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>「数学は答えさえあってれば良い」との理系出身者とは思えない理由で、論拠が誤っている正解者を優等生に選出した事もある。もっとも、このような発言は、「解答した理由もあわせて答えよ」という設問ではないことから、入試の際など時にはこういった手段を限定的に用いることも1つの選択肢であることを示したに過ぎない、との解釈も成立する。
数学は答えを導くための式は何通りもあるわけで 教科書に載ってる公式が必ずしも最善の式ではない 「数学は答えさえあってれば良い」というのは 単純に公式に拘る必要は無いという意味だと思います
>2007年8月、カンヌ映画祭にて「GLORY TO THE FILMMAKER」賞が新設されることとなった。これは「監督!ばんざい」に基づいてつくられたもので、現地時間の8月30日に行われる表彰式に出席する予定。
ベネチア国際映画祭ではないでしょうか?
>黒澤は北野のことを「ビート君」と呼んでいた。
「まあだだよ」のメイキングで「黒澤監督の映画はどうして面白いのか?」という質問に 「たけしさんにでも聞いてよ」と答えてるので”「ビート君」と呼んだこともある”あたりが 適切でしょう。
参加したテレビゲームはタイトーの「たけしの戦国風雲児」もあると思います。
主な主演ドラマ とかもあったほうがいいかもしれませんね。 「刑事よろしく」とか。
個人的には、コメディアンと映画監督を分けるべき・・・のような感じで引っかかるのですが、北野氏本人の弁で「カンヌで思い切り凄い賞取りながらも、バラエティーではくだらねェ最低なギャグかまして、カンヌざまあみろとか言ってやりたい」(大意)と、氏特有のウィットを込めて語った事からすると、切り離して活動しているわけではないのかなとも思います。
ところで、漫才も当然自己演出の成果ではありますが、北野氏が公然と演出家という立場を意識した発言は、「仁丹」のTVCMの制作に際して自分なりの演出アイデアを、ラジオ番組「オールナイトニッポン」中に語ったのが、最初の例でないかと思います。その辺も含め、CM作品もドラマに限らず盛り込む記事内容はあるでしょう。
'05/7/8の編集で田代まさし氏の事が付け加えられてますが、あの記述は必要なんでしょうか?一緒に仕事した回数も少なそうなのに、冒頭の文章として記述するのにふさわしいとは思えません。和田アキ子さんや志村けん氏の項目で記述されるならわかりますが、これは必要ないでしょう。百歩譲って記述を残すなら文章のもっともっと後ろだと思います。芸人ビートたけしを知らない人は少ないでしょうが、百科事典としては氏を知らない人にもどんな人か分かる様に記述すべきです。あの一文はたけしと田代とが関係が深いのか深くないのか混乱させます。削った方がいいと思います。Tonkaz 2005年7月16日 (土) 00:34 (UTC)
田代まさし氏の記述、削除しました。--Tonkaz 2005年8月7日 (日) 01:11 (UTC)
「映画監督」の項目について。何度書いてもネガティブな記述でとどめようとする人がいるのはなぜなのでしょう?(履歴参照) 少なくとも、現在ある記述は裏の取れるものであり、個人の嗜好だけとどまるものではないと判断します。もし他の記事に移すなどの作業をしているなら、その旨、記述ください。yukichi 2005年10月2日 (日) 23:51 (UTC)
たけしさんの映画評価の裏事情については、まあ残念なんですが、割とよく言われていることです。いくらなんでも、趣味的に始めたことが、あらゆる精鋭の集まる世界的な舞台ですんなり認められ「世界の北野」へ・・・なんてうますぎる話だと思いませんか。カンヌ自体そういうところになっています。単純に作品だけではなくて、その人の過去の実績や人生も含めて授与に値するかどうかが決まります。その点、たけしの映画は必ずしも一流品ではないが、彼の波乱万丈の生き様や日本の実績などトータルに考えての評価でしょう。
↑
>カンヌ自体そういうところになっています。
大嘘ですね。私は以前ロンドンに住んでいましたが、現地では『MISHIMA以来』と言われるほど話題になっていた時期がありました。むしろ逆で先入観無しに良い物(今までになかった斬新なもの)を素直に評価される場です。カンヌさえも冒涜する傲慢、アホですね。2007/4/1/social.fools
何をもって「たけしの映画は必ずしも一流品ではないが」などと決めつけることができるのですか? 彼の作品は、タレント/ボードビリアンとしてのビートたけしの名声や個性などと全く関係なく、純粋に作品として一流であることは間違いがありません。それは、淀川長治や蓮實重彦、山根貞男等の信頼の置ける複数の批評家達が諸手を挙げて賞賛していることや、フランスの世界的に著名な映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』で特集が組まれたことがあること、Kitanistと呼ばれる熱狂的なファンがヨーロッパを中心に少なからずいること、さらには先のベネツィアで内容が明らかにされないまま新作が売りに出された(ほど価値があると見なされている)ことなどからはっきりと証明できます。おすぎとかいう映画評論家等という肩書きを付けることが間違いとしか言いようのないような人間や口さがない連中が、タレントとしてのビートたけしを羨んで批判めいたことを言ったり、ろくに映画を観たことが無く批評や判断など出来もしないような人間が軽々しく悪口を言う(書く)ことはしばしば耳にし目にしますが、そんなのは何の判断基準にもなりません。 北野武は現在の日本において最も有能かつ重要な映画作家ですし、日本映画史においても間違いなくその名を残す人物です。断言します。--parole 2005年10月1日 (土) 20:15 (UTC)
荒しがいるようなので、戻しておきましたゆきち 2005年10月6日 (木) 12:40 (UTC)
ゆきちさん、revertありがとうございます。そして、私の早とちりと勘違いにより、ゆきちさんに対し、見当違いな批判を行ってしまい誠に申し訳ありませんでした。以降は充分に気をつけさせていただきます。本当に申し訳ございません。--parole 2005年10月6日 (木) 16:59 (UTC)
ビートたけし本人の写真が掲載されています。写真自体はクリエイティブコモンズでリリースされているものの、肖像権やパブリシティ権を考えると、きわめて不適切のように思います。--ケンチン 2005年12月16日 (金) 10:49 (UTC)
☆--十舞啓斗(Redcrimsoncross) 2005年12月28日 (水) 03:23 (UTC)☆ すみません。 「オレ達もう終わっちゃったのかなぁ・・・」「バカ野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」と呟く日本青春映画史に残る名ラストシーンを撮影する。 このシーンは、事故の後遺症と戦う「北野武」本人の挑戦状であり、…… ↑とありますが、初めて聞いたのですが、これは通説なんですか?
