タン (フランス)
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タン (フランス語:Thann、アルザス語:Tànn)は、フランス、グラン・テスト地域圏、オー=ラン県のコミューン。
Thann | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | グラン・テスト地域圏 |
県 (département) | オー=ラン県 |
郡 (arrondissement) | タン郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 68334 |
郵便番号 | 68800 |
市長(任期) |
ジャン=ピエール・バウムレール (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes du Pays de Thann |
人口動態 | |
人口 |
9,139人 (2010年) |
人口密度 | 651人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯47度48分26秒 東経7度06分19秒 |
標高 |
平均:m 最低:328 m 最高:922 m |
面積 | 12.51km2 (1 251ha) |
公式サイト | ville-thann.fr |
オー=ラン県南部、ヴォージュ山脈の麓にある。テュール川がコミューン内を流れている。
小郡庁所在地で、周辺のコミューンを合わせて約3万人の都市圏を形成している。
2010年12月より、ミュルーズ・トラムとつながるトラム・ミュルーズ=ヴァレ・ド・ラ・テュールが開業する(fr)。
タンの名が初めて現れるのは1290年である。1360年代にハプスブルク家領のフォルダーエスターライヒ(de、スイス、アルザス、テリトワール・ド・ベルフォール、バーデン=ヴュルテンベルク南部、シュヴァーベンを含んだ)の一部として、都市特権を授かった。三十年戦争が始まると、フランスに支持されてスウェーデン軍が侵攻した。スウェーデン軍は征服した土地をフランス王へ献上した。ヴェストファーレン条約によって、タンを含むスンドゴー地方(fr)は正式にフランス領となった。1659年、ルイ14世はタンを宰相ジュール・マザランへ授けた。称号であるタン・エ・ローズモン伯爵位(Comte de Thann et de Rosemont)は、現在モナコ大公が所持している。
19世紀から1960年代まで、タンではテキスタイル産業が盛んであった。その後染色作業に不可欠な化学工業が加わった。産業が盛んであったために国内でも早く、1839年にミュルーズとの間に鉄道が敷かれた。
1870年の普仏戦争でフランスが敗退し、タンを含むアルザスはドイツ帝国領となった。フランス国籍を望んだ一部の住民はタンを後にした。第一次世界大戦中の1914年にフランスに再度占領されたタンは、深刻な被害を受けずに、4年の間『自由アルザス』の首都となった。
現在のタンではサービス業と観光業が主であるが、ワイン作りも行われている。タン及びヴュー=タンで作られるワインは、アルザス・グラン・クリュ・ランゲン(fr)としてAOCに指定されている。
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