アラサン・ワタラ
コートジボワールの第5代大統領 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
アラサン・ドラマヌ・ワタラ(フランス語: Alassane Dramane Ouattara、1942年1月1日 - 、アラサン・ウワタラとも)は、コートジボワールのテクノクラート、政治家。現在、同国大統領。共和連合(RDR)党首。1990年11月から1993年12月までコートジボワールの首相を務めた[1][2]。
概要 任期, 副大統領 ...
アラサン・ワタラ Alassane Ouattara | |
アラサン・ワタラ(2024) | |
任期 | 2010年12月4日 – 2011年4月11日まではローラン・バグボとの2重政府 |
---|---|
副大統領 | ダニエル・カブラン・ダンカン(英語版) ティエモコ・メイリエット・コネ(英語版) |
首相 | ギヨーム・ソロ ジャノ・クアディオ・アウス ダニエル・カブラン・ダンカン アマドゥ・ゴン・クリバリ ハメド・バカヨコ(英語版) パトリック・アチ ロベール・ブーグレ・マンベ(英語版) |
任期 | 1990年11月7日 – 1993年12月9日 |
元首 | フェリックス・ウフェ=ボワニ |
出生 | (1942-01-01) 1942年1月1日(82歳) フランス領西アフリカ、ディンボクロ |
政党 | 共和連合(RDR) |
配偶者 | ドミニク・ヌーヴィアン |
宗教 | イスラム教 |
閉じる
2010年12月の大統領選挙の決選投票で54%の得票を得て当選したが、同国憲法評議会の裁定により当選を無効とされた。以降4ヶ月にわたり、対立候補で現職だったローラン・バグボと共に自らが正統な大統領であると主張しあう異常事態が続いた。しかし2011年4月11日、ワタラ側の軍の攻撃によってバグボが拘束され、バグボの失脚が確定。同年5月6日に就任宣誓を行い、正式に大統領に就任した[3]。