>タグ内に複数の出典を<br />区切りで併記するようなものを考えています。
- 個人的には、
2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲーム。原作者原案によるゲームオリジナルの人物「マリ」がプレイヤーキャラクター(主人公)として登場する。
- の方がよいと思いますが、駄ニメさんがどうしても一文にまとめるべき、脚注の数を減らすべきとお考えなのであれば、強くは推しません。
- なお現時点でも、
2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲーム。プレイヤーは原作者原案によるゲームオリジナルの登場人物「マリ」となり、祖母の遺品であるスケッチブックを絵本として完成させるという目標の元、期間留学生としてGA1年の5人たちと共に学園生活を送る。
- 程度の内容は記述可能ですし、どのみちゲームの発売後にはストーリーの内容についても加筆する必要があると考えますが、現時点では時期尚早であると思い、個人的にはこうした詳細な記述には消極的です。ただ、「なぜ詳細な出典が必要なのか分からない」「些細な内容である」といった意見が出てしまうのは、結局のところ現段階の記述が帯に短く襷に長い、中途半端な内容であることに起因していているのではないかとも感じていて、ゲーム節を有益な記述として存続させるなら、ある程度詳しく記述する必要があるのではないかとも考えています。後者の文案についても意見を求めます。--Kanohara 2010年1月29日 (金) 22:21 (UTC)
- 『「アートデザインアドベンチャー」なる耳慣れない造語』って言いますがね、普通の判断力を持った人ならGAだからアートデザインな「アドベンチャーゲーム」だって事くらい分かりますよ。出典を付けるためにそういう無理矢理に近い理屈を付ける必要はありませんね、確実に。それ以前に「アートデザインアドベンチャー」なんてゲームジャンルは存在しないし。
- だから別に反対しないって言ってるでしょ。むしろ、その事にいつになったら気付くんだ?とかなり苛ついてたんですが。かなり前から。(「示した」と言われても「書く事も出来ますが云々」と書いてあって、本人が文案を否定してるんだから当方にはどうしようもありませんよ)この部分追記--駄ニメ 2010年2月1日 (月) 04:26 (UTC)
- くどいようだが「脚注を減らせ」じゃなくて「記述を整理すれば自然と出典は減る」です。何度言わせりゃ分かるんだか。ここまでハッキリ具体的に言ってるのに、、、、。
2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用のアドベンチャーゲームで、原作者原案によるゲームオリジナルのプレイヤーキャラクター(主人公)「マリ」が登場する。
- で充分。ほら、出典一つで済んだ。--駄ニメ 2010年2月1日 (月) 04:01 (UTC)
前回のコメントより一週間が経過しましたが、特に反論もないので議論は終了=合意形成と判断します。--駄ニメ 2010年2月8日 (月) 16:08 (UTC)
- コメント 確認しました。本文自体はこれでよいと考えます。
- 文案の出典に公式サイトを加えたのは、以前駄ニメさんから「公式情報ではない情報は、ちゃんと他に同様の事が書いてある出典を見付け、複数のソースで確認してから「○○○が主要な特徴」と書くのが良い」と言われたことを私なりに反映した結果ですが、当の駄ニメさんが「公式サイトの情報であること」にこだわらないのであれば、私もゲーム公式サイトを出典に加えることにはこだわりません。一次情報よりも二次情報の方が望ましいでしょう。ただ、該当の記述の必要性については本ノートで意見が分かれた案件であり、Fuji 3さんから「第3者の話題になった」という出典が求められています。「Wikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドライン」における「複数の信頼できる情報源において独立した言及」を満たすためにも、あと一箇所程度の出典を追加するのが望ましいと考えます。<ref></ref>内に<br />区切りで出典を追加する形なら、脚注は一つで済み可読性は損ないませんので、「付け加えるべきではない」という反対がないのであれば新たな出典(ファミ通の記事辺り)を1つ追加したいと考えますが、どうでしょうか?
