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スペインのサッカー選手 ウィキペディアから
セスク・ファブレガス(Cesc Fàbregas)ことフランセスク・ファブレガス・ソレール(Francesc Fàbregas Soler, 1987年5月4日 - )は、スペイン・カタルーニャ州アレニズ・ダ・マール出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現在はコモ1907の監督を務めている。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。愛称は「セスク (Cesc) 」。
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チェルシーでのセスク (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
フランセスク・ファブレガス・ソレール Francesc Fàbregas Soler | |||||
愛称 | セスク、エル・アルキテクト | |||||
ラテン文字 | Cesc Fabregas | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1987年5月4日(37歳) | |||||
出身地 | アレニズ・ダ・マール | |||||
身長 | 180cm[1] | |||||
体重 | 75kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CMF) / FW(ST) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1997 | マタロー | |||||
1997-2003 | バルセロナ | |||||
2003 | アーセナル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2011 | アーセナル | 212 | (35) | |||
2011-2014 | バルセロナ | 96 | (28) | |||
2014-2019 | チェルシー | 138 | (15) | |||
2019-2022 | モナコ | 54 | (3) | |||
2022-2023 | コモ | 17 | (0) | |||
通算 | 517 | (81) | ||||
代表歴 | ||||||
2002-2003 | スペイン U-16 | 8 | (0) | |||
2003-2004 | スペイン U-17 | 14 | (7) | |||
2005 | スペイン U-20 | 5 | (0) | |||
2004-2005 | スペイン U-21 | 12 | (8) | |||
2006-2016 | スペイン | 110 | (15) | |||
監督歴 | ||||||
2023 | コモ プリマヴェーラ | |||||
2023 | コモ B | |||||
2023-2024 | コモ (アシスタントコーチ) | |||||
2024- | コモ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
FCバルセロナのカンテラで育つ。ここでリオネル・メッシやジェラール・ピケらと共にプレーした。2003年のU-17世界選手権にU-17スペイン代表の一員として出場し準優勝を果たす。自身も5ゴールを挙げて得点王となると共に、大会最優秀選手に選出された。FCバルセロナでも才能は認められていたものの、トップチームにはシャビ・エルナンデスやイニエスタなどの同ポジションの選手がいたため、大会後間もなく才能に惚れ込んだアーセン・ヴェンゲル率いるアーセナルがスペイン、イングランドの労働法の隙間やFCバルセロナの会長選という期間を狙って移籍金なしで獲得した。その後、裁判所からFCバルセロナへの85万7000ユーロの支払い命令が下った。
パトリック・ヴィエラの放出に伴いチームの舵取りを委ねられた2005-06シーズンには、シーズン当初は経験不足を感じさせるプレーも多かったものの、シーズンが深まるにつれて調子を上げ、それにつれチームも波に乗っていった。UEFAチャンピオンズリーグのユヴェントス戦ではゲームを支配し、自ら先制点を奪う活躍を見せてチームの勝利を演出。前任者ヴィエラの眼前でその穴を埋めたことを示してみせた。
2006-2007シーズンより、ヴィエラが背負っていた背番号4番を受け継ぐことになった。シーズンオフより移籍の噂が絶えなかったが、新たにアーセナルと8年契約を結んだ。また2007年1月に発表された「2006年UEFA.comユーザーが選ぶベストイレブン」に、唯一10代で選ばれた。また、同シーズンはプレミアリーグでアシストランキング1位となった。
2008年11月29日のFCディナモ・キーウ戦からはウィリアム・ギャラスに代わってキャプテンを任されている。アーセナルではトニー・アダムスに次ぐクラブ史上2番目の若さとなるキャプテン就任となった。
2011年8月15日、ユース時代に所属していたFCバルセロナへ5年契約で移籍。移籍金は最大3900万ユーロ(約43億円)といわれる。背番号はアーセナル時代から愛着のある4番。開幕から、本来のポジションとは違うセンターフォワードを任されながらも、3試合連続ゴール。しかし、10月初めの練習中に負傷。3週間の離脱を余儀なくされた[2]。しかし、復帰後も離脱前と変わらない活躍を見せる。12月10日のレアル・マドリードとのクラシコでは、素早いカウンターからダニエウ・アウヴェスのピンポイントクロスをダイビングヘッドで押し込み、試合を決定づける3点目を決めた。12月18日に日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ決勝でも混戦の中からこぼれ球を押しこみ3点目をマークしている。この時、カメラに向かって指を7本立てるパフォーマンスを披露し、準決勝のアル・サッド戦で左足脛骨を骨折し戦線離脱したチームメイトのダビド・ビジャ(背番号7)にゴールを捧げた。
