クレフテス
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クレフテス(希:κλέφτης(複数形)、山岳党とも)とはギリシャがオスマン帝国領であった時代、田園地方に存在した山賊、もしくは反オスマン帝国活動を行なった人々のこと[2]。彼らは15世紀にギリシャがオスマン帝国に征服された際、オスマン帝国の抑圧を避けるため山岳地帯へ逃亡した[3][4]ギリシャ人らの子孫であり[4]、19世紀後半まで山賊として活発な活動を行なった[4]。彼らは山岳地帯で自由に生活しており、オスマン帝国の支配に対して戦いを続けた[5]。トルコ・ギリシャ関係の発展に伴い、意味自体は「泥棒」を意味しているが、クレフテスはオスマン帝国支配時代に屈しなかったギリシャ人として、現在のギリシャ人らにとって特別な意味を与えられている[6]。
![Thumb image](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7a/Armatolos-haag.jpg/200px-Armatolos-haag.jpg)
オスマン帝国支配下でのクレフテスは、通常、オスマン帝国当局からの復讐、税の納付、債務の返済、軍事的報復を避けていた人々であった。彼らは旅行者を襲撃したり、村落を孤立化させたりしながら険しい山岳地帯や僻地に居住していた。クレフテスらの大部分は何らかの形でギリシャ独立戦争に参加している。
また、クレプトマニア(盗癖、窃盗症)、クレプトクラシー(泥棒政治)はクレフテスの語源である「κλέπτειν (kleptein)」と由来を同じくする。