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ヨーロッパ発祥の、剣を用いるスポーツ競技 ウィキペディアから
フェンシング(英: fencing)は、フランスで発祥した剣を用いるスポーツ競技である。二人の選手が向かい合って立ち、片手に持った剣で互いの体を突いて勝敗を決める。攻撃(剣で相手の体に触れる)を成功させるとポイントとなり、規定のポイントを先取した選手が勝利する。
フェンシング | |
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2004年アテネオリンピック男子エペ個人競技2回戦 | |
統括団体 | 国際フェンシング連盟 |
起源 | 19世紀フランス |
特徴 | |
身体接触 | 無 |
選手数 | 1対1 |
男女混合 | 無 |
カテゴリ | 屋内競技 |
用品 | 剣 |
実施状況 | |
オリンピック | 1892 - |
「フルーレ」「エペ」「サーブル」の三種目があり、使用する剣・ルールがそれぞれ異なる。フランスで発達した剣術が原型で、用語にはフランス語が多い。
フェンシングの原形は、中世の騎士たちによる剣術にあるとされている。これらは実戦的な剣術であったが、鎧や盾などの防具、そして火器の発達によって剣(特に長い剣)が戦場で使われることは少なくなっていった。しかし、剣という武器は騎士の名誉の象徴であり、戦場で役に立たなくなってもフランスの上流階級は剣術を嗜み続け、19世紀の末にはフランス各地で盛んに競技として行われるようになっていった。
国や地方によってルールがばらばらであったため、競技のルールを統一するために、1911年、国際フェンシング連盟(FIE[注 1])がパリに設立され、スポーツとしての近代フェンシングが始まった。
試合はピストと呼ばれる細長い台の上で行われる。現代のフェンシングでは、ピストは幅1.5mから2m、長さ14mである。両選手はピスト中央に4mの距離をおいて構え(アンガルド)の姿勢から試合を開始する。
2人の出場選手がピスト(フェンシングの試合場)に入り、主審が剣と服装を検査する。「ラッサンブレ、サリュエ(Rassemblez ! Saluez !)」(気をつけ、礼)の合図で試合前の敬礼をする。「アン・ガルド(En garde !)」(構え)の合図でマスクを着用し、スタートラインに前に出す足の爪先を付けて構える。
主審が「エト・ヴ・プレ(Êtes-vous prêts ?)」[注 2]または「プレッ(Prêts ?)」(用意はいいか?)と確認し、選手は「ウィ(Oui.)」(よし)または「ノン(Non.)」(まだ)で答える。両者が「ウィ」となったのを確認後、主審による「アレ(Allez !)」(始め)の合図で試合が開始される。
勝敗の決着がついたら、再度「ラッサンブレ、サリュエ」の合図で試合終了の敬礼をし、対戦相手と握手を交わす。その後ピストから退出する。
フェンシングではフルーレ、エペ、サーブルの3種の武器があり、これらがそのまま種目名となっている。
これらの武器は19世紀末に標準となったものである。また、伝統的な教育の場では、大杖やレイピア、ダガー、ブロードソード、ツーハンデッドソード、ソードブレイカー、マン・ゴーシュといった歴史的なフェンシングの武器についても学ぶことがある。西洋剣術、サバットとも関連がある。
突きのみが有効で攻撃権(後述)がある。フルーレにはフェンシングの基本技術が集約されているため、初心者は最初にフルーレを教えられることが多かった。また過去においてフルーレは女性が行う唯一の種目であり、剣が軽いため子供が扱うことも容易であった。今日ではフルーレ以外の武器から始めることも多い。
フルーレはレイピアを軽量化したスモールソード用の練習剣に由来する。断面が四角でしなやかなブレード(剣針)をもつ軽い剣である。今日では電気剣が使用されており、最低5.00N(おおよそ0.510kgf)以上の力が剣先に加わることで打突が判定される。
フルーレでの突きの有効面は、頭部と四肢を除いた胴体の両面である。これはフェンシングの練習に制限のある防具を使用していた頃の名残である。
エペは、伝統的なフェンシングで用いられていた決闘用の武器に最も近い剣である。フルーレと対照的に重量があり、断面が三角形で曲がりにくく長いブレードと大きくて丸いお椀型の鍔(ガルト)を持つ。電気剣での突きが有効となるには7.50Nの力が剣先に加わらなければならない。伝統的なフェンシングでは相手の上着を確実に捉えることができるように、剣先(ポアン)に三つ又の部品を取り付けることもあった。現在では剣身に二本の電線を埋め込み、フルーレより大きめの電気スイッチである剣先(ポアン)が必須である。同時突き(相打ち)が有効であり、攻撃権の概念も存在しない。さらに後述のように有効面が広いため、エペの試合は極端に防御的で慎重なものになる傾向がある。
