イタリア領エリトリア
かつてアフリカに存在したイタリアの植民地 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
イタリア領エリトリア(イタリアりょうエリトリア、イタリア語: Colonia Eritrea)は、イタリア王国が現在のエリトリアに持っていた植民地である。1869年にルバッティーノ海運会社がアッサブを購入したのがイタリアの最初の進出で、1882年には政府の管理下に置かれた。1885年にマッサワを占領してから徐々に領土を拡大していき、1889年にはウッチャリ条約でエチオピア帝国との国境が定められた。そして、1890年にはエリトリア植民地が正式に設立された。
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公用語 | イタリア語 |
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言語 | ティグリニャ語、ティグレ語、サホ語、ビリン語、アラビア語ヒジャーズ方言 |
宗教 | カトリック 東方正教 イスラム教 |
首都 | アスマラ |
通貨 | エリトリア・タレーロ (1890年 - 1921年) イタリア・リラ (1921年 - 1936年) |
現在 | エリトリア |
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1936年、この地域はエリトリア総督府としてイタリア領東アフリカに統合された。この状態は、1941年に第二次世界大戦の東アフリカ戦線でイタリアがこの地域を失うまで続いた。その後イタリア領エリトリアはイギリス軍の統治下に置かれ、1951年には国際連合の監督下に置かれた。1952年9月にエチオピアの自治領となり、1991年に独立した。