ガブリエリュス・ランズベルギス
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ガブリエリュス・ランズベルギス(Gabrielius Landsbergis、1982年1月7日 - )は、リトアニアの政治家。元欧州議会議員。リトアニア外相を務める(2024年現在)。
ガブリエリュス・ランズベルギス Gabrielius Landsbergis | |
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生年月日 | 1982年1月7日(42歳) |
出生地 | リトアニア・ソビエト社会主義共和国 ヴィリニュス |
出身校 | ヴィリニュス大学歴史学部卒業、同大学国際関係・政治科学研究院修士課程修了 |
所属政党 | 祖国連合=リトアニア・キリスト教民主派および欧州人民党 |
配偶者 | アウステヤ・ランズベルギエネ |
親族 | ヴィータウタス・ランズベルギス(祖父)、ヴィータウタス・V・ランズベルギス(父) |
リトアニア共和国外務大臣 | |
内閣 | イングリダ・シモニーテ内閣 |
在任期間 | 2020年12月11日 - |
大統領 | ギタナス・ナウセダ |
当選回数 | 2 |
在任期間 | 2016年 - |
1982年1月7日、ソビエト連邦内にあったリトアニアSSRのヴィリニュスに生まれる[1]。祖父はサーユーディスの指導者としてリトアニア独立革命を主導した音楽学者ヴィータウタス・ランズベルギス[2]、父は演出家で著作家のヴィータウタス・V・ランズベルギス。
2003年、ヴィリニュス大学歴史学部を卒業[2]し、学士号(歴史)を取得[1]。2005年にヴィリニュス大学国際関係・政治科学研究院の修士課程を修了[2]し、修士号(国際関係論)を取得した[1]。
リトアニア外務省や大統領府で勤務した後、2007年より在ベルギー・リトアニア大使館にて勤務[2]。2011年1月にリトアニアに帰国した後は内閣府外交欧州部でアドバイザーを務めた[2]。
政党は、祖国連合=リトアニア・キリスト教民主派に所属[1]。2014年欧州議会議員選挙に祖国連合から立候補[1]し、当選[2]。欧州議会議員に選出された。欧州議会では欧州人民党に所属する。
2016年、リトアニア国会(セイマス)議員選挙に出馬し、当選。欧州議会議員を辞任し国会議員となった。
2020年12月11日にイングリダ・シモニーテ政権下で外相に就任。
中国政府が新疆ウイグル自治区においてジェノサイドを行っていると認定する決議をリトアニア議会が2021年5月20日に採択し、シモニーテ首相やランズベルギス自身は採決に加わらなかったが[3]ランズベルギスは中国が主導する中国中東欧首脳会議『17+1』からの離脱を表明[4]。中国との対立を鮮明にする一方で台湾に接近し、6月22日にリトアニアは台湾に対してアストラゼネカ製のCOVID-19ワクチン2万人分を提供する方針を表明し、ランズベルギスはコロナとの戦いにおける台湾の支持と、自由を愛する人々は互いに気を使うべきとの見解をSNSにて表明[5]。6月30日には国交のない台湾に代表機関を設置すると表明した[6]。7月3日にはリトアニアを訪れた日本の茂木敏充外相と会談を行い自由で開かれたインド太平洋戦略への支持を表明[7]。
2021年12月8日、アメリカ合衆国がベラルーシに対して経済制裁として炭酸カリウムの輸送制限を課したがリトアニアの鉄道がこれを守らなかったため批判を浴び、12月10日に外相辞任を表明した[8]もののシモニーテ首相より慰留され、12月14日に辞任は却下された[9]。
母語のリトアニア語のほか、英語、フランス語、ロシア語を話す[1]。
既婚で、妻は株式会社「ヴァイキーステス・ソダス」設立者のアウステヤ・ランズベルギエネ[2][1]。4児の父で、2人の息子(アウグスタスとヴィルヘルマス)と2人の娘(モルタとゲルトルーダ)がいる[2][1]。
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