↑推測でしかありません。今回修正しました。
映画監督としての記述をめぐる編集合戦によって編集保護となる。(編集1&編集2&編集3を参照)--経済準学士 2006年1月2日 (月) 15:00 (UTC)
英語版で「ビートたけし」が"beat"となっていますが"beet"の誤りではないでしょうか?
山本耀司さんの衣装協力・監修は入れるべきだと思います
CM出演の項にACジャパン等を入れるべきだと思います。
「星をつぐもの」が抜けています。 戦時中の山村が舞台で、たけしと子どもたちの触れ合いがテーマだった映画です。
みんな~やってるか! が抜けています。--218.47.48.49 2007年11月12日 (月) 09:03 (UTC)
たけし・所のWA風が来た!(朝日放送)を、たけし・所のWA風がきた!(朝日放送)。 それか前者のタイトルをリダイレクトさせておきます。。。(;-;) 2006年3月28日 (火) 18:15 (UTC)
フライデーの記者がA子さんへの強引な取材で罰金10万円の判決を受けている事も付記願います
主な歌唱作品の中に、明石家さんまと一緒に歌った『アミダばばぁの歌』と『ビックリ箱の歌』が抜けています。ビートたけし名義ではないものの、実際に歌っているので、この中に入れても良いのではないかと思います。
Takeshisan played as actor in Jean-Pierre Limosin's (ジャン・ピエール・リモザン) movie.
feat. Ren Osugi (大杉漣), Hinano Yoshikawa (吉川ひなの), Shinji Takeda (武田真治), Tetta Sugimoto (杉本哲太)
*Tokyo Eyes(1998年、ジャン・ピエール・リモザン監督、武田真治と共演)
I Am Not Enthusiast 2006年8月16日 (水) 23:35 (UTC)
今回ツービートとなるべくシンクロするように地道に修正を進めたいと思っています。私のネタ元はたけしさんの浅草時代の同僚井上正義(作家、毒針巷談の監修者)さんです。ところで嫉妬や屈折した羨望なのか、たけしさんをわざわざ賛辞するのも趣旨からするのもアレですが、意図的にネガティヴ表現にしている事が多いのが気になります。都度フラットに修正します。わたしはなるべく前の記事を残そうと考えるあまりに文脈がおかしかったり細部がおかしいことがあると思います。何卒ご修正でお手を煩わせるかも知れませんが宜しくお願い致します。/hariu
↑お疲れ様です。フラットにしよう、という作業は重要ですね。ただ、各項目が長くなっているのが気になります。これだけの評価・評論・情報をお持ちなのですから、作品それぞれを別途独立したページにしたほうがいいのでは。現状ですと、おそらくそれぞれに加筆・削除も付くようになり、これだけ賛否の分かれる方ですから、場合によってはまた編集合戦→保護に、ともなりかねません。私的な感想も含めて言いますと、「ビートたけし」を理解するのに、映画一本一本をすべて知らなければいけないの?と思う人もでてくるかもしれないなあと。検討いただければ幸いです。--えむえすじょー 2007年1月6日 (土) 23:19 (UTC) ↑ご指摘の点私が見直しの上でシェイプ致しましたがいかがでしょう。hariuさん。2007/4/1/social.fools
たけしさんの番組にはさまざまな記録があります。最短打ち切り番組記録などを載せると面白いと思うのですがいかがでしょうか?--218.230.150.228 2007年4月20日 (金) 06:52 (UTC)
不適切ですので血液型の記載を取り消してください。
元男闘呼組の高橋和也主演の「やったぜ、ベイビー!」もとりあえず加えるべきでは。
たけしの戦国風雲児とファミリートレーナー 突撃!風雲たけし城もその中に入るかと思うのですが。 加えてもいいのではないでしょうか。--SaRo SERGIO21.103 2007年11月19日 (木) 12:53 (UTC)
トリビア的情報や主観表現が余りに多く、随時削除・推敲しておりますが、経歴欄の圧縮の為、年表形式で再構成しようと考えております。一応、報告だけです。--巴投 2008年3月27日 (木) 22:38 (UTC)
田中康夫による評について一部戻しました。芸能界の枠外にあり、かつ長年の交流のある人物なので、評価の変遷の記述には一定の価値があると考えたためです。田中康夫の発言を全面的に信頼できる情報源と見なすことはやや無理があるでしょうが、たけしの評価に関しては記述の意義があると思っています。--Sheepech 2008年3月28日 (金) 12:56 (UTC)
上杉くらげさんの編集をいったんリバートさせていただきました。テレビ番組内での発言で検証可能性がやや低いことがまず1つ、今回の発言のみでなく過去に『だから私は嫌われる』その他では改憲意見を述べていたことや「北野党」結成計画があったことなど「政治問題」に関する事項の中で記述されるべきと考えたことが1つです(出典となる書籍が手元になくすぐにはできませんが)。もし今回の放送が書籍化されるなどして検証可能性を満たすようになったとして、今回の発言を記載することそのものには反対しません。--Sheepech 2008年9月23日 (火) 16:51 (UTC)
「北野武にとって重要ではない」との理由でAz009さんによってエピソードの一部の記述が消されていますが、この件についての是非をノートでお伺いしたいと思います。私としてはAz009さんが「不要」と判断して消している内容も北野武を知る上で重要だと思うのですが。--UNICAMERA 2008年11月22日 (土) 10:59 (UTC)
