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アスカニオス(古希: Ἀσκάνιος, Askanios, ラテン語: Ascanius)は、ギリシア神話に登場するアイネイアースの子で、ローマ神話に登場する伝説上の王である。ラテン語ではアスカニウス。
父がアイネイアースである事は間違いないが、母や兄弟・子供については伝承によって違いがある。
詩人ヴェルギリウスによると、アイネイアースとクレウーサの間に生まれた子であるとされ、トロイア滅亡と母クレウーサの死を契機に父と放浪の旅に出た。イタリア到着後はラテン王ラティヌスの娘(ラウィニア)を新たに娶った父の腹心として行動して、アルバ・ロンガと呼ばれる都市を築いた。父の死後にラティウム王を名乗り、アルバから統治を行った事からラテン人の王はアルバ王とも呼ばれた。アスカニウスが亡くなると、王位は異母兄弟のシルウィウスに継承された。
ハリカルナッソスのディオニュシオスによるとアスカニウスにはユールスという子供がおり、アスカニウスの死後にシルウィウスと王位を争ったという。王位はシルウィウスに受け継がれので、ユールスはアルバの一貴族として王に従ったとされている[1]。だがヴェルギリウスはユールスとはアスカニウス自身の別称であって、加えてユリウス家はユールス(アスカニウス)の末裔であると主張した。彼はユリウス家と神々を結び付けようとしていた。
帝政期の歴史家ティトゥス・リウィウスによると、そもそもトロイア滅亡時にアイネイアースに子供はおらず、ラティウムで知り合ったラヴィニアと初めて子供を儲けた。その子供がアスカニウスとシルウィウスで、二人は同じ父母を持つ兄弟であった。また中世時代に成立したブリテン神話に登場するトロイのブルータスでは「シルウィウスはアスカニウスを父とする」と伝承されていて、アルバ王朝はより複雑な血縁関係となっている。
いずれの伝承にしてもアイネイアースを父に持つ事と、父の長男としてラティウムの王(王女ラヴィニアとの共同統治であった)となったのは同じである。王になって直ぐに中北部に居住するエトルリア人の王メゼンティウスと戦争になり[2] 、敗れたアスカニウスはメゼンティウスに税の支払いを約束して講和した。そしてメゼンティウスの軍が引き返した所を強襲し、油断していたエトルリア軍を壊滅させた。更にアスカニウスは報復としてメゼンティウスの息子を処刑した上で、逆に税の支払いを命じた。
その後も30年間に亘ってラヴィニウムの宮殿でラヴィニアと統治を続けていたアスカニウスであったが、シルウィウスが成人したのでアルバ・ロンガという新たな都を築いて其処に宮殿を移したという(アルバ王)。シルウィウスがアスカニウスの弟か息子なのか、ラヴィニアが義母なのか実母なのかは不明である。ともかく、アスカニウスは死後にラヴィニアとシルウィウスに街を譲り、王位を継いだシルウィウスはアルバ・ロンガの方を宮殿に用いた。
ウェルギリウスの『アエネーイス』は大きな賞賛を受け、「ユリウス=ユールス=アスカニウス」というヴェルギリウスの説は大衆に広まっていった。この背景にはヴェルギリウスがローマで帝政を開始した皇帝アウグストゥスの後援を受けていた事が影響している。ユリウス氏族の一員として、アウグストゥスは自分の家系図に12神のうちの主要な3神(ユピテル、ウェヌス、マルス)がいると主張する為に、多くの詩人たちにユリウス一族がアイネイアースの血統であると強調させたのである。ローマ最初の君主「ロムルス」も、祖先を通じて神々の血統の元にあった事が権威に繋がっていた。
『アエネーイス』の中で、アスカニオスは最初に「annue coeptis」(彼=神は我等の企てに賛成した)というフレーズを使った。このフレーズは後にアメリカ合衆国のモットー「Annuit cœptis」の基になった。
なおスミュルナのコイントスによると、上記いずれかのアスカニオスがネオプトレモスに討たれたとある[7]。
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