全身と剣の内側の非絶縁部分が有効面である。大きい鍔をもつのは、剣を持つ手も体の他の部分と同様に有効面とみなされるため、敵の攻撃を防ぎやすくする意味がある。
サーブルでは突きだけでなく斬りも有効となる。攻撃権がある。北部イタリアの決闘用サーベル術に由来し、長らく伝統的に男子のみの種目であったが、近年は女子も行われるようになり、オリンピックでは2004年から女子サーブルが正式種目となった[1]。今日では電気審判機が用いられ、相手の有効面(頭部、胴体、腕)を剣先か剣身で触れることで通電し攻撃有効が判定される。
サーブルの有効面は腰より上の上半身全てである。
現代のフェンシングで用いられる防具は丈夫な綿かナイロンあるいはケブラーで出来ている。以下のようなものが防具に含まれる。
伝統的にユニフォームは白色である(マスク・メタルジャケットには色のついたものもある。)
これらの防具は選手を保護する面で有用である。
現在の防具の制定のきっかけとなったのは、1980年モスクワオリンピック金メダリストのウラジーミル・ビクトロビッチ・スミルノフの死亡事故である。スミルノフはローマで行われた1982年の世界選手権で西ドイツのマティアス・ベーアの折れた剣がマスクを突き破り、眼窩から前頭葉に突き刺さったことにより脳死状態となり、9日後に死亡した。
フルーレとサーブルにおける「攻撃権」とは、先に攻撃したほうが優先権を持つという原則のことである。簡単に言えば、もし攻撃された場合(自分自身が突かれる可能性がある場合)には相手を攻撃せずに、まず自分を守らなければならないということである。
攻撃は、運が悪かった場合や、判断ミス、あるいは防御側の行動によっては、失敗することがある。
現代のスポーツフェンシングにおけるフルーレとサーブルでは、両選手が一定の時間内で同時に突きを決める場合がある。
主審は試合の進行役となる。
電気審判機は大きな国際および国内試合のすべて、また地方大会のほとんどで使用されている。電気審判機を用いる場合、フルーレとサーブルではさらに別の防具が必要となる。
審判は理論上、自由に攻撃権を監視することが可能であり、突きが有効であったかどうかを判定する副審判も不要となる(非利き腕での防御などのルール違反を監視する副審は一定レベル以上の試合、また選手からの要求があった場合必須となる)。
フルーレとエペでは、先端がスイッチ状になって剣身に電線を埋め込んだ剣を用いる。
有効な「突き」「斬り」を決めた選手の側のピスト外周が発光する。
剣の先端が相手のメタルジャケットに触れ、FIEルール上の規定時間以上に押し下げられることで回路が閉じ、突きがあったことを知らせるようになっている。相手の剣への接触は感知されない。
剣の先端が押し下げられることで回路が生じ、突きがあったことを知らせるようになっている。相手の剣は絶縁されているので接触しても感知されない。
剣身まで電気が流れ、相手のメタルジャケット・籠手・マスクにふれた瞬間に回路が生じ、斬り・突きがあったことを知らせるようになっている。相手の剣への接触は感知されない。なお、サーブルはガードの部分で相手の有効面に触れても反応するが、これは反則である。
フェンシングの用語はフランス語であり、「マルシェ」は一歩前へ、「ロンペ」は一歩後ろへ、「ファンデヴ」は突くという意味である。他にもマルシェやロンペをほかの技と組み合わせて使用する。他には、「ボンナヴァン」(前に飛ぶ)、「ボンナリエール」(後ろに飛ぶ)、「フレッシュ」(剣を前に突き出して、突進する)などの特殊な技もある。
「アロンジェ」は突く(腕を伸ばす)、「パラード」は剣をはらう(8種類の動作による呼び名がある)、「リポスト」ははらった直後につき返す、「ディガジェ」は剣を回してかわす、という意味である。
国際的な競技統括団体として、国際フェンシング連盟がある。スポーツとしてのフェンシング、とりわけ国際試合のルールの成文化と管理を目的とした団体である。この設立に先立ち、国際試合が(特にライバル国であるフランス・イタリア間で開催されたことは特筆に価する)開催された。
今日的な視点で見ると、FIEの設立は次の二つを決定的に分断したものであったと言える。
夏季パラリンピックの正式種目。