2014年6月13日に古巣アーセナルのライバルであるチェルシーFCへの移籍が発表された。背番号はアーセナル、バルセロナ時代に続き4番となった。開幕戦からボランチとしてレギュラーに定着すると、ともにリーグ最多の18アシスト、2,236本のパス成功を記録[3]。移籍初年度からプレミアリーグの優勝を飾った。
2016年12月31日のストーク戦にてプレミアリーグでの100アシストを達成した[4]。 これにより、セスクはライアン・ギグスの367試合よりも約70試合少ない293試合で100アシストを達成した選手となり、2018年にこの記録はギネス世界記録に認定された。なお、セスクは2017年にリヴァプールやトッテナムで活躍したジェイミー・レドナップ氏とともに「2人組で30秒間ボレーパス」に挑戦してギネス世界記録(15回)を獲得している[5]。
2017年2月4日には古巣のアーセナル相手に得点した一方、セレブレーションは控えた。25日のスウォンジー戦でプレミアリーグ300試合出場を達成、またこの時点で、プレミアリーグでのアシスト数102回で歴代リーグ2位タイに並んだ(もう一人はフランク・ランパード)[6]。
2019年1月11日、元同僚のティエリ・アンリ監督率いるASモナコに2022年6月までの3年半契約で移籍[7]。2月2日のトゥールーズFC戦にて移籍後リーグ戦初ゴールを決めた[8]。
2022年8月1日、セリエBのコモ1907に移籍した[9]。2023年7月1日、サッカー選手として現役を引退することを発表。同時に、引退後はコモのBチームとU-19チームの監督に就任することも発表された[10]。2023年11月13日監督を務めていたモレノ・ロンゴ氏が解任されたため暫定監督に就任した。
2024年7月19日、コモの監督に就任すると発表された[11]。前シーズンまではライセンスを保持していなかったため、オシアン・ロバーツ監督の元でアシスタントコーチを務めていたが、実質的な監督としてセリエA昇格を決めていた[12]。
2006年3月1日にバリャドリードで行われたコートジボワール戦でスペイン代表デビュー。1アシストを記録した。代表デビュー以降、リオネル・メッシ(2005年のFIFAワールドユース選手権準々決勝で対戦)と同い年のティーンエイジャーという話題性も手伝って、「超新星」などと称してマスメディアに取り上げられ、2006年ワールドカップドイツ大会にも出場を果たした。また、EURO2008でのスペイン代表では10番を背負い、その中盤はシャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、ダビド・シルバらと共に「クアトロ・フゴーネス(4人の創造者たち)」と称された。
EURO2008本大会グループステージ1戦目のロシア戦で、代表初ゴール。シャビやマルコス・セナの控えとして臨んだ大会であったが、スーパーサブとして活躍。準々決勝のイタリア戦のPK戦では5人目のキッカーを務め、「15歳の時からまともにPKを蹴ったことがない(本人談)」にも関わらず、イタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンの動きを読み、落ち着いて沈め、スペインの勝利を決めた。準決勝のロシア戦では、セルヒオ・ラモスからのグラウンダーのパスを、柔らかいタッチでふわりと浮かせ、前方へ走り込むダニエル・グイサの胸にピタリと合わせ、ゴールを演出。さらに、左サイドに空いたスペースでイニエスタからのパスを受けると、相手守備陣が戻り切れていないゴール前に走り込むシルバへ低い弾道の正確なセンタリングを送り、これをシルバが落ち着いてゴール左隅に決めた。これら2アシストを含む4アシスト(大会最多)を記録するなど、スペインの優勝に貢献した。
2010年のワールドカップでもスーパーサブとして臨み、主に膠着状態を打破するために途中出場した。決勝戦のオランダ戦では80分から投入され、延長後半のイニエスタの決勝点をアシストするなど活躍した。
2014 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第1戦のオランダ戦、第3戦のオーストラリア戦にそれぞれ途中出場したのみとなり、チームもグループリーグ敗退という結果に終わった[13][14]。
2015年10月12日のUEFA EURO 2016予選、ウクライナ戦で代表通算100試合出場を達成した[15]。
クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | リーグ杯 | UEFA | その他 | 通算 | |||||||
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ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
アーセナル | 2003-04 | 57 | プレミアリーグ | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 |
2004-05 | 15 | 33 | 2 | 6 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 1[lower-alpha 1] | 0 | 46 | 3 | ||
2005-06 | 35 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 13 | 1 | 1[lower-alpha 1] | 1 | 50 | 5 | |||
2006-07 | 4 | 38 | 2 | 2 | 0 | 4 | 0 | 10 | 2 | - | 54 | 4 | |||
2007-08 | 32 | 7 | 1 | 0 | 2 | 0 | 10 | 6 | - | 45 | 13 | ||||
2008-09 | 22 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | - | 33 | 3 | ||||
2009-10 | 27 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 4 | - | 36 | 19 | ||||
2010-11 | 25 | 3 | 3 | 2 | 3 | 1 | 5 | 3 | - | 36 | 9 | ||||