- > 普通の判断力を持った人ならGAだからアートデザインな「アドベンチャーゲーム」だって事くらい分かりますよ。
- そうでしょうか。私なら自分の思い込みや勘違いでないことを確認するため、念のために他の情報を当たる程度の疑念は持ちます。「○○アドベンチャー」と銘打ちながら実質的にはアクションゲーム、という例も少なからずありますし(例えば、「シネマティック・アドベンチャー」を銘打っている「パラサイト・イヴ2」など)、ウィキペディアの執筆者が独自研究で「アドベンチャーゲーム」であることを保障するような形は避けるのが望ましいと考えています。現在出典となっているGpara comの記事には公式サイト同様「アートデザインアドベンチャー」としか書かれていないので、これ以外の出典を前述の方法で追加したいと考えています。
- なお、脚注の内容となっている出典のウェブサイトについては、Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイトを参考に、Template:Cite webを使うか、文書作成日またはアクセス日を追加するのがよいと考えます。本ノートでは「ウェブサイトに出典テンプレートを用いるべきではない」という合意はなかったと考えますので、これについてはこちらで勝手に修正させて頂きます。--Kanohara 2010年2月9日 (火) 01:25 (UTC)
- 「プレスリリース」を用いた情報であるからして複数の出典に頼る必要なし。公式発表は第三者の話題になったかには関係ない。
- パラサイト・イヴ2はアドベンチャーゲームの中にアクションゲームのパートがあるだけで、アクションゲームではない。アドベンチャーゲームの概念も知らないのか?
- 出典テンプレートを使った記述に変更する必要を認めない。Kanoharaさんの自己満足で記述を変更するのは止めてもらいたい。出典の提示にはテンプレートを用いるという合意は最初から存在していないし、簡略化の提案で当方の「ある意味解決済み」との発言から「合意形成とみなし」議論をクローズしておいて、テンプレートに書き換えるとは呆れる。なぜ当方が「ある意味解決済み」と言ったのか分かっているのか?--駄ニメ 2010年2月9日 (火) 07:56 (UTC)
- コメント 特筆性を判断する情報源は「二次資料でなければなりません」と書かれています。「「プレスリリース」を用いた情報であるからして複数の出典に頼る必要なし」という駄ニメさんの見解は、このガイドラインと真っ向から矛盾します。公式情報(一次資料)でなければ駄ニメさんは納得しない(ように私には見えます)し、Fuji 3さんの言う「第3者の話題になった」証拠を提示し特筆性のガイドラインを満たすためには、複数の二次資料が必要なのです。なのでノートでの合意を反映させるためには三つの出典が必要であると考えました。まあジーパラドットコムの記事はプレスリリースを銘打ちつつも、第三者に取り上げられた事実として用いることができると私は思いますので、これを一次資料と同等の信頼性を持った二次資料として用いることに異論はありません。で、出典の一つとしてこれを用いるとしても、前述のようにあと一箇所の出典が必要であると考えます。これは私なりに「ダメ出しを喰らわないような記述」を心がけた結果です。
- > パラサイト・イヴ2はアドベンチャーゲームの中にアクションゲームのパートがあるだけ
- 人によってはそれをアクションアドベンチャーゲームに分類するかも知れません。ゲームのジャンル分けはごく曖昧なものなのですから、独自研究に頼るべきではないと考えます。幸いにも出典があるのですから、単に一つ出典を書き加えれば良いことではないでしょうか?
- > 出典テンプレートを使った記述に変更する必要を認めない。
- これについては「#出典・脚注に於ける出典明記の簡略化の提案」の方で私の意見を述べました。また出典テンプレート自体の是非については、現在議論中の「Wikipedia‐ノート:出典を明記する#Template:Cite webの強制力について」の方にでもご意見していただければと思います。--Kanohara 2010年2月10日 (水) 00:35 (UTC)
- すでに存在するページ内の「ゲーム節」に「特筆性」を持ち込む意味が不明。当方は予定なんか書く必要はないと個人的に考えているから、なんでこんなコメントをしなきゃならんのか分からないが、ゲーム節に発売予定を書く事に「特筆性」って必要なのか? Kanoharaさんの挙げる「特筆性」ってWikipedia:特筆性の事ですよね? これって、新しいページを作るにあたってのガイドラインですよ?
- そもそもFUJI 3さんの言っているのは「(現時点での)出典は過剰である」という事で、「トピックになった話題も書いてないのに何であんなに出典を付ける必要があるの?」って事です。
- 「アクションアドベンチャー」も「ドラマチックアドベンチャー」も「こそばゆい学園恋愛アドベンチャー」も、全部アドベンチャーゲームです。「概念」ってどういう意味か知ってますか?--駄ニメ 2010年2月10日 (水) 05:15 (UTC)
- コメント もちろん「Wikipedia:特筆性」は新しいページを作るにあたってのガイドラインですが、公正な方針で意ある「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは未来を予測する場ではありません」には、「予定されるあるいは予想される将来の出来事は、その出来事に特筆性があり、ほぼ確実に行われる場合にのみ収録すべきです」という一文があることから、ページ内に記述を書き加える場合にもこの条件を満たす必要があると考えています。またFUJI 3さんは「(予定の事象に関する記述が)必要という話ならば、今の脚注のつけ方は正当だと思います。脚注を整理したいから情報を整理するというのは本末転倒です。」と述べており、駄ニメさんが解釈するような内容には読めません。
- 大雑把な概念だけでは、ゲームジャンルの説明には不適当だと思います。こうして私と駄ニメさんの間で「パラサイト・イヴ2はアクションゲームかアドベンチャーか」で意見が分かれるのですから、こういうことは独自の分析や解釈に頼らず、出典を用いるべきかと考えます。--Kanohara 2010年2月10日 (水) 06:25 (UTC)
- 「新しくページを作るには特筆性が必要(=どうでもいいようなページを作るな、という意味)」な事と、すでにあるページ内にほぼ確実な予定を書き込む事は、全く別の事象なので同線上で語る事は出来ない。仮に「同じ」と判断するのであれば、「特にトピックになっていない事」なのに「複数の出典で確認できる程度」で「特筆性がある」とは思えないので、ゲーム節は除去するべき、という結論になる。
- 「ジャンル」は「ジャンル」であり、ゲーム内容の説明ではない。独自の分析ではなく、「アドベンチャーゲーム」と付くゲームは全て「アドベンチャーゲーム」に含まれる。その「アドベンチャーゲーム」の中の細分化したジャンルが「××アドベンチャー」の「××」の部分である。メーカーが「××アドベンチャー」と銘打っているのだから『パラサイトイブ2』はアドベンチャーゲームであり、『パラサイト・イヴ2はアクションゲームかアドベンチャーか」で意見が分かれる』のはただの独自研究にすぎない。そんな事はウィキペディアに書く必要がない、ファンサイトで拘ればいい事。--駄ニメ 2010年2月10日 (水) 08:30 (UTC)
- コメント 記述する価値があるか否かで散々揉めたのに、今更特筆性は関係ないということはないでしょう。論者の主観が分かれたのですから、主観ではなくガイドラインを拠り所にするのは有益だと考えます。「「複数の出典で確認できる程度」で「特筆性がある」とは思えない」とのことですが、今回の件が「Wikipedia:特筆性#一般的な特筆性のガイドライン」のどの辺りの条件を満たしていないとお考えであるのか、後学のために意見を伺いたいと思います。
- 以前に別件の議論(#人物節について)であれほど出典の厳密な解釈にこだわっていた駄ニメさんが、今度は「出典は一つでいい」という持論を通すために「××アドベンチャー」は「アドベンチャーゲーム」と解釈していい、という大雑把な解釈を可とするのは、なにやら駄ニメさんのその日の気分次第で振り回されているようで非常に疲れるのですが、まあ今回の場合は出典がノートで示されており、独自研究を理由に記述を除去しようとする者がいたとしても「ノートの議論を参照」として差し戻すことが可能でしょう。逆に「メーカーによる正式なジャンル名は「アートデザインアドベンチャー」。」というような文章で説明する手もありますが、出典の提示に非常にこだわっている駄ニメさんが今のままでいいとそこまで言うのなら、釈然とはしませんがこれ以上は食い下がりません。とりあえず今回の記述についてはジーパラドットコムの出典だけに絞るということで、私と駄ニメさんの間で合意が形成されたと見なして構いません。もっとも、もし私が次に今回のように特筆性が問題になるような状況で記事を書くことになった日には、今回のような「書くべきか否か」という議論を防ぐためにも、駄ニメさんから何と言われようが複数の出典をつけるようにしようと考えています。--Kanohara 2010年2月10日 (水) 13:25 (UTC)
- 『記述する価値があるか否かで散々揉めた』と思ってるのはKanoharaさんだけだと、何度同じ事を言えば理解できるのか?
