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姓 ウィキペディアから
ウラナラ氏(満洲語:ᡠᠯᠠ
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ᡥᠠᠯᠠ, 転写:Ula Nara hala, 漢文:烏拉那拉氏または烏喇氏)は、満洲の著名な姓氏であるナラ氏の主要な分派の一つで、ウラ地方のナラ氏が名告ったことに始まる。
ウラナラ氏は、満洲八大姓の一つに数えられる「ナラ氏」の主要な分派の一つで、ハダナラ氏、イェヘナラ氏、ホイファナラ氏とともに有名な四つのナラ氏の一角をなす。
ウラナラ氏の始祖は初代ウラ国主・ブヤンとされ、ブヤンはナラ氏始祖・ナチブルの昆孫にあたる。ナチブルが樹立した地方政権的国家のフルン・グルン (扈倫・国) がブヤンの祖父、父の代で瓦解すると、ブヤンはフルンの再興を目指してフルン都城の跡地にウラ・ホトン (烏拉・城) を築き、続いてウラ・グルン (烏拉・国) を樹立する。このウラ・グルンの一族がすなわちウラナラ氏である。
ウラ・グルンは初代のブヤンからブガン、マンタイ、ブジャンタイと4代続いたが、最終的にブジャンタイがマンジュ・グルン (満洲・国 ≒ 建州部) のヌルハチに敗れ、イェヘに逃れたことで消滅した。消滅した後のウラナラ氏一族や属民はことごとくマンジュに吸収され、後にヌルハチがマンジュを基にアイシン・グルン (後金) を樹立すると、新たに創設された八旗制度の中に組み込まれてゆく。
ヌルハチのマンジュとウラナラ氏の間には、ウラが滅びる以前から姻戚関係が結ばれ、清朝の中でも重要とされる多くの人物を出産している。マンタイの娘のアバハイ (大妃) はヌルハチに嫁いで、後にドルゴン三王を出産している。そのほか、マンタイの叔父・ボクドの娘は粛親王ホーゲを出産し、[1][2]少し遡って五代目フルン国主・グデイ・ジュヤンの兄筋からは雍正帝が愛した孝敬憲皇后が輩出されている。[1]
中華民国以後、ウラナラ氏は満姓から漢姓に切り替えていったが、多くは趙姓を名告り (→参照:「洪匡」)、他に相(xiàng)、那(nā[3])、桐、冮(gāng)を名告るものもいた。[4]余談だが、ウラナラ氏および海西女直の研究をしている吉林師範大学客員教授の趙東昇氏は、末代ウラ国主・ブジャンタイの後裔とされる。[5]
なお、ハダナラ氏は四代目フルン国主のドゥルギの弟筋から枝分かれした一族のため、ウラナラ氏とは宗族であるが、イェヘナラ氏は一説にはトゥメト部蒙古人がナラ氏に改姓した後、イェヘ地方に移徙してイェヘ地方ナラ氏を名告ったものとされ、同様にホイファナラ氏は東海女直 (野人女直) のイクデリ氏が改姓してホイファ地方ナラ氏を名告ったものである。
また、ナチブルの別脈はイハン (伊罕) 山に移居し、後にイラリ (伊拉理) 氏[6]を形成する。
『八旗滿洲氏族通譜』巻23「烏喇地方納喇氏」の目録に列挙されている人物 (代表者) は下記一覧の通り。原典では事績の遺る者と遺らない者とで大きくわけている為、ここではそれに従う。
有事績者:
以下の人物には基本的に事績が記録として遺っているが、一部例外もあり。『八旗滿洲氏族通譜』では特に細かい項目立てまではされていないが、ここでは便宜上、先祖ごとに分類した。なお、人物の紹介順序は原典に同じ。また、一部人物は別の記事にて紹介している為、ここでは参照先リンクの紹介に止める。
1) ブジャンタイの子孫
2) マンタイの子孫
3) ブガンの子孫
4) ブヤンの子孫
5) グデイ・ジュヤンの子孫:
6) ドゥルギの子孫
7) 先祖不詳
無事績者:
以下の人物には基本的に事績が記録として遺っていない (人名と職名のみ)。『八旗滿洲氏族通譜』では、ヌルハチが樹立したアイシン・グルン (後金) あるいはその前身であるマンジュ・グルン (建州部/満洲国) への帰順時期ごと、及び隷属する旗ごとに分類している為、ここではそれに従う。
1) 後金初期
【鑲黄旗】アルタイ (artai, 阿爾泰)、ウンタイ (untai, 温泰)、マハ (maha, 瑪哈)、ヤンフ (yangfu, 揚福)。
【正白旗】フンガイ (hūnggai, 洪愛)、アランタイ (arantai, 阿蘭泰)、サムハ (samha, 薩穆哈)。
【正紅旗】リョードゥン (liyoodung, 遼東)。
【鑲白旗】アサン (asan, 阿山)、バイナ (baina, 拝那)、ランガリ (langgari, 郎阿理)、アルフ (arhū, 阿爾瑚)。
【鑲紅旗】チャハダイ (cahadai, 察哈岱)。
【正藍旗】チマク (cimaku, 斉瑪庫)、エリケン (eliken, 額礼肯)。
【鑲藍旗】フシハ (hūsiha, 瑚錫哈)、ジランタイ (jilantai, 済蘭太)。
2) 天聡年間
【鑲黄旗】ダイミン (daimin, 代敏)。
【正黄旗】カルカマ (karkama, 喀爾喀瑪)、ボジダ (bojida, 博済達)。
【鑲藍旗】ドゥンガ (dungga, 東阿)。
