勢州軍記孫兒神戶良政,根據成為蒲生氏鄉家臣的父親神戶政房的記錄,在返回松坂後,再聽取當地人的見聞而寫成。寬永15年(1638年),良政向德川賴宣獻上《勢州軍記》的抄錄版《勢州兵亂記》,被收錄在《續群書類從(日语:続群書類従)》。 勢州軍記 (页面存档备份,存于互联网档案馆) 伊勢國 神戶氏(日语:神戸氏)
鷹司任子永寺,追贈從二位。法名是天親院殿有誉慈仁智誠大姊。 由於任子是在家定就任將軍前逝世,因此並沒有獲得御台所的稱號。 「德川幕府家譜」(『徳川諸家系譜』第1巻、続群書類従完成会) 「幕府祚胤伝」(『徳川諸家系譜』第2巻、続群書類従完成会) 秋元茂陽『徳川将軍家墓碑総覧』(パレード、星雲社、2008年)
津川義冬津川義冬(?—1584年4月16日),日本戰國時代至安土桃山時代的武將。織田氏家臣。松島城(日语:松ヶ島城)城主。別名義永、近治(『續群書類從(日语:続群書類従)』『武衛系圖』)、雄光(『廓坊文書』)。 本姓源氏。足利氏一門(日语:一門),室町幕府三管領首領斯波氏的血脈。以斯波氏傍流的津川氏為姓。
慶壽院981年6月)・所収:湯川『戦国期公家社会と荘園経済』(続群書類従完成会、2005年) ISBN 978-4-7971-0744-9 第1部第2章) 湯川敏治「足利義晴将軍期の近衛家の動向 -稙家と妹義晴室-」(初出:『日本歴史』604号(吉川弘文館、1998年9月)・所収:上掲書 第1部第4章)
豐臣氏三上景文著・正宗敦夫校訂『地下家伝』 自治新報社、1968年。 大村由己「任官之事」 塙保己一『続群書類従』第20輯下 続群書類従完成会、1979年。 下橋敬長述・羽倉敬尚注『幕末の朝廷』 平凡社〈東洋文庫〉、1979年。 人見彰彦「足守木下家文書」山陽新聞社編『ねねと木下家文書』