- 何で新しいページを作る際のガイドラインの条件を満たす必要があるのか意味不明(特筆性の要旨『もし対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及があった場合、その話題は単独記事としての収録基準を満たすことが推定されます。』)。そもそも「複数の出典で確認できる」=「特筆性がある」にはならない。重要なのは「特筆性があると推測される情報が、複数の情報源で確認できる事」であり、その事が「複数の出典で確認できるから特筆性がある」となる。「○月×日にゲームが出ます」レベルの情報は、複数の情報源で確認するまでもなく、公式発表で確認できればそれで済む。それと、「公式情報」と「公式サイト」を混同してるって気付かないのか、Kanoharaさん?
- 「ジャンル」とは分類・区分の事を示す言葉。他に存在しない「アートデザインアドベンチャー」がゲームの「ジャンル」として成立すると思っているのなら呆れる。アドベンチャーゲームの中にアートデザインアドベンチャーが存在する事はあっても、該当商品がたった一つしかないアートデザインアドベンチャーというジャンルが存在する事はない。--駄ニメ 2010年2月10日 (水) 14:30 (UTC)
- 追記:人物節で出典にこだわったのは記述が個人的な解釈によって行われていたからであり、本件のれっきとして存在する「ゲームジャンル(一般的に常識として使用されている)」を無理矢理細分化して「それはアドベンチャーゲームなのか?」などと言い出して混ぜっ返す行為とは、全く意味が違う。--駄ニメ 2010年2月10日 (水) 14:42 (UTC)
- コメント 「2010年にラッセルより発売予定のプレイステーション・ポータブル専用ソフト」という情報に限っては、特に不要だという意見が出された訳ではないので、一箇所の信頼できる出典さえあれば十分であると考えます。今回は「原作者原案によるゲームオリジナルのプレイヤーキャラクター(主人公)「マリ」が登場する」の部分について、(駄ニメさんには渋々納得して頂いたとして)Fuji 3さんから「第3者の話題になった」出典を求められています。
- 「公式情報と公式サイトの混同」については、何のことを言われているのかさっぱり分かりません。駄ニメさんの発言は独り善がりなところがあるように思えます。
- ジャンルの説明については、駄ニメさんの解釈で納得した訳ではありませんが、駄ニメさんの中では独自研究の入る余地のない真実であるらしいことは理解しました。「アートデザインアドベンチャーという名称をアドベンチャーゲームと同一視することは独自研究には当たらない」という合意が私と駄ニメさんの間で形成されましたので、これ以上議論を続けるつもりはありません。--Kanohara 2010年2月10日 (水) 15:35 (UTC)
- コメント『「原作者原案によるゲームオリジナルのプレイヤーキャラクター(主人公)「マリ」が登場する」の部分について、Fuji 3さんから「第3者の話題になった」出典を求め』ているようには読めません。Fuji 3さんの発言は『個人的には、単なる発売予定段階では、発売予定であるという事実の他には、予定の発表段階でトピック(第3者の話題になった項目)だけを書けば足りると思っています。現状の情報は、トピックになったという出典はなく、過剰な内容ではあると思います。』です。どこに「マリが登場する部分の出典を求める」という内容の文章が? Fuji 3さんの発言の主旨は「発売予定には『発売予定という事実』のほかは『話題になった事』だけ書けばいいと思う。」だと思いますが?--駄ニメ 2010年2月11日 (木) 00:30 (UTC)
(インデント戻し)改めて読み直してみると問題点が思いっ切りズレているようです。なので本件の議論については続きを放棄します。テンプレに勝手に修正した件は別節で。忘れているかも知れませんので一応書いておきますが、Kanoharaさんは「出典・脚注に於ける出典明記の簡略化の提案」で『現在の形式に固執しているわけではありません』と発言し、自主的にテンプレを用いない形式に出典・脚注を修正しておられます。なんで今になってテンプレに固執しているのか?という疑問に、別節で回答いただけると嬉しいです。--駄ニメ 2010年2月11日 (木) 00:48 (UTC)
- コメント これについては#テンプレ問題の方に議論の場を移します。--Kanohara 2010年3月31日 (水) 16:28 (UTC)
出典の置き換えを提案
まんがタイムきららCarat2010年4月号(JAN 4910186330401)のp6および裏表紙には、現在のゲーム節に書かれている内容全てが網羅されている上、「ジャンル:アドベンチャー」とも明記されており、更には現在の出典には書かれていない発売日の情報なども掲載されています。またウィキペディアでは、永久にネットワーク上に残る保証がないウェブサイト上の情報を出典として用いることについて議論があり、ガイドライン「Wikipedia:出典を明記する#ウェブサイト」でも「同一内容で書籍も出ている場合には、その書籍も書く」ことを求めています。
つきましては現在のGpara.comの出典を除去して、まんがタイムきららCarat2010年4月号を出典として置き換えることを提案します。そのまま末尾に追加する形で追加してもよいのですが、駄ニメさんから出典情報を少数に絞ることにこだわる主張もあり、私としても合意を反故にするつもりはないので、置き換えという形がよいと考えました。
ただ、まんがタイムきららCaratは「GA 芸術科アートデザインクラス」の掲載誌であり無関係な第三者とは言えないのだから、マリに関する情報などの「発売予定であるという事実の他」が第三者の話題になったという出典にはならないとも考えます。ただしノートでの議論をもって出典を脚注に追加することの代わりとすることが可能という合意があるなら、第三者の情報源にこだわる必要はないと考えています。--Kanohara 2010年3月31日 (水) 21:12 (UTC)
複数の節にまたがってカオスな状況になってしまったので状況を整理。(時間はUTCとごっちゃになってます)
- 状況
- Kanohara氏が出典記述をテンプレートに変更し、事後報告(2009年5月23日 (土) 12:44 UTC)。
- 駄ニメが編集に参加(2009年12月27日 (日) 13:08)。
- 駄ニメ編集部分の出典情報の間違いが修正される(2009年12月31日 (木) 01:56)。
- 駄ニメ、ノート:ゲーム節で『「脚注に於ける出典明記の簡略化」を提案する(予定)』発言(2010年1月8日 (金) 03:41 UTC)。
- 駄ニメ、編集時に『大量の出典情報がごちゃごちゃしていて編集に支障がある(編集ポイントが見付けづらい)ので、テンプレを理由に同じ情報を何度も書き込まないで欲しい。』コメント(2010年1月10日 (日) 10:48)。その後、『出典・脚注に於ける出典明記の簡略化の提案』を実行(2010年1月10日 (日) 08:40 UTC)。提案内容は該当部分を参照。
- Kanohara氏、『現在の形式に固執しているわけではありませんし、その後他の方からの反論などもありませんから、駄ニメさんが反論しないのであれば合意形成は済んでいるものと考えます。』とコメント(2010年1月10日 (日) 22:01 UTC)し、自主的に出典情報を修正(2010年1月11日 (月) 07:01)。細部に関して議論自体は続行。
- 駄ニメの井戸端会議ので発言を根拠に、Kanohara氏が議論終了、合意形成と判断し、議論をクローズ(2010年1月31日 (日) 18:14 UTC)。
- 修正されたゲーム節記述の出典部分を Kanohara氏がテンプレ書式に『勝手に修正(本人の発言)』(2010年2月9日 (火) 10:25)。
