スタッド・デパルトモンタル・イヴ=デュ=マノワール
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スタッド・デパルトモンタル・イヴ=デュ=マノワール(Stade départemental Yves-du-Manoir、日本語: 県立イヴ=デュ=マノワール競技場)は、フランスのパリ西部近郊・コロンブにあるスタジアム。2002年までの旧称はスタッド・オランピック・イヴ=デュ=マノワール(Stade Olympique Yves-du-Manoir)。英語版の記事タイトルは、スタッド・イヴ=デュ=マノワール(Stade Yves-du-Manoir)。
1924年のパリオリンピックのメイン会場で、1938年のFIFAワールドカップでは決勝戦の会場になった。当時の収容人数は60,000人。2024年のパリオリンピックでは全面的に改修される形でホッケー会場として100年ぶりに使用される。
スタッド・デパルトモンタル・イヴ=デュ=マノワール Stade départemental Yves-du-Manoir | |
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施設情報 | |
所在地 |
12 Rue François Faber FR-92700 Colombes (オー=ド=セーヌ県、 フランス) |
位置 | |
開場 | 1907年 |
所有者 | Unknown |
グラウンド | 芝 |
ピッチサイズ | ??? x ?? m |
旧称 | |
Stade du Matin (1907-1919) Stade de Colombes (1920-1924) Stade olympique de Colombes (1924-1928) Stade olympique Yves-du-Manoir (1928-2002) | |
使用チーム、大会 | |
ラシン・メトロ92(2017年11月まで) ラシン・クラブ・ド・フランス | |
収容人員 | |
10000人 (1938年から1972年までは60000人収容) |
サッカーのフランスカップの決勝やサッカーフランス代表のホームゲーム、ラグビーユニオンのファイブネイションズもパルク・デ・プランスが完成するまでここで行われていた。しかし収容が5万人に減少し、サッカーフランス代表の試合も1975年で終了した。
サッカーのフランス1部リーグに所属していたラシン・クラブ・ド・フランスの本拠地とされてきたものの1985年に一旦利用を中止、しかしながら2000年代から再び本拠地として利用されている。
ラグビー・フランストップリーグのラシン92(旧ラシン・メトロ92)の本拠地として長年利用され続けてきた。同チームには7000人までに減ったスタジアムの収容人数を15000人とする計画もあったが、2017年11月に隣接ナンテール(ラ・デファンス)にパリ・ラ・デファンス・アレナが完成したため移転した。
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