2018年、フランスのフェンシング連盟が公式種目として採用した。樹脂製の刀身にLEDを仕込んだ競技用のライトセーバーを使用し、円形のピストで競技を行う。頭、腕、足、手先にそれぞれポイントがあり、15点を先取した方が勝利する。攻撃時には剣先を後ろに振りかぶる必要があるなど、フェンシングとは競技特性が異なるが、若い世代の取り込みを狙った種目であるという[3]。また、イタリアではルードスポーツという名前の、競技用ライトセーバーを使った競技がある。
大日本印刷が開発した、簡易的にフェンシングを体験できる装置。 センサー付きのスポンジ性のサーベルと電導ジャケットを着て、行なう。 2022年とちぎ国体で公開競技でこれを使う競技が行われた。
世界的、特に発祥の地ヨーロッパでは競技人口の多いスポーツの一つだが、日本ではあまり人気がなく、『uhbスーパーニュース』によると日本においては日本全国で1万人ほどしかいない。フェンシングの部活動を置いている学校も殆ど無く、ある程度の規模の学校に剣道部が大抵置かれているのとは対照的である。
日本で最初にフェンシング競技が導入されたのは、西洋の近代軍人が習得する教養としての剣技を日本陸軍が導入しようと図ったのが最初であり、1884年11月に西郷従道陸軍卿の命により、陸軍戸山学校において教官候補の選抜が始まった記録が残されている[4]。当初の指導はフランス陸軍から派遣された教官によって行われた[5]。
1935(昭和10)年にフランス留学経験をもつ岩倉具清(岩倉具綱の孫)がアルゼンチン臨時代理公使アルトゥーロ・モンテネグロらの後援を得て「日本フェンシング倶楽部」を設立し、その指導により同年法政大学に、翌1936年慶應義塾大学にそれぞれフェンシング部が創設された[6][7][8]。同年ベルリン五輪の総会で次期開催地が東京に決まったことにより、「大日本フェンシング協会」(会長・曽我佑邦子爵、理事長・本間喜一。現・日本フェンシング協会)が発足し、東京五輪の競技種目に採用されたことにより各大学でフェンシング部創設が相次いだ(東京五輪は1940年に開催予定だったが戦争により中止となった)[6]。
1937年、剣道家の森寅雄は剣道普及のため渡ったアメリカでフェンシングを学び始め、わずか6か月の練習で全米選手権を準優勝した。オリンピックでメダルを取ることを期待されたが、太平洋戦争勃発により出場はかなわなかった。
太平洋戦争で日本が敗戦し、連合国軍(GHQ)に剣道を禁止された際、代替する競技として考案された撓競技(しないきょうぎ)は、フェンシングを模した防具が使用された。
2008年、北京オリンピック男子フルーレ個人競技で太田雄貴が銀メダルを獲得し、フェンシング競技に於いて日本人初のオリンピックメダルを獲得した。また、同オリンピックでは女子フルーレ個人競技で菅原智恵子が7位に入賞しており、実はこれが日本人選手のフェンシング個人種目における初の入賞でもあった(団体種目では1964年東京オリンピックで男子フルーレ団体競技で4位に入賞している)。
2015年、モスクワでの世界選手権男子フルーレ個人で太田が金メダルを獲得した。フェンシング競技に於いて五輪も含めた世界大会で日本人が優勝したのは初めてである。
2021年に開催された2020年東京オリンピックでは、男子エペ団体においてフェンシングで日本初の金メダルを獲得した。
高校においては剣道ほど普及しておらず、指導者も少ないためフェンシング部がない高校も多い。このため、クラブチームで小中学生や社会人と共に練習する生徒も多い。1980年モスクワオリンピックフェンシング代表だった千田健一(千田健太の父)が監督を務める宮城県気仙沼高等学校や部活奨学金を用意している仙台城南高等学校などの宮城県勢、岐阜県立羽島北高等学校が強豪である。
大学においては、全日本学生フェンシング選手権大会、全日本大学対抗選手権大会、全日本学生個人選手権大会がある。男子は法政大学、中央大学、早稲田大学、日本体育大学、日本大学、専修大学、同志社大学、朝日大学など。女子は日本体育大学、早稲田大学、法政大学、日本女子体育大学、東京女子体育大学、専修大学、立命館大学、同志社大学などで盛んである。
大半の選手は実業団、大学職員、公務員など兼業が主流であるが[9]、三宅諒のように個人でクラブチームを立ち上げる有力選手もいる。2009年4月にNEXUSが実業団を立ち上げている。
日本におけるフェンシングを扱った作品としては、映画『リオの若大将』(1968年公開)がある。また、フェンシング経験者の高城高は複数の小説を執筆している。
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