- 議論再開(2010年2月9日 (火) 16:56)。同時にKanohara氏の編集は合意に反するので駄ニメが差し戻し(2010年2月9日 (火) 16:59)。
- Kanohara氏が『合意は原作単行本の情報のみ』として差し戻しを差し戻し(2010年2月9日 (火) 23:47)。
- Kanohara氏が議論の最中にも関わらず『一時的に合意』として該当部分を修正(2010年2月10日 (水) 19:32)。
- 上記行為により駄ニメは「合意を追認」したと判断。議論の終了を宣告(2010年2月10日 (水) 23:01)。
- 問題点
- 提案の内容:『本文に於けるテンプレを用いた現在の出典・脚注に関する情報の記載方法は、個人の善意(?)によりある日突然変更されたものであり、事前に変更について協議されて変更されたわけではありません。変更を実行したKanoharaさんはテンプレが便利だと言いますが、テンプレを使用するよりも「単行本第1巻3ページ」等と書いた方が早く、記述者の負担も少ないのは明らかです(提案者はテンプレの使い方すら知りませんので、テンプレが便利というのはただの個人的な主観と考える次第)。現在の本文記述に於いて「テンプレを使用した出典・脚注をする」というような決まりはなく、簡単に書いても恐らくKanoharaさんがテンプレを使って修正してくれるとは思いますが、実際の編集画面は、テンプレを使った出典・脚注の情報だらけで、一部を修正しようにも編集ポイントを見付けるのにも苦労する有様です。実際にテンプレが使用されている出典・脚注の情報も、テンプレを利用しているために重複記述が多いうえに、本当に必要な記述が分かりづらいという欠点もありますので、出典・脚注の情報はテンプレを使用しない簡素なものにする事を提案します。(該当部分を引用)』の解釈。
- 合意の内容:提案に対し、修正および付加事項の追加は行われていないが、Kanohara氏は「合意は書籍情報に限定される」と主張。
- 追認行為:緊急を要するわけでもないのに、Kanohara氏が議論の最中にも関わらず『一時的に合意』として該当部分を修正(2010年2月10日 (水) 19:32)した行為が「追認」に当たるか?:議論中に議論該当部分を議論相手の主張に沿って修正を行った以上、合意を追認したと考えるのが妥当(駄ニメの主張)/追認した覚えはない(Kanohara氏の主張)
こんな感じ。--駄ニメ 2010年2月12日 (金) 01:07 (UTC)
- コメント 当方がしばらく体調を崩し、その後PCの故障といったトラブルがあったりしてウィキペディアを離れており、長期間返答に応じられなかったことをまずはお詫びします。
- さて問題の状況ですが、上記で駄ニメさんご自身がまとめておられるように、そもそも駄ニメさんの提案の内容は「大量の出典情報がごちゃごちゃしていて編集に支障がある」ため「同じ情報を何度も書き込まない」ことを求めるものである、と認識しています。駄ニメさんが提案した問題は、重複する記述が解消された時点で解決しているはずなのです。駄ニメさんにも私にも異なる考えがあり、意見は完全に一致しなかったものの、「テンプレートの入力必須項目であるからと言って同じ情報を繰り返し記述するのは、脚注の長大化を招き有益ではないので、テンプレートには固執しない形で情報を整理し、重複記述を避けるようにする」という趣旨において、私と駄ニメさんの間には共通の認識が生まれ、その点では私と駄ニメさんの間に合意形成が成立したと考えています。一方その解決のための手段が「同じ書籍から何度も情報を参照する場合、作者名や出版社といった重複する情報は避ける」(私の認識)のか、「出典テンプレートの使用を一切禁止する」(駄ニメ)のかで、認識のズレはあったようです。そのような認識のズレがあることは、合意形成を宣言した時点では私も駄ニメさんも互いに把握しておらず、そのため互いの編集内容を合意違反と受け取り編集合戦が行われたものと認識しています。