私の基本スタンスは、ファンサイトではないのだから記述者の主観で取捨選択されだしたらキリがない”エピーソード”の項目は要らない、と言うものです。松本の件ですが、他の映画監督との種々のエピドードが有る中で、何故これを記述しなければいけないのか?理解できません。松本ファンを喜ばせる為に記述する事には意味がありません。黒澤についてもしかり、何せ”一度しか会った事が無い”と言うぐらいですし、北野自身も黒澤についてほとんど言及していません。ならばという事で、資料性?のありそうなゴーダールの発言を記述しましたが”エピーソード”の項目ごと消去されても一向にかまいません。--Az009 2008年11月24日 (月) 12:18 (UTC)
Az009さんのご意見に賛成します。黒澤および松本に関する言及は、いずれも両者のファンからの書き込みと感じられるような内容で、エピソードそのものもさして重要ではないと思います(特に松本に関する発言)。なお、確かに黒澤明に関して北野武はインタビューなどで発言はしていますが、「北野のベスト映画は『七人の侍』」との発言は寡聞にして知りませんし、北野武はこと映画作家に対しての評価は非常に慎重ですから安易に「ベスト」などと言い切るようには思えないのですが・・・。--parole 2008年11月25日 (火) 01:34 (UTC)
監督作品の受賞歴を各映画の個別記事のほうに移管しようと思いますが、どうでしょう。--UNICAMERA 2009年1月12日 (月) 03:34 (UTC)
まとめて記述されていれば有意かとは思います(もちろん「Wikipediaはデータベースにあらず」のルールは知っています)。作品個別ページと重複記載されていても、この程度なら許容範囲だと思いますし、ビートたけしの芸能活動の中でも映画は大きな比重を占めていますが、他の項目とのバランスを逸するほど記述割合が多くなっているとも思えませんし。--Az009 2009年1月21日 (水) 14:17 (UTC)
返信を忘れていました。「wikipediaはデータベースではありません」、それは当然のこと。ただ、私は受賞歴自体を削除しようとは言っていないはずですが。本題ですが、映画に対する賞は監督賞であっても、北野武個人より、映画自体に対して送られたと考える方が良い気がします。少なくとも、映画自体で得た賞を「ビートたけし」に載せる必要は無いはず。また「ビートたけし」の項目は記事量が多いのですから、スリム化を図るほうが管理の面、読みやすさの面で良いと考えますが、いかがでしょうか?--UNICAMERA 2009年4月4日 (土) 05:25 (UTC)
Syunsuke0629氏による2009年4月3日 (金) 07:37版の更新内容ですが、ORICON STYLEからの無断転載の疑いがあります。半保護のため自分は削除依頼に必要な手続きがとれませんので、どなたか差し戻しあるいは部分削除の手続きを代行してはいただけませんでしょうか。--ocn
レジオンドヌール勲章と芸術文化勲章(混同されることが非常に多いです)の記事の点検をしているのですが、気になった点があるので質問をお願いします。北野武氏が先日芸術文化勲章のコマンドゥールを受勲したのはご存じの通りですが、1999年にフランスから授与された勲章は何であったか正確にご存じの方はいらっしゃらないでしょうか? この記事では先日までレジオンドヌール勲章シュヴァリエとなっておりましたが、現在は芸術文化勲章シュヴァリエに訂正されております。この訂正に用いられた情報源、その他1999年の受勲内容を確認できる情報源を教えて頂けると助かります。--Igitur 2010年3月10日 (水) 12:55 (UTC)
コメント依頼よりお越し下さって、ありがとうございます。
皆さんのコメントをお待ちしております。よろしくお願いします。--Anti-Propaganda 2010年7月3日 (土) 13:34 (UTC)
これまでに、利用者:Ryota7906さんと当方利用者:Anti-Propagandaのやりとりで、それぞれの草稿が出ています。
精神世界に関心が深かったたけしは、テレビや雑誌で麻原彰晃と対談し<ref>『ビートたけしのTVタックル』 1991年12月30日放送</ref><ref>『BART』 1992年6月22日号、集英社</ref>、そのことはオウム真理教のプロパガンダにも利用されたが、一連のオウム真理教事件の後は沈黙を保ったままである。精神世界への関心も以前ほどには公言しなくなっている。なお同時期、たけしはカルト批判小説『教祖誕生』(1990年12月10日、太田出版)を執筆し、1993年の映画化の際は自ら出演もしている。
麻原彰晃がマスコミにもてはやされていた頃、テレビや雑誌で対談し、<ref>『ビートたけしのTVタックル』(1991年12月30日放映)</ref><ref>雑誌『BART』(1992年6月22日号、集英社)</ref>(他に出典があれば御協力お願いします。)また、それがオウム真理教のプロパガンダに利用されてしまった。その当節、たけしはカルト批判小説『教祖誕生』(1990年12月10日、太田出版)を出し、 1993年の映画化の際は出演した。ラジオやテレビ出演時には、自他が落ち込むくだりで「宗教変えちゃおうかな!」「宗教変えたんだって?」等、宗教の類いをネタにしてはならないというタブーそのものをフリにしたボケがあった。<ref>『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』(1987年)におけるBIG3トーク</ref><ref>『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』(2008年、太田出版)</ref>
これらの2つの観点に対し、多くの中立な観点をお待ちしております。
最初に、利用者:Ryota7906さんが、2010年1月29日、「人物」に加えられた記述です。
加えられた理由は、利用者:Ryota7906さん御自身から頂いた会話へのお返事を御覧下さい。
争点は、独自解釈の相違 です。
皆さんの御意見をお待ちしています。Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
あるいは、この項目そのものが、「ただ単にごく小さな少数派にしか支持されていない観点」なのかもしれません。
皆さんのお知恵をお借りしたいと存じます。
以下、ページ編集・会話編集・ノート編集になります。
利用者:Ryota7906さんに尽力して頂いて、当方も真摯に努めたのですが、おそろしく長く、閉口してしまう内容になってしまいました。ごめんなんさい。
それでは、なにとぞよろしくお願い申し上げます。--Anti-Propaganda 2010年7月3日 (土) 13:34 (UTC)
ページ編集 2010年1月29日 (金) 15:52 Ryota7906
精神世界に関心が深かったたけしは、特に麻原彰晃と個人的に親しく、テレビや雑誌で対談するなどしていたが、一連のオウム真理教事件の後は沈黙を保ったままである。精神世界への関心も以前ほどには公言しなくなっている。差分
ページ編集 2010年6月8日 (火) 01:13 221.89.31.4 (= Anti-Propaganda)
麻原彰晃がマスコミにもてはやされていた頃、対談企画を組まれていた。宗教観は明らかにしていないが、ラジオやテレビ出演時、"落ち込む"くだりで「宗教変えちゃおうかな!」「宗教変えようかと思って。」等、タブーそのものをネタにしていた。
ページ編集 2010年6月22日 (火) 15:42 Ryota7906
精神世界に関心が深かったたけしは、麻原彰晃がマスコミにもてはやされていた頃、麻原と個人的に親交を持ち、自身が司会を務める番組「TVタックル」や雑誌「BART」、オウム真理教のパンフレット紙上で対談するなどしていたが、一連のオウム真理教事件の後は沈黙を保ったままである。精神世界への関心も以前ほどには公言しなくなっている。宗教観は明らかにしていないが、ラジオやテレビ出演時、"落ち込む"くだりで「宗教変えちゃおうかな!」「宗教変えようかと思って。」等、タブーそのものをネタにしていた。
ページ編集 2010年6月23日 (水) 03:05 Anti-Propaganda
麻原彰晃がマスコミにもてはやされていた頃、テレビや雑誌で対談を組まれ、また、それがオウム真理教のプロパガンダに利用されてしまった。その当節、たけしはカルト批判小説教祖誕生(1990年12月10日、太田出版)を出し、1993年の映画化の際は出演した。人権(信教の自由)あるいは自由権(思想・良心の自由)のため、自身の宗教・思想観は明らかにしていないが、ラジオやテレビ出演時、"落ち込む"くだりで「宗教変えちゃおうかな!」「宗教変えようかと思って。」等、【宗教の類いをネタにしてはならない】というタブーそのものを『お笑い』に昇華していた。
ページ編集 2010年6月23日 (水) 11:06 Ryota7906
精神世界に関心が深かったたけしは、自身が司会を務める番組『ビートたけしのTVタックル』(1991 年12月30日放映)や雑誌『BART』(1992年6月22日号、集英社)で麻原彰晃と対談し<ref>SHINRI NO TANKYUU (Welcome no the AUM-er's world)</ref>、オウム真理教のプロパガンダにも利用されたが、一連のオウム真理教事件の後は沈黙を保ったままである。精神世界への関心も以前ほどには公言しなくなっている。同時期、たけしはカルト批判小説『教祖誕生』(1990 年12月10日、太田出版) を出版、1993年の映画化の際は自ら出演している。人権(信教の自由)あるいは自由権(思想・良心の自由)のため、自身の宗教・思想観は明らかに していないが、ラジオやテレビ出演時、"落ち込む"くだりで「宗教変えちゃおうかな!」 「宗教変えようかと思って。」等、「宗教の類いをネタにしてはならない」というタブーそのものを「お笑い」に昇華していた[要出典]。
ページ編集 2010年6月23日 (水) 17:23 221.89.31.4 (= Anti-Propaganda)
麻原彰晃がマスコミにもてはやされていた頃、テレビや雑誌で対談を組まれ、また、それがオウム真理教のプロパガンダに利用されてしまった。その当節、たけしはカルト批判小説教祖誕生(1990年12月10日、太田出版)を出し、1993年の映画化の際は出演した。人権(信教の自由)あるいは自由権(思想・良心の自由)のため、他者に影響のある自身の宗教・思想観は明らかにしていないが、ラジオやテレビ出演時、自他が"落ち込む"くだりで「宗教変えちゃおうかな!」「宗教変えたんだって?」等、【宗教の類いをネタにしてはならない】というタブーそのものを 笑い に昇華していた。<ref>FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島におけるBIG3トーク、『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』(2008年、太田出版)</ref>
ページ編集 2010年6月23日 (水) 20:15 Ryota7906 (出典のある箇所を無断で削除しない。WP:JPEに従い括弧類の多用は避ける)
精神世界に関心が深かったたけしは、自身が司会を務める番組『ビートたけしのTVタックル』(1991 年12月30日放映)や雑誌『BART』(1992年6月22日号、集英社)で麻原彰晃と対談し<ref>SHINRI NO TANKYUU (Welcome no the AUM-er's world)</ref>、オウム真理教のプロパガンダにも利用されたが、一連のオウム真理教事件の後は沈黙を保ったままである。精神世界への関心も以前ほどには公言しなくなっている。同時期、たけしはカルト批判小説『教祖誕生』(1990 年12月10日、太田出版) を出し、1993年の映画化の際は出演した。人権(信教の自由)あるいは自由権(思想・良心の自由)のため、他者に影響のある自身の宗教・思想観は明らかにしていない[要検証]が、ラジオやテレビ出演時、自他が「落ち込む」くだりで「宗教変えちゃおうかな!」「宗教変えたんだって?」等、宗教の類をネタにしてはならないというタブーそのものを笑いに昇華していた<ref>FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島におけるBIG3トーク[いつ?]</ref><ref>『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』(2008年、太田出版)</ref>。
ページ編集 2010年6月24日 (木) 03:47 Anti-Propaganda (ひとまず、ノートのほうに移動させてもらいました。)
会話編集 2010年6月24日 (木) 03:52 Anti-Propaganda
Ryotaさん、先日よりこちらの項を見つけ、編集に参加させてもらっておりますAnti-Propagandaです。ログインしたりし忘れたり、せっかく頂いた出典19を入れ忘れてしまい、ごめんなさい。
おそらく、あなた様のお仕向けになりたい方向と自分のソレが違うため、俗に言う編集合戦になると思われます。
私が下がったとしても、また別の方がされるでしょう。
この項自体、思想・宗教(Ryotaさん曰くの「精神世界」)という、人権や自由権、プライヴェイトに関わってくるものです。
よって、論争になる前に、この項を全削除してはどうでしょうか?
Ryotaさんの信じてらっしゃることは、きっと素敵なことです。
アツイお気持ちもお察しします。
しかし、そのことに、たけしさんは関係ありません。
なにとぞよろしくお願いします。
会話編集 2010年6月24日 (木) 19:24 Ryota7906
まずは議論を提起していただいたことにつきお礼を申し上げます。私が「信じて」いること、の意味がよく分からないのですが、あえて言うとすれば、ウィキぺディアの記事になるぐらいの著名人であれば、それが正当なものである限りあらゆる賞賛を受ける資格があり、それが正当なものである限りあらゆる批判を甘受すべき立場にあるだろうとは思っております。ビートたけし氏がいっぽうでカルト宗教的なものに独自の批判的な目を向けながら、他方で麻原彰晃氏に好意的だったことはまぎれもない事実ですし、一連のオウム真理教事件以後ほとんど弁明らしい弁明を行っていないこともまた事実です。私としてはこの事項に触れ ないことのほうが不自然であると考えます。
(これより、ノート編集です。)
利用者:Ryota7906さん、まずはこちらに移動させてもらいました。
以下、草稿です。--Anti-Propaganda 2010年6月24日 (木) 03:45 (UTC)
麻原彰晃がマスコミにもてはやされていた頃、テレビや雑誌で対談を組まれ、
出典19 ref『ビートたけしのTVタックル』(1991年12月30日放映)、雑誌『BART』(1992年6月22日号、集英社) 等 ref終了
また、それがオウム真理教のプロパガンダに利用されてしまった。その当節、たけしはカルト批判小説『教祖誕生』(1990年12月10日、太田出版)を出し、 1993年の映画化の際は出演した。
人権(信教の自由)あるいは自由権(思想・良心の自由)のため、他者に影響のある自身の宗教・思想観は明らかにしていない
が、ラジオやテレビ出演時、自他が"落ち込む"くだりで「宗教変えちゃおうかな!」「宗教変えたんだって?」等、【宗教の類いをネタにしてはならない】というタブーそのものを 笑い に昇華していた。
出典20 ref『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』(1987年)におけるBIG3トーク※フライデー襲撃・謹慎明け後のテレビ初出演※、『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』(2008年、太田出版) 等多数 ref終了
以上です。
会話のほうでメッセージがございますので、お手数ですが御一読お願い申し上げます。--Anti-Propaganda 2010年6月24日 (木) 03:45 (UTC)
<ビートたけし『自身』が出演や対談を希望した、という事実を出典して下さい。ビートたけしも麻原彰晃も、マスコミに「呼ばれ」、「対談を組まれる」側です。
雑誌記事での件は、下記を御参照下さい。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<はい、それではそちらでまいりましょう。
こちらへ、互いの発言の旨の記録が残りましたので、充分です。
ありがとうございました。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
<そちらでまいりましょう。お知恵を下さってありがとうございます。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<それでは、他の方に呼びかけてみて、出典出来るのを待ってみましょうか。それまで、「等」は外しましょう。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<著作権は集英社にあります。雑誌記事の場合、編集者・記者の了承があれば転載可能なこともありますので、もしRyotaさんがどうしても、とお望みでしたら、集英社にお問い合わせ下さい。
