百人秀歌》(日语:百人秀歌ひゃくにんしゅうか Hyakuninshūka */?),又称《嵯峨山庄色纸形》,是日本镰仓时代和歌集日语和歌集,由藤原定家编撰而成,推测为《百人一首》原型或修订版,不过排除了后鸟羽院顺德院,以藤原定子源国信藤原长方代替,总共收录了101名歌人,每人一首,因此比《百人一首》要多一首。另外,部分和歌的用字在两书中也各有不同,源俊赖的入选作更是直接换了别首,《百人一首》在排序上相对地注重时序,《百人秀歌》的结构则更接近两人一组的歌合日语歌合形式[1][2]

概要

根据《明月记文历2年5月27日(1235年6月14日)条记载,定家受莲生日语宇都宮頼綱所托,写下色纸日语色紙形和歌,推测该色纸形便是《百人秀歌》。由于藤原家隆以“正三位家隆”的名义入选《百人秀歌》,因此推测《百人秀歌》是在其升至从二位的文历2年9月10日(10月23日)前编撰而成,当时正好是后鸟羽院和顺德院因为承久之乱而被流放至外岛的时期,也符合《新敕撰和歌集》排除两人的做法,因此有《百人秀歌》是《百人一首》原型的说法。同样地,由于《百人秀歌》排除了后鸟羽院和顺德院,也可以解读成是《百人一首》的修订版[1][2]

1951年,有吉保日语有吉保宫内厅书陵部的藏书中首次发现《百人秀歌》,其后久曾神昇日语久曽神昇又发现志香须贺文库藏藤谷为信笔本,此版本另有冷泉为信的奥书,指出此版本以冷泉家日语冷泉家藏本校对而成,两书的祖本均是冷泉家时雨亭文库日语冷泉家時雨亭文庫藏本,该版本抄写自南北朝时代室町时代,比《百人一首》已知最久的文安2年(1445年)手抄本还要早,为《百人一首》相关的手抄本中历史最悠久的版本,内题是“百人秀歌。嵯峨山庄色纸形。京极黄门撰”,奥书是《百人一首》没有的“我将自己想到的上古以来著名歌人的作品,一首一首写下来,名人名歌多有遗漏,如何取舍全由我个人定夺,没有其他人置喙的余地。”(上古以來哥仙之一首,隨思出書出之,名譽之人秀逸之詠,皆漏之,用捨在心。自他不可有傍難歟)。此外,冷泉家时雨亭文库尚藏有冷泉为村日语冷泉為村笔本,内有为村描写《百人秀歌》由来的奥书[1][2][3][4][5]

底本方面,宫内厅书陵部藏本见于《笠间影印丛书》以及《新编国歌大观[6],志香须贺文库藏本见于《日本歌学大系》[3],冷泉家时雨亭文库藏本则见于《冷泉时雨亭丛书》[1],为重要文化财[7]

一览

More information 编号, 歌人 ...
《新编国歌大观》版《百人秀歌》[6]
编号 歌人 入选作
1 天智天皇御制 あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは 露にぬれつつ
2 持统天皇御制 はるすぎて なつきにけらし 白妙の ころもほすてふ あまのかぐやま
3 柿本人麿 あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねん
4 山边赤人 たごのうらに うちいでてみれば 白妙の ふじのたかねに 雪はふりつつ
5 中纳言家持 かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞ更けにける
6 安倍仲丸 あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでし月かも
7 参议篁 わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと 人にはつげよ あまのつり舟
8 猿丸大夫 おく山に もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ 秋はかなしき
9 中纳言行平 たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこん
10 在原业平朝臣 ちはやぶる 神よもきかず たつた川 からくれなゐに みづくくるとは
11 藤原敏行朝臣 すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ 人めよくらん
12 阳成院御制 つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりける
13 小野小町 はなのいろは うつりにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに
14 喜撰法师 わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢ山と 人はいふなり
15 僧正遍昭 あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめん
16 蝉丸 これやこの ゆくもかへるも わかれつつ しるもしらぬも あふさかの関
17 河原左大臣 みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれむとおもふ 我ならなくに
18 光孝天皇御制 君がため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ
19 伊势 なにはがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや
20 元良亲王 わびぬれば いまはたおなじ なにはなる 身をつくしても あはんとぞ思ふ
21 源宗于朝臣 やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける 人めも草も かれぬと思へば
22 素性法师 いまこんと いひしばかりに なが月の ありあけのつきを まちいでつるかな
23 菅家 このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢのにしき 神のまにまに
24 壬生忠岑 ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし
25 凡河内躬恒 こころあてに をらばやをらん はつ霜の おきまどはせる 白ぎくのはな
26 纪友则 ひさかたの ひかりのどけき はるの日に しづごころなく 花のちるらん
27 文屋康秀 ふくからに あきの草木の しをるれば むべ山かぜを あらしといふらん
28 纪贯之 人はいさ 心もしらず ふるさとは はなぞむかしの かