陆军士官学校毕业生列表 (日本)(りくぐんしかんがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))是日本陆军士官学校毕业生的列表。值得注意的是,原则上仅记载在Wikipedia上存在既有条目的人。
此条目没有列出任何参考或来源。 (2012年8月9日) |
卒业生等
※士官生徒は少尉任官は一律に行われるが,卒业は兵科毎に差がある。
(明治8年2月入校,1877年12月22日任官,117名)
(明治12年2月1日任官,136名)
(1877年入校,明治12年(1879年)12月22日任官,96名)
(明治14年(1881年)12月24日任官,58名)
(明治15年(1882年)12月25日任官,60名)
(明治16年(1883年)12月25日任官,59名)
- 大将:仁田原重行・明石元二郎・大井成元・立花小一郎
- 中将:足立爱藏・蛎崎富三郎・重见熊雄・野口坤之・林太郎
- 少将:相浦多三郎・河野政二郎・杉浦藤三郎・桥口勇马・桥本三郎・山本延身・依田昌兮
- 中佐:须知源次郎(战死)・花田仲之助
(明治18年(1885年)6月18日任官,61名)
(明治19年(1886年)6月25日任官,144名)
(明治20年(1887年)7月21日任官,189名)
(明治21年(1888年)7月28日任官,158名)
- 大将:尾野实信
- 中将:高岛友武・田村冲之甫・松井库之助・山田隆一・渡边岩之助
- 少将:加瀬倭武・吉野文四郎
- 少佐:平冈八郎(战死)
(明治22年(1889年)7月26日任官,207名)
- 大将:菊池慎之助・奈良武次
- 中将:西川虎次郎・高山公通・河村正彦・久松定谟・斎藤季治郎・横山彦六
- 少将:土井市之进・长尾骏郎・樋口喜吉
- 大佐:坂田虎之助・片仓小太郎・日野强
- 中佐:高嶋嘉藏・晴気市三
- 少佐:石光真清
- 大尉:时沢右一
(明治23年(1890年)7月26日卒业,明治24年(1891年)3月26日任官,147名)
(明治24年(1891年)7月20日卒业,明治25年(1892年)3月21日任官,148名)
(明治25年(1892年)7月23日卒业,明治26年(1893年)3月13日任官,137名)
(明治26年(1893年)7月25日卒业,明治27年(1894年)3月7日任官,188名)
(明治27年(1894年)7月27日卒业,明治27年(1894年)9月18日任官,213名)
(明治28年(1895年)1月1日卒业,明治28年(1895年)5月22日任官,216名)
(明治29年(1896年)5月27日卒业,明治30年(1897年)1月25日任官,270名)
(明治29年(1896年)11月26日卒业,明治30年(1897年)6月28日任官,292名)
(明治30年(1897年)11月29日卒业,明治31年(1898年)6月27日任官,650名)
(明治31年(1898年)11月25日卒业,明治32年(1899年)6月27日任官,649名)
(明治32年(1899年)11月21日卒业,明治33年(1900年)6月22日任官,670名)
(明治33年(1900年)11月21日卒业,明治34年(1901年)6月25日任官,655名)
(明治34年(1901年)11月22日卒业,明治35年(1903年)6月23日任官,722名)
(明治35年(1902年)11月22日卒业,明治36年(1903年)6月26日任官,702名)
(明治36年(1903年)11月30日卒业,明治37年(1904年)2月12日任官,708名)
(明治37年(1904年)10月24日卒业,明治37年(1904年)11月1日任官,549名)
(明治37年(1904年)入校,明治38年(1905年)3月30日卒业,明治38年(1905年)4月21日任官,363名)
(明治38年(1905年)11月25日卒业,明治39年(1906年)6月26日任官,920名)