- 私が把握する限り、駄ニメさんの提案はあくまで「同じ情報を何度も書き込まない」という問題を解決するために提起されたものであるはずで、今回問題になったGpara.comの記事のような、本文中でただ一箇所から参照されているのみで、同じ情報を何度も繰り返し書かれている訳でも、別の節に参考文献情報がまとめられている訳でもない情報を「簡略化」する大義はありません。強いて言えば「ウィキペディアのいち編集者である駄ニメさんにとって見づらい」という趣旨の根拠は示されていますが、その点については私は「私はむしろ見やすいと感じるし便利だと思う」と反論しましたし、駄ニメさんの意見に賛同する意見もなく合意形成には至っていないと考えます。駄ニメさんが「本文中の出典テンプレートを一掃することが問題の解決に繋がる」と本気で考えていることは別に疑いませんが、駄ニメさんは今後も、ノートの議論に目を通さずに出典テンプレートを用いて加筆を行ったような編集者に対して、今回のように逐一「合意違反」と称して差し戻しを続けるつもりなのでしょうか? だとしたら不毛な提案であると言わざるを得ません。そもそも出典テンプレートはこの記事に限らず、ウィキペディア上のあらゆる記事で使われているものです。駄ニメさんはこんなところで出典テンプレートの見辛さを主張して議論するよりも、「Wikipedia‐ノート:出典を明記する」辺りに議論を持ちかけて、出典テンプレートの廃止に向けてウィキペディア内の合意を取り付けるべきです。
- 「今後も出典テンプレートの使用を禁止する」という駄ニメさんの提案については、今のところ私は駄ニメさんの提案に反対していますし、見たところコメント依頼が出された後も駄ニメさんの提案に賛同する意見がなく、また駄ニメさんから反対意見を納得させるための代案なども提案されておらず状況が変化していないため、駄ニメさんの提案は合意が得られなかったものと考えています。
- 駄ニメさんの主張する「議論中に議論該当部分を議論相手の主張に沿って修正を行った以上、合意を追認したと考えるのが妥当」という点ですが、これは議論の経緯は閲覧者にとっては関係がないことであり、執筆者が記事を人質に取るような形で互いには張り合うのは記事の発展の益にならないと考えて、議論が終了するまでの一時的な応急処置としてテンプレートを使用しない書き方に応じはしました。ですが加筆者にとっては大いに関係のある問題であり、これは私が駄ニメさんの意見に追認したという意思表示でも何でもありません。「テンプレートを用いないほうがよい場合もある」として合意に至った内容を、テンプレートを用いた方が書きやすいケースにまで適用するのは無理があります。駄ニメさんはテンプレートを使わない書き方に固執しておられますが、「テンプレを使わずとも必要な情報が書き込める」とは「テンプレートを使っても使わない場合と同じ情報を書き込める」とも言え、執筆者にとってどちらが見やすいかという相対的な問題でしかありません。--Kanohara 2010年3月31日 (水) 16:28 (UTC)
報告 下記の「#注釈・出典の簡素化に関する提案」で提案したように、後に「Help‐ノート:脚注#group や name の設定について」で示された解決策に基づいて、テンプレートを用いている脚注を{{Reflist}}内のref属性へと移動させました。駄ニメさんが問題視していたのは、出典テンプレートを用いるとソースの可読性が損なわれることであると把握していますが、このように本文と脚注を切り離す方法によってソースの可読性は改善されたため、駄ニメさんが懸念していた問題は解決したものと考えます。--Kanohara 2011年10月4日 (火) 14:18 (UTC)
