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ジョージ・マサ (George Masa) として知られた、マサハラ・イズカ(Masahara Izuka、1881年 - 1933年6月21日)は、日本の大阪で生まれた[1][2]実業家、大判カメラ写真家。
1915年以降は、ノースカロライナ州アシュビルに定住し、晩年の18年を当地で過ごした。
地元のホテルであるグローブ・パーク・インで、ベルボーイや雑用係をした後、マサは1919年2月からは写真家として活動をはじめた。やがて今日まで存続しているプラトー・スタジオ (Plateau Studio) を創業したが、後にこれを手放した[3]。彼の写真館の顧客の中には、ヴァンダービルト家や、グローブ家、シーリー家など、町の名家の人々も含まれていた。
やがてマサは、ノースカロライナ州西部の山岳地帯を愛好するようになり、この地域の保全活動に、手弁当で熱心に取り組むようになった。自身の写真撮影機材や、古い自転車部品から自作したオドメーター(走行距離計)を駆使して[4]、相当数の山峰を詳しく記述して整理し[5]、山峰間の距離や、地元の住民やチェロキー族が名付けた山峰の名称を書き残した[3]。マサは、ホーラス・ケパートの友人であり[6]、ふたりは協力して、グレート・スモーキー山脈に国立公園としてグレート・スモーキー山脈国立公園が設定されることを目指す運動を起こした。マサは、アパラチアン・トレイルのノースカロライナ州にかかる一帯をくまなく歩き回って足跡を残した [7]。
マサは、1933年にインフルエンザで死亡した。マサは生前、ノースカロライナ州ブライソン・シティにある畏友ケファートの墓の隣に葬られることを強く望んでいたが[8]、それは果たされず、アシュビルのリバーサイド墓地(Riverside Cemetery:モントフォード・エリア歴史地区の一部)に葬られた[8]。
マサの死から1年後に、グレート・スモーキー山脈国立公園が正式に開設された[8][9]。
1961年、グレート・スモーキー山脈国立公園内に位置する標高5,685 ft 0 in (1,732.79 m)の山峰が「マサ・ノブ (Masa Knob)」と命名されたが[10]、これはマサを讃えた献名であった[8][11]。この山峰は、ケファート山の近傍に位置している。
マサの生涯は、没後60年以上を経て制作されたドキュメンタリー映画によって、再び関心を呼ぶことになった。2003年には、ボーンステッド・フィルム (Bonesteel Films) によって制作された、ジョージ・マサについての90分のドキュメンタリーが発表された[12]。さらに、ケン・バーンズが手がけたドキュメンタリー・シリーズ『The National Parks: America's Best Idea』の中で、 1920年から1933年までの期間を取り上げた第4話においてジョージ・マサが取り上げられ、2009年9月30日に初放映された[13]。
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