(明治40年(1907年)5月31日卒业,明治40年(1907年)12月26日任官,1068名)
(明治41年(1908年)5月27日卒业,明治41年(1908年)12月25日任官,276名)
(明治40年(1907年)入校,明治42年(1909年)5月27日卒业,明治42年(1909年)12月25日任官,418名)
(明治41年(1908年)入校,明治43年(1910年)5月28日卒业,明治43年12月26日任官,721名)
(明治42年(1909年)入校,明治44年(1911年)5月27日卒业,明治44年(1911年)12月26日任官,740名)
(明治45年(1912年)5月28日卒业,大正元年(1912年)12月24日任官,734名)
(大正2年(1913年)5月26日卒业,大正2年(1913年)12月25日任官,741名)
(大正3年(1914年)5月28日卒业,大正3年(1914年)12月25日任官,742名)
- 陆军大将を辈出した最后期
- 大将:栗林忠道(战死)
- 中将:洪思翊・柳田元三・远藤三郎・千田贞季・宫崎繁三郎・牧野四郎(战死)・影佐祯昭・物部长鉾・安部孝一・林义秀・佐々木登・冈崎清三郎・花谷正・若松只一・木下勇(战死)・和知鹰二・山田清一(自决)・中永太郎・吉积正雄・名仓栞・田副登
- 少将:井上靖・田中隆吉・长友次男・川口清健・住吉正・秋草俊・簗瀬真琴
- 大佐:东八百藏(战死)・新井匡夫(特进)・大冢寅雄・李应俊(香山武俊・韩国军中将,韩国军初代参谋总长)・刘升烈(江本烈・韩国军少将)・安秉范(安钟寅,龟村贞信・韩国军准将)
- 中佐:满井佐吉・申泰英
- 大尉:内山雄二郎・金埈元(韩国军准将)
- 满州国军中佐:朴胜薰(韩国军少将)
- 中尉:池大亨(韩国光复军总司令官)
(大正4年(1915年)5月25日卒业,大正4年(1915年)12月25日任官,761名)
(大正5年(1916年)5月26日卒业,大正5年(1916年)12月26日任官,651名)
(大正6年(1917年)5月25日卒业,大正6年(1917年)12月25日任官,536名)
(大正7年(1918年)5月27日卒业,大正7年(1918年)12月25日任官,632名)
(大正8年(1919年)5月28日卒业,大正8年(1919年)12月25日任官,489名)
- 中将:有末次(没后进级)・田村义冨(自决)
- 少将:小野寺信・片仓衷・小池龙二・真田穣一郎・藤原武(没后进级)・山本茂一郎
- 大佐:大岛卓・大谷敬二郎(宪兵)・垣内八洲夫・东平作・村中四郎
- 中佐:浅井敏夫(战病死)
(大正9年(1920年)5月26日卒业,大正9年(1920年)12月26日任官,429名)
(大正10年(1921年)7月27日卒业,大正10年(1921年)10月16日任官,437名)
(大正11年(1922年)7月28日卒业,大正11年(1922年)10月25日任官,345名)
(大正12年(1923年)7月21日卒业,大正12年(1923年)10月25日任官,315名)
(大正13年(1924年)7月18日卒业,大正13年(1924年)10月25日任官,330名)
- 实役停年通りに昇进する闲院宫春仁王が昭和20年6月に陆军少将に昇进するが,その他の者で少将まで昇进した者は战死による特进の场合のみ。
(大正14年(1925年)7月25日卒业,大正14年(1925年)10月26日任官,302名)
(大正15年(1926年)7月16日卒业,大正15年(1926年)10月25日任官,340名)
- 少将:大曽根义彦(战死)
- 大佐:松前未曽雄・大贺时雄・冈村诚之・西冈繁・神崎长
- 中佐:浦部彰(战死)・钉宫清重・山本顕弌・了戒次男・若松满则
- 大尉:安藤辉三
- 中尉:矶部浅一(一等主计)
(昭和2年(1927年)7月19日卒业,昭和2年(1927年)10月25日任官292名)
- 大佐:不破博・堂薗胜二・高山信武・中原茂敏・中沢胜三郎・松田武・草地贞吾