一利用者としての提案です(殆ど記事の編集を行ったことがないので、つたない記述はご容赦ください)。過去多くの話し合いがなされているようですが、やはりこの注釈・出典数は異常です。必要でない情報であると同時に、非常に読みづらいです。多くの出典は本文内に移動させるなり、削除するなりできるはずです。多くの人が編集することで情報が充実するという前提を、出典で固定化してしまうのはどうかとも思いますし。——以上の署名の無いコメントは、125.175.179.21(ノート/Whois)さんが 2011年9月22日 (木) 21:07 (UTC) に投稿したものです(Kanoharaによる付記)。
- コメント それについてはこのノートをご覧の通り、過去の議論で散々言い尽くされたはずです。私は、記事の記述が作中における如何なる場面の描写を根拠にしているのか分からないような状態に戻すことには反対ですし、一方で『GA 芸術科アートデザインクラス TVアニメビジュアルガイドブック』のような作者以外の第三者が執筆した二次資料は、駄ニメさんが資料として用いるべきではないと主張しているため、どうにも解決の目途が立たない状況にあります。そもそも125.175.179.21さんは異常と言われますが、私が過去に関わった「初音ミク」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「ねこシス」「ねこ耳少女シリーズ」「魔法少女まどか☆マギカ」といった記事では、この程度の脚注数は普通のことなので、私はそうは思いません。関連する「ノート:かなめも」「Wikipedia:井戸端/subj/原典は参考資料に含まれるのか?」の議論もご覧ください。
- もし[1]とか[2]とかいった脚注が見づらいということであれば、ユーザースタイルシートに
sup.reference { display: none; }
- を指定すれば、脚注を非表示にすることができます。これについては私の利用者ページの「利用者:Kanohara#脚注と私」で紹介していますので、宜しければご覧ください。
- ウィキペディアの編集者の中には、作品を見慣れていればどの記述を元にしたのか把握できるような内容にも、せっせと要出典を追加していく方も少なくありません。私が知っているものだと、例えば「医龍-Team Medical Dragon-」の記事などがそうです。「ノート:わが命つきるとも#ストーリー節の編集について」の議論のように、(このノートでの駄ニメさんの主張とは対照的に)すべての記述は二次資料に基づかなければならないという主張もあったりします。多くの人が編集するということは、作品について詳しいつもりで実は詳しくない方が不正確な情報を紛れ込ませてしまう可能性を含むものであり、同時に正しい情報を「これは俺の知っている情報と違う」と思い込んで除去させてしまう可能性を含むものです。苦労して集約した情報が、一部の不確かな情報によって全て信頼できない内容になってしまうことも、その結果価値ある内容まで信用できないと見做されて無造作に除去されてしまうことも、私共は避けなければなりません。そのために脚注方式は有効です。
- なお余談になりますが、過去に駄ニメさんが指摘した、refタグ内の記述ややテンプレートを多用することでソースが見づらくなるという問題点については、その後「Help‐ノート:脚注#group や name の設定について」で解決策が示されており、私も「魔法少女まどか☆マギカ#脚注」などでこれを積極的に用いるようにしています。しばらくこの記事の編集からは離れているのですが、いずれこの記事にも用いるつもりでおり、その際にはソースの可読性については幾らか改善できるものと考えています。--Kanohara 2011年9月22日 (木) 22:41 (UTC)
- 報告 前述のように、とりあえず出典の参照にテンプレートを用いているものに限っては、脚注節内の{{Reflist}}内に記述する形式にしておきました。単行本を出典としている内容についても同様のことを行うかどうかは検討中です。--Kanohara 2011年10月4日 (火) 14:21 (UTC)