しかし、転載するサイトへ、集英社のチェックが入りまして、このオウム関係者のサイトには、転載許可が下りる可能性はないと思います。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<そちらでお願いします。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
<ひとくちに「精神」と言っても、哲学や文学、芸術を意味することもあります。雑誌の発言自体、編集者の意図が加えられているので、ラジオ・テレビ、週刊ポストや東京スポーツ等のコラムでの 本人の発言 を出典して下さい。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<信頼できる二次資料 は、コピペされている通りですが、
二次資料自体について、ひも解かれて下さい。
参照下さっているページの、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源も御確認下さい。
また、おっしゃるように、東京スポーツや週刊ポストはタブロイドですが、
私は、当人の連載コラムのことを申し上げているわけです。
ここで、本旨に戻させてもらいまして、言い方を変えます。
ビートたけし自ら演出しているメディアにおける、本人の発言 を出典されて下さい。
Ryotaさんが「精神世界に関心が深かった」と解釈なさるほどです。
まさか、『BART』のその引用だけではないでしょう?他にも、きっとあるに違いありません。
Ryotaさんも、もちろん御存知のように、複数の情報源がなければなりません。Wikipedia:信頼できる情報源#複数の情報源を確認する
どうぞ、出典なさって下さい。表現云々は、それからのことです。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
<というわけであなたのいう「本人の発言」というのが、「何の編集も改変も受けていない本人の生の発言」ということであれば、
違います。本人の作品として編集されているもののことを申し上げています。書物もたくさん出されています。連載コラムだけに触れてしまいましたから、こちらの不行き届きで、混乱させてしまいましたね。ごめんなさい。--Anti-Propaganda 2010年7月2日 (金) 21:23 (UTC)
<以下、【お約束を守らないボケ】の意味が、やはりお分かりでないようですね。
お笑いは難しい。以上は、ため息まじりです。※こちらは、ツッコミですからお気になさらないで下さい。お返事は結構です。※
さて、TVタックルでの発言を出典されていますが、そういった「心の豊かさ」に関しての発言はよく見受けられます。これは、Ryotaさんが言及されている、宗教的な「精神世界」とは別の主旨です。ここでもまた、自分とRyotaさんの解釈の違いになってくるわけです。
争点は、独自解釈の相違であること が、ここでのやりとりの記録でも証明なされました。
さらに、Wiki大ベテランのRyotaさんに、こんなことを申し上げて心苦しいのですが、
「2」つで、「精神世界に関心が深かった」ことを示す「複数」の出典になるのでしょうか?それがWikipediaのクオリティーだとお考えなのでしょうか?※こちらも、質問ではなく、ツッコミですから、お返事頂かなくとも結構です。※--Anti-Propaganda 2010年7月2日 (金) 21:23 (UTC)
<あなたのおっしゃられていることが「独自解釈」そのものです。もし、どうしてもこの行を付加されたいのであれば、「精神世界への関心の頻繁な公言」を多岐に渡って出典し、他の利用者の多数の同意を得るべきです。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<私も、今一度申し上げます。
「一連のオウム真理教事件の後は沈黙を保ったままである。精神世界への関心も以前ほどには公言しなくなっている」というのは間違いだ、と考えるのであれば、
間違いだ、と考えているのではありません。Ryotaさんの解釈を尊重しております。
こちらにも、会話でのことを書かせてもらいます。
以下、Ryotaさんの発言を引用させてもらいます。
↑【たけしさんの「弁明」がない】、と思われているのは、Ryotaさん御自身です。
「弁明」の意味を辞書でひも解かれて下さい。
これ以上の話し合いには、私が先だって書いておりますように、
一度、皆さんに、
どちらの方向性が、私やRyotaさんや個人にとって、ではなく、
この記事にとって正しいのか。
それを、おうかがいしましょう。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
<たけし氏の弁明がないこと自体についてはお認めになってますね。
認める、認めない ではありません。
Ryotaさんとは違い、現状に対し、【たけしさんの「弁明」がない】と、私は解釈していないわけです。
思わぬことに、ここでも、争点は独自解釈の相違であること が如実になりました。
率直なお話、大変感謝申し上げます。--Anti-Propaganda 2010年7月2日 (金) 21:23 (UTC)
< こちらのみ、再度お返事させてもらっております。下記を御参照下さい。--Anti-Propaganda 2010年7月3日 (土) 13:34 (UTC)--Anti-Propaganda 2010年7月3日 (土) 13:34 (UTC)
<「芸人の言うこと」の範囲内であろうとなかろうと、自身の宗教観、思想観は明瞭に読み取れます。
「読み取れる」。これが、独自解釈そのものではないでしょうか?