3) 帰順時期不明
【鑲黃旗】ナム (namu, 納穆)。
【鑲白旗】バムブタイ (bambutai, 班布泰)、アリン (alin, 阿林)、ギンタイ (gintai, 金泰)、ギュセ (giose, 九塞)、トーヅ (toodzi, 陶資)。
【鑲紅旗】デキネ (dekine, 徳奇訥)、フンタイ (funtai, 芬泰)。
【鑲藍旗】ナムダリ (namdari, 那穆達理)。
- - - - - 以下本編 - - - - -
事績・栄典:
ノシ (諾錫) は、ウラ地方から帰順し、正藍旗包衣に編入された。帰順時期は不明。子のアハショセ (阿哈碩色) はボーイ・ニルイ・ジャンギンを務め、北京入城 (明清交替) 後、ホンタイジの治世下での功労が評価されて騎都尉を授与され、三度の優詔で二等軽車都尉に昇格した。死後、継嗣なく、実弟の子・ヤルタイ (雅爾泰) が襲職し、ヤルタイ死後はヤルタイの子・ウルドゥン (呉爾敦)、ウルドゥンの子・トゥンボーグイ (同保貴) が相継いで襲職した。[7]
ヤンギヌ (yangginu, 揚吉努):副都統を歴任した。[9]★
ワンシ (wangši, 汪実):ヤンギヌの実弟。[12]
事績・栄典:
ヤンギヌ (揚吉努) はナラ氏の出身だが、幼時に父母を亡くして母方の伯叔の許に身を寄せた為、グヮルギャ氏 (瓜爾佳)[13]を名告った。[14]アイシン (後金) 初期にウラ地方から帰順して鑲藍旗に編入され、ニルを組織して子のウンチャ (温察) に統轄させた。[9]
カラ (kara, 喀喇):郎中を務め、佐領を兼任した。[15]★
事績・栄典:
カラ (喀喇) は、アイシン (後金) 初期にウラ地方から帰順し、正白旗に編入された。勅命を受けて初の満洲語の書籍を上梓した[16]ことにより、バクシ[17](称号) と騎都尉 (世職) を授与された。[15]
アルタイ (artai, 阿爾泰):先祖不詳。前鋒校を務めた。[18]
ウンタイ (untai, 温泰):先祖不詳。前鋒参領を務めた。[18]
マハ(maha、瑪哈):先祖不詳。護軍校を務めた。[18]
フンガイ (hūunggai, 洪愛):先祖不詳。頭等侍衛を務めた。[21]
アランタイ (arantai, 阿蘭泰):先祖不詳。驍騎校を務めた。[21]
サムハ (samha, 薩穆哈):先祖不詳。ボーイ・ニャルマ。[21]
ウダブ (udabu, 呉達布):サムハ (薩穆哈) の実弟。[21]
リョードゥン (遼東, liyoodung):先祖不詳。[22]
アサン (asan, 阿山):先祖不詳。正黄旗より鑲白旗に転属した。[23]
バイナ (baina, 拝那):先祖不詳。正黄旗より鑲白旗に転属した。[23]
ランガリ (langgari, 郎阿理):先祖不詳。鑲黄旗より鑲白旗に転属した。[23]
アルフ (arhū, 阿爾瑚):先祖不詳。[23]
チャハダイ (cahadai, 察哈岱):先祖不詳。[24]
チマク (cimaku, 斉瑪庫):先祖不詳。[25]
エリケン (eliken, 額礼肯):先祖不詳。[25]
フシハ (hūsiha, 瑚錫哈):先祖不詳。[26]
ジランタイ (jilantai, 済蘭太):先祖不詳。[26]
ダイミン (daimin, 代敏):ボーイ・ニャルマ。牧長を務めた。
*カルカマ (karkama, 喀爾喀瑪) の子孫は「ブヤン (ウラナラ氏)」の子孫の項参照。
*タイフィカ (taifika, 台費喀) の子孫は「グデイ・ジュヤン」の子孫の項参照。
*グセン・サングル (gusen sangguru, 固森桑古魯) の子孫は「ドゥルギ」の子孫の項参照。
ボジダ (bojida, 博済達):先祖不詳。
*ドゥンガ(dungga, 東阿) の子孫は「ブジャンタイ (ウラナラ氏)」の子孫の項参照。
尚、ドゥンガ (ブジャンタイの七子) の一族の者として以下の人物が紹介されているが、父不詳のため、ドゥンガとの続柄も不詳。従ってひとまづここで紹介する。中国語の「族○」という表現は「一族の◯世代の人」の意。「族侄(=甥)」なら、実兄弟の子ではなく、それよりも遠い侄(=甥)世代の族人の意。
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アリン (alin, 阿林):先祖不詳。膳房総領を務めた。正白旗より鑲白旗に転属した。イェヘ地方の正黄旗ボーイ・ニャルマ のナランタイ (narantai, 納蘭泰) とは同一族。[28]
ギンタイ (gintai, 金泰):先祖不詳。正白旗より鑲白旗に転属した。[28]
ギュセ (giose, 九塞):先祖不詳。正白旗より鑲白旗に転属した。[28]
トーヅ (toodzi, 陶資):先祖不詳。正白旗より鑲白旗に転属した。[28]
デキネ (dekine, 徳奇訥):先祖不詳。[29]
ナムダリ (namdari, 那穆達理):先祖不詳。
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