フィリッポ・ブルネレスキ
イタリアの芸術家、建築家 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi, 1377年 - 1446年4月15日)は、イタリアの金細工師、彫刻家、そしてルネサンス最初の建築家である。本名はフィリッポ・ディ・セル・ブルネッレスコ(Filippo di ser Brunellesco=ブルネッレスコ氏のフィリッポ)、ないしはフィリッポ・ディ・セル・ブルネッレスコ・デ・ラーピである[1]が、もっぱらその短縮形であるフィリッポ・ブルネレスキの名で呼ばれる。主にフィレンツェで活動を行った。
彼は冗談や悪ふざけで他者をからかうことを楽しんだが[† 1]、発想は鋭く、聡明で機智に富んだ[4]。彫刻家としてはロレンツォ・ギベルティに遅れをとったが、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ建設によって絶大なる賞賛を得た[5]。 遠近法の発明[6]やオーダーの発見も、彼のものとされる。
コロンブスの卵の逸話は、元々はブルネレスキがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラの設計・施工方法を明かさなかった逸話に基づいている(コロンブスの卵#フィリッポス・ブルネレスキの逸話)。