先程の返答と同じになりますが、ラジオ・テレビ、週刊ポストや東京スポーツ等のコラムでの 本人の発言 を出典して下さい。
そもそも芸人というものは、皆、このくだりを理解している方です。ただ、実際に信仰されている芸人さんは、特定のメディアや公演に限り、信仰を公にされていますね。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<落ち着かれて下さい。
「読み取れる」と書いたからそれは独自解釈だ
言葉の揚げ足取りをされているのはRyotaさん御自身です。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
<違います。
ごめんなさい、これはRyotaさんへのツッコミなんです。お気になさらないで下さい。Ryotaさんのような真面目で良き方には、上記のように※ツッコミです※、との注釈が必要でした。申し訳ございませんでした。--Anti-Propaganda 2010年7月2日 (金) 21:23 (UTC)
<分かりました。
「人権(信教の自由)あるいは自由権(思想・良心の自由)のため、他者に影響のある自身の宗教・思想観は明らかにしていないが」はクリアしましょう。
そもそも、補足の行です。ハナシの分かる方なら御承知です。
この行に、こんなにお時間やお手間をおかけすることになり、本当に申し訳ございませんでした。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
<たけしさんの番組を観ていたら、この時期、このネタを多発していたことを御存知かと思われますが。このギャグをかました、最も有名な場面が、謹慎明けのBIG3トークです。それを、Ryotaさんにお伝えしたくて、「※フライデー襲撃・謹慎明け後のテレビ初出演※」を書きました。もうお伝え出来たので、こちらはクリアしましょう。
きっと、動画がYoutubeにありますから、御確認下さい。おもしろいですよ!自分はまだ小さかったから、このギャグの本当の面白味が分かりませんでした。
それから、""と【】は外します。半角スペースにしますね。お教え下さってありがとうございました。--Anti-Propaganda 2010年6月27日 (日) 06:12 (UTC)
<そう受け取られましたか。なかなか、お笑いというのは、難しいものですね。
タブーを笑いのフリにしている・タブーそのものを笑いに昇華する、これは、
【"お約束"を守らない】ボケのことです。
例えば、猛省すべき場面で、飄々とする、
言ってはならないことを、ギリギリの線でかます。
【"お約束"を守らない】ボケを面白いと思うか否か は、
"お約束"を分かっているか否か です。
よって、先の行に、「ハナシの分かる方なら御承知です。」とお伝えした次第です。
思わぬことに、こちらへ、Ryotaさんのお笑い観を記録出来ましたので、大変感謝しております。率直な御感想、ありがとうございました。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
少なくとも麻原氏やオウムとは何の関係もないですよね。この部分に特筆性があるのか少々疑問です。--Ryota7906 2010年6月24日 (木) 19:19 (UTC)
<それこそ、「精神世界」たる宗教関連の記述です。オールナイトニッポンの本でも、このギャグが複数確認出来ますので、よろしければ御覧下さいませ。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
<まず、引き続き、Ryotaさんのお笑い観を記録出来ましたことに本当に感謝いたします!率直な御感想、ありがとうございます!!
こんなことまで宗教関連の話題だから記述する意義があると主張なさるあなたの御説はどう見ても無理矢理です。「独自解釈」とか言う以前に単なるこじつけと言わざるをえません。
Ryotaさんにとってはそうかもしれませんし、自分を含めお笑いファンにとっては、違うかもしれません。
さあ、ここのやりとりでも、争点は独自解釈の相違であること が記録に残せました。感謝申し上げます。--Anti-Propaganda 2010年7月2日 (金) 21:23 (UTC)
<そのところ、御享受下さり、ありがとうございました。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
「編集」がタイトルの横について、すごくやりやすかったです!ありがとうございました!
ただ、自分が当初会話でお伝えした通りになってしまい、残念です。
呼びかけの件、こちらで、お返事お待ちしております。--Anti-Propaganda 2010年6月30日 (水) 04:35 (UTC)
利用者:Ryota7906 様 以上のやりとりをふまえまして --Anti-Propaganda 2010年7月2日 (金) 21:23 (UTC)
お疲れ様でした。このようにお時間と労力を下さいまして、ありがとうございます。
Ryotaさん、いずれにせよ、第三者による客観的な視点が合意形成には必要です。争点も明らかとなり、互いの行為の旨も、ノート・会話に記録されましたので、コメントの依頼に移りませんか?