クラブ通算 | 212 | 35 | 14 | 2 | 14 | 2 | 61 | 17 | 2 | 1 | 303 | 57 | |||
バルセロナ | 2011-12 | 4 | プリメーラ | 28 | 9 | 8 | 3 | - | 9 | 1 | 3[lower-alpha 2] | 2 | 48 | 15 | |
2012-13 | 32 | 11 | 7 | 2 | - | 8 | 1 | 1[lower-alpha 3] | 0 | 48 | 14 | ||||
2013-14 | 36 | 8 | 8 | 4 | - | 9 | 1 | 2[lower-alpha 3] | 0 | 55 | 13 | ||||
クラブ通算 | 96 | 28 | 23 | 9 | - | 26 | 3 | 6 | 2 | 151 | 42 | ||||
チェルシー | 2014-15 | 4 | プレミアリーグ | 34 | 3 | 1 | 0 | 4 | 0 | 8 | 2 | - | 47 | 5 | |
2015-16 | 37 | 5 | 4 | 0 | 1 | 0 | 7 | 1 | 1[lower-alpha 1] | 0 | 49 | 6 | |||
2016-17 | 29 | 5 | 6 | 0 | 2 | 2 | - | - | 37 | 7 | |||||
2017-18 | 32 | 2 | 4 | 0 | 4 | 0 | 8 | 1 | 1[lower-alpha 1] | 0 | 49 | 3 | |||
2018-19 | 6 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 5 | 0 | 1[lower-alpha 1] | 0 | 16 | 1 | |||
クラブ通算 | 138 | 15 | 16 | 0 | 13 | 3 | 27 | 4 | 3 | 0 | 198 | 22 | |||
モナコ | 2018-19 | 44 | リーグ・アン | 13 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | - | - | 15 | 1 | ||
2019-20 | 4 | 18 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | - | 22 | 0 | ||||
2020-21 | 21 | 2 | 5 | 1 | - | - | - | 26 | 3 | ||||||
2021-22 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | - | 5 | 0 | |||||
クラブ通算 | 54 | 3 | 8 | 1 | 3 | 0 | 3 | 0 | - | 68 | 4 | ||||
コモ | 2022-23 | 4 | セリエB | 17 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 17 | 0 | |||
クラブ通算 | 17 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 17 | 0 | ||||||
キャリア総通算 | 517 | 81 | 61 | 12 | 30 | 5 | 118 | 24 | 11 | 3 | 738 | 125 |
国際Aマッチ 105試合 15得点(2006年-2016)
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
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1. | 2008年6月10日 | インスブルック、ティヴォリ・シュターディオン | ロシア | 4–1 | 4–1 | UEFA EURO 2008 |
2. | 2009年6月14日 | ルステンブルク、ロイヤル・バフォケン・スタジアム | ニュージーランド | 4–0 | 5–0 | コンフェデ杯2009 |
3. | 2009年9月9日 | メリダ、エスタディオ・ロマーノ | エストニア | 1–0 | 3–0 | 南アフリカW杯・欧州予選 |
4. | 2009年10月10日 | エレバン、ハンラペタカン・スタディウム | アルメニア | 1–0 | 2–1 | 南アフリカW杯・欧州予選 |
5. | 2009年11月18日 | ウィーン、エルンスト・ハッペル・シュターディオン | オーストリア | 1–1 | 5–1 | 親善試合 |
6. | 2010年6月8日 | ムルシア、エスタディオ・ヌエバ・コンドミーナ | ポーランド | 4–0 | 6–0 | 親善試合 |
7. | 2011年9月2日 | ザンクト・ガレン、AFGアレナ | チリ | 2–2 | 3–2 | 親善試合 |
8. | 3–2 | |||||
9. | 2012年6月10日 | グダニスク、PGEアリーナ・グダニスク | イタリア | 1–1 | 1–1 | UEFA EURO 2012 |
10. | 2012年6月14日 | グダニスク、PGEアリーナ・グダニスク | アイルランド | 4–0 | 4–0 | UEFA EURO 2012 |
11. | 2012年8月15日 | バヤモン、エスタディオ・フアン・ラモン・ローブリエル | プエルトリコ | 2–0 | 2–1 | 親善試合 |
12. | 2013年2月6日 | ドーハ、ハリーファ国際スタジアム | ウルグアイ | 1–0 | 3–1 | 親善試合 |
13. | 2013年6月8日 | マイアミ、サンライフ・スタジアム | ハイチ | 2–0 | 2–1 | 親善試合 |
14. | 2015年6月11日 | レオン、エスタディオ・レイノ・デ・レオン | コスタリカ | 2–1 | 2–1 | 親善試合 |
15. | 2016年6月1日 | ザルツブルク、レッドブル・アレーナ | 韓国 | 2–0 | 6–1 | 親善試合 |
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