アーノルド・J・トインビー
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アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold Joseph Toynbee CH FBA、1889年4月14日 - 1975年10月22日)は、イギリスの歴史家・歴史哲学者。
概要 人物情報, 生誕 ...
人物情報 | |
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生誕 |
Arnold Joseph Toynbee (1889-04-14) 1889年4月14日 イギリス ロンドン |
死没 |
1975年10月22日(1975-10-22)(86歳没) イギリス ヨーク |
国籍 | イギリス |
出身校 | オックスフォード大学ベリオール・カレッジ |
配偶者 |
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子供 |
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学問 | |
研究分野 | 歴史学、歴史哲学 |
研究機関 |
オックスフォード大学ベリオール・カレッジ キングス・カレッジ・ロンドン ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス 王立国際問題研究所 |
主な業績 | 普遍史 |
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多数の著書を持ち、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスとキングス・カレッジ・ロンドンの国際史研究教授でもあった。1918年から1950年まで、トインビーは国際問題の第一人者として活躍した。
代表作は『歴史の研究』(A Study of History、1934-1961年、全12巻)。論文・記事・スピーチ・プレゼンテーションなどを大量に発表し、多くの言語に翻訳された数多くの著書を持つトインビーは、1940年代から1950年代にかけては、広く読まれ議論される学者であった。しかし、1960年代になると、彼の大作は主流の歴史家の間では人気がなくなった。トインビーは、事実に基づくデータよりも神話や寓話、宗教を好んでいるという認識があったためである。
叔父のアーノルド・トインビーとの区別のため、ミドルネームの"J"を入れて表記されることが多い。