- 中佐:石川明・康贤一郎・一户公哉・井上清一・大桥武夫・釜井耕辉・辻本隼三・牧野靖雄・马杉一雄・吉田正治(战死)
- 留学生:黄瀛
(昭和3年(1928年)7月17日卒业,昭和3年(1928年)10月26日任官,225名)
- 大佐:黑田孝男(战死)・桥田靖(战死)
- 中佐:石川秀江・井上忠男・神笠武登・岛谷武・宫崎舜市・村中赖雄・森丙・吉满末盛
(昭和4年(1929年)7月17日卒业,昭和4年(1929年)10月25日任官,239名)
- 皇族:茂麿王(后に臣籍降下し葛城茂麿伯爵(陆军中佐)となる)
- 大佐:近藤传八(战死)
- 中佐:板垣彻・越次一雄(战死)・片冈太郎・神野敏夫・山口英治・加藤昌平・水町胜城
- 中尉:栗原安秀・中桥基明
(昭和5年(1930年)7月19日卒业,昭和5年(1930年)10月25日任官,218名)
(昭和6年(1931年)7月22日卒业,昭和6年(1931年)10月26日任官,227名)
(昭和7年(1932年)7月11日卒业,昭和7年(1932年)10月25日任官,315名)
(昭和8年(1933年)7月11日卒业,昭和8年(1933年)10月20日任官,337名)
- 皇公族:陆军中佐孚彦王・陆军大佐[[李グウ|李鍝公]]
- 中佐:朝枝繁春・井田正孝・榊原正次・岛贯重节・椎崎二郎・李烱锡(若松勇作)・田中耕二(空将)
- 少佐:明石寛二・大室孟(空将)
(昭和9年(1934年)6月卒业,338名)
(昭和8年(1933年)4月入校,昭和10年(1935年)6月卒业,330名)
(昭和11年(1936年)6月卒业,388名)
- 皇族:陆军少佐三笠宫崇仁亲王
- 少佐:成松长正・秋山登・今井义郎・衣笠骏雄・高桥正二・代永兵卫・川岛威伸・后胜
- 大尉:岩田道孝(战死)
- 少尉:后宫二郎(自决)
(昭和12年(1937年)6月卒业,471名)
(陆士1937年12月卒业426名)
- 少佐:朴范集(东林益范)・洼田兼三・曲寿郎・李龙文(山本健雄)・津野田知重・釜贺一夫(陆将补)・堀江正夫(陆将)
- フィリピン:ホセ・パシアノ・ラウレル(ラウレル大统领次男)
(1938年12月卒业461名)
- 少佐:荒木护夫・小坂三吉
(1939年9月卒业508名)
- 少佐:井出洋(陆将)・大迫隆・古贺秀正・佐野干雄・本城正八郎・水谷胜人・山本舜胜(陆将补)・志位正二
(1940年2月卒业1365名)
(1940年9月卒业1799名)
(1941年7月卒业1755名)
(1942年12月卒业1672名)
- 少佐:阿部信弘(战死)・崔贞根(高山昇・2阶级特进,战死)・水川祯辅(2阶级特进,战死)・田中秀志(2阶级特进,战死)・出丸一男(2阶级特进,战死)
- 大尉:牛岛贞二・李亨根(松山武雄)・崔昌植(高山隆)・金锺硕(日原正人)・酒井次武
- 中尉:阿南惟晟(战死)・川岛孝(战死)
- 少尉:阿南惟敬
- 留学生:朴林恒(鹤山林恒)
(1944年(昭和19年)4月卒业1268名)
(1945年(昭和20年)6月卒业1146名)
- 少尉:青木诚一・冈泽完治・村井澄夫・丁来赫(玉冈圣贤)・朴元锡(德田元教)・申尚澈(永田达明)・韩镛显(米原旭一)・崔福洙(佳山竜雄)・安光铢(龟村正経)・青井秀(34普连长)・山口信夫・川北博・下山敏郎・宫崎繁树・山本卓真
(终战后に特别に卒业资格を付与,陆士1250名)
- 昭和18年4月1日に陆军予科士官学校入校,昭和19年10月13日に予科士官学校卒业,同日に士官候补生を命ぜられ,昭和19年10月14日に士官学校入校,同日に兵长の阶级を与えられ,昭和20年1月15日に伍长の阶级に进み,昭和20年3月15日に军曹の阶级に进む。1961年に59・60期の同窗会“国史会”一部の者がクーデターを企画して破防法适用事件第1号となった(三无事件参照)。
(陆士1824名)
- 本科生徒たる兵长で士官学校闭校。
- 皇族:俊彦王
- 佐藤晃・吴一均
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