以上が、Wikipedia:中立的な観点・Wikipedia:検証可能性・WP:NOR、こちらでの利用者:Ryota7906さんとのやりとりをふまえた上での、手前の草稿です。
に加筆修正され、
精神世界に関心が深かったたけしは、自身が司会を務める番組『ビートたけしのTVタックル』(1991 年12月30日放映)や雑誌『BART』(1992年6月22日号、集英社)で麻原彰晃と対談し、2010年6月23日 (水) 20:15; Ryota7906
に加筆修正され、
オウム真理教のプロパガンダにも利用されたが、一連のオウム真理教事件の後は沈黙を保ったままである。精神世界への関心も以前ほどには公言しなくなっている。2010年6月23日 (水) 20:15; Ryota7906
とされたい場合、中立的な観点を必要とします。Wikipedia:独自研究は載せない#中立的な観点
こちらの行に関しては、出典こそあれ、上記のやりとりのように、解釈の問題になります。しかし、たけしさんがこのボケを繰り返し使っていたこと事体、このボケが多数に受けていたことを証明します。このボケを面白いと思った多数の他者がボケの内容を理解した、ということも証明しています。
けれども、私がこちらの行を加えたい場合にも、やはり中立的な観点が必要となるのです。
このクォートは、Ryotaさんにも私にも当てはまるのです。
こちらのやりとりに記録されているように、互いの独自研究か否かが争点となっています。ああ言えばこう言う、というやりとり(「議論」になっていません。)は不毛です。もう、これにて御勘弁下さいませ。
どうか、コメントの依頼へ、移らせて下さい。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。--Anti-Propaganda 2010年7月2日 (金) 21:23 (UTC)
利用者:Ryota7906 様 --Anti-Propaganda 2010年7月3日 (土) 13:34 (UTC)
度々、ありがとうございます。
お気の毒ですから、これ以上、解釈の相違に関してのお返事はいたしません。
もう充分、他の利用者の方に、争点を示すことが出来ました。お疲れ様でした。
弁明云々に関してですが、諦めず、最後にもう一度お伝えします。
「弁明がない」と解釈され・記述されたいのは、Ryotaさんです。
私は、「弁明がない」と解釈し・記述すること事体に、中立的な観点を必要とする、と申し上げているのです。
自分は、「弁明がない」とも「弁明がある」とも解釈していません。「弁明」の意味をお調べ下さい。
私の解釈は、「弁明の必要性がない」です。ビートたけしが、オウム真理教事件に関与していたなら別です。
「弁明の必要性がない」という私の解釈の相違になるわけです。
もっと言えば、
「弁明の必要性がない」(だから記述の必要性もない。)という私の解釈の相違です。
会話でお伝えしておりますが、この方向性の違いが、この度のやりとりを生じさせているのです。
今一度、他の利用者の方のために、Ryotaさんの会話を引用させてもらいます。
それから、
上の記述案ですが、たけし氏が精神世界に関心が深かったことはどこへ行ったんですか。
<落ち着かれて下さい。「手前の(※私の、の謙譲語です。)」草稿と申し上げております。
「精神世界に関心が深かったたけしは、」は、Ryotaさんの草稿ですよね?
こちらを今一度お確かめ下さい。
Ryotaさんの草稿(載せて下さってありがとうございます。)を除去するはずがございません。他にも幾多のページ編集をかかえられている中、これだけやりとりにお付き合い下さったのですから。本当に感謝しています。あなたは素晴らしい方です。
Ryota7906 2010年7月2日 (金) 23:55 (UTC)
しかしあなたここまでの議論を見てもところどころお使いになってる日本語が変ですが、そういうご自覚はありますか。おそらくないんでしょうね。私だって自分の文章は下手だと思っておりますが、議論とか記述とか言う前に最低限基本的な日本語の読み書き能力ぐらいは身に着けてからこちらにお来しになってたほうがよろしいんじゃないでしょうか。
<私とRyotaさんの、どちらの「日本語の読み書き能力」がまともなのかは、それこそ第三者の了見に依ります。敬語を含めた「最低限基本的な」コミュニケィションの取り方も然りです。
けれども、ありがとうございます!約一週間、こういった数々のRyotaさんのお言葉をも記録に残せましたこと、大変感謝申し上げます。
...差し出がましいのですが、あなたは素晴らしい方なのですから、他者の心象に影響するようなお言葉や内容は、今後、お控えになったほうがよろしいです。Wikipedia:個人攻撃はしない
当事者同士だけではなく、皆さんが、御覧になっています。
また、要らぬことを申してしまいました。ごめんなさい。
再度申し上げます。あなたは、Wikipediaに尽力なさっているような、素晴らしい方なのです。そう硬化なされませんように。
それでは、コメント依頼に移らせて頂きます。初めてで緊張しますが、このような機会をお与え下さいまして、ありがとうございます!
分かりやすいように、ページ編集の過程も転載させてもらいます。
本当にありがとうございました。
お疲れ様でした。
天候不順の季節ですから、どうぞ御自愛下さい。今後ともWikipediaの編集、応援しております!
Ryotaさんの御健勝をお祈りしております。--Anti-Propaganda 2010年7月3日 (土) 13:34 (UTC)
Ryotaさん!--Anti-Propaganda 2010年7月4日 (日) 11:00 (UTC)
弁明云々のこと、御理解下さったのですね!ヤッタァ!ありがとうございます。
最初の会話から、その旨幾度もお伝えしておりますが、これぐらい書けばお分かり下さるかな、というハードルを高くしてしまいました。最初からここまで下げておくべきでしたね。本当に、始めの会話で書いておけばよかった...この1週間が、まったく無駄骨になってしまって、ごめんなさい。貴重なお時間を割いてお付き合い下さって、ありがとうございました。申し訳ございませんでした。
手前の(※私の、の謙譲語ですよ!)言い回しが独特なのは自認するところですが、以下2点、補足させて下さい。
「発言を出典されて(なさって)下さい」、というのは、
「どこそこにあるであろうクォーツ(quotes 複数形です。)をお願いします」、という意味でした。
「クォーツをお願いします」、でよかったですね。示教下さって、ありがとうございました!
それと、「そのところ、御享受下さり、ありがとうございます」、は...
ごめんなさい、これは、享受(受け取る)と教授(教え授ける)をかけたシャレで...
つまり、「別にそちら様が直さなくていいところ、直してもらって、
余計なおせっかいをありがとうございました」
という慇懃無礼なシャレでした。ごめんなさい。
会話でもそうですが、笑わせようとしてはだめなのですね。和みと笑いの線引きが難しいですが、以後気を付けます!
それでは。皆さんをお待ちしていましょう。最後に、Ryotaさんから礼節のあるお返事を頂きましてなによりです!ありがとうございました!--Anti-Propaganda 2010年7月4日 (日) 11:00 (UTC)
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