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アメリカ麻雀(アメリカマージャン)は、アメリカ合衆国で遊ばれている麻雀である。英語では Mahjong, Mah-Jongg など、さまざまにつづられ、また Maj と略されることもある。
アメリカ合衆国に麻雀がもたらされた最古の記録は、1893年のシカゴ万国博覧会において、当時イギリスの駐朝鮮公使で、中国のカードゲームの収集家として有名なウィリアム・ヘンリー・ウィルキンソンが麻雀を展示したことにはじまる[1]。このときは麻雀という名は知られておらず、中国式ドミノの一種の「Chung-Fat(中発)」として紹介されている。あくまで展示にすぎず、麻雀が実際に遊ばれたわけではない。ウィルキンソンの1895年の論文では「麻雀(ma chioh)」の語が出現するが、これは現在の麻雀とは別のゲームを指すようである[2]。
1920年以降に麻雀はアメリカ合衆国へ輸入された。当時の麻雀牌は主に牛骨で作られ、アメリカから牛の脛骨を輸出し、中国で加工して輸入した[3]。高価なものであったが、1920年代に麻雀はアメリカで大流行した。1924年にはエディ・カンターらが「Since Ma Is Playing Mah Jong」を歌い[4]、同年のブロードウェイ・ミュージカル『Sweet Little Devil』(ジョージ・ガーシュウィン作曲)でも「マージャン・ブルース」という曲が歌われている[5]。
スタンダード・オイルの社員として中国で働いていたジョゼフ・バブコックは、1920年に英語の麻雀ルールブック(表紙の色から「Red Book」と呼ばれた)を作り、輸入麻雀セットに添付した。この本に記されたルールは役などが単純化されていた。バブコックはハイフンつきでGが2つある「MAH-JONGG」を商標登録した。
ただし、必ずしもアメリカ合衆国でバブコックのルールが広く使われたわけではなく、バブコック以外の人の書いた本では中国のルールとほぼ同じルールになっていた。1924年にバブコックら数人によって公式ルール(American Official Laws of Mah-Jongg)が出版された。このルールは基本的に当時の中国ルールと同一だったが、七対子(Seven Twins)や緑一色(All Green)などの役を含んでいた。また、安上り対策として一飜縛り(One-Double game)と一色縛り(Cleared-Hand game)のオプションが設けられていた。
1930年代になると麻雀の流行にかげりがさした。その一方、ルールにさまざまな変更が加えられた。安上り対策として順子は数を制限するか、または禁止した。さらに、花牌やジョーカー(ワイルドカード)を加えたり、高い役を作りやすくするための手牌交換(チャールストンと呼ばれる)のルールを加えるなどの工夫が行われた。
1937年に全米マージャン連盟(National Mah Jongg League、略称NMJL)が成立し、公式ルールを発表した。NMJL ルールの特徴は、役が毎年変わることで、そのため競技者は NMJL が発行するルールブックを毎年購入する必要がある。NMJL のルールはほかの麻雀とは非常に大きく異なっている。
NMJL は毎年クルーズ船の中で1週間にわたる麻雀トーナメントを開催している[6]。
米軍ではこれとは別なルール(ライト・パターソンルールと呼ばれる)が知られる。こちらは花牌やジョーカーを使用しないが、チャールストンは含まれている。また多くの特殊な役がある[7]。
以下の説明は NMJL ルールに従い、Sandberg (2010) を元にしている。
アメリカの麻雀牌は、筒子(dots)・索子(bamboos, bams)・萬子(characters, craks)・風牌(winds)・三元牌(dragons)に加えて、8枚の花牌(flowers)と8枚のジョーカーを加えた152枚を使用する。三元牌は紅中を red dragon、緑発を green dragon、白板を white dragon(または soap)と呼ぶ。白板には四角い模様が描かれていることが多い。
筒子・索子・萬子の三つの種類をスートと呼ぶ。三元牌は紅中が萬子、緑発が索子、白板が筒子のスートに属する。風牌・花牌・ジョーカーはどのスートにも属さない。スートは役を作るときに重要になる。
中国麻雀と異なり、花牌を一枚だけさらすことはない。花牌もほかの牌と同じように扱われる。
通常、牌のほかにドミノと同様のラックを用いる。ラックは壁を作るためにも使われる。ラック上部は副露のために使われる。通常、点棒は使われない。
牌の上には通常インデックスが書かれており、数牌には 1-9 の数字、風牌には N E W S、三元牌には R G 0(白板)と書かれる(三元牌には異なる字が書かれていることもある)。花牌は赤と緑の二色にわかれ、それぞれ 1 から 4 までの数字が書かれるが、NMJL のルールでは花牌の色や数字に意味はない。
面子には同一牌の1枚(single)・2枚組(pair)・3枚組(pung)・4枚組(kong)・5枚組(quint)・6枚組(sextet)がある。したがって上がりの型は伝統的な四面子一雀頭の形をしていない。また、順子(chow)は存在しない。ジョーカーは3枚組以上でのみ使える(5枚組・6枚組では必ずジョーカーが必要になる)。ひとつの面子にジョーカーを何枚使ってもよく、ジョーカーだけの面子も認められる。他人が捨てた牌を使えるのは3枚組以上のとき(または上がるとき)のみである。捨てられたジョーカーを他人が使うことはできない。
アメリカの麻雀では親と子の点数計算上の区別がなく、連荘もないため、誰が最初の東家になるかは適当に決めてよい。
各人は壁牌として19枚を二段に重ねる。東家が2個のサイコロを振って開門位置を決める。手牌の枚数は日本の麻雀と同じ13枚(東は14枚)である。
手牌を得たのち、手牌交換(チャールストン)を行う。各人が同時に、以下の3段階で行われる。
最後の段階で、手牌のうちに他人に渡したい牌が3枚に満たない場合は、受け取った牌をそのまま渡すことも可能である。このときは受け取った牌をめくって見てはならない。
チャールストンは2回行う。2回目は誰かがやりたくないと言えば省略されるが、普通は省略されない。2回目のチャールストンは1回目とは逆の手順を踏んで行われる。
チャールストン終了後、さらに合意があれば対面と手牌を交換することができる(最大3枚)。
以降は日本の麻雀とほぼ同様に進行する。上がるときには「Mah Jongg」と言う[9]。王牌は存在せず、すべての牌を使用する。暗槓をさらすことはないし、加槓もない。ドラや嶺上牌も存在しない。
ジョーカーを含む面子がさらされている時に、さらされているジョーカー以外の牌と同じ牌が手牌中にある(または引いた)場合、その牌をさらしてあるジョーカーと交換することができる。交換することによって和了した場合は、自摸とみなされる。
役がなければ上がることはできないが、役は毎年変わり、また NMJL が著作権を持っているため、ここに一覧を示すことはできない。ルールブックに「NEWS」と書いてある場合は、北・東・西・南を1枚ずつ含むことを意味する。「2015」とある場合は、同じスートの2・1・5および白板(0を意味する)を1枚ずつ揃える必要がある。「GGGG」とあれば、緑発の4枚組が必要である。役は青・赤・緑の三色で記してあり、たとえば青一色で記されている場合は、ひとつのスートのみを使わなければならない。門前のみの役(concealed hand)のものと、鳴いてよい役(exposed hand)がある。
役の最低点数は25点である。ロンの場合、放銃した者は点数の2倍を、それ以外の2人は点数だけを払う。自摸の場合、3人とも点数の2倍を払う。3枚以上の組をすべてジョーカーなしに作った場合は点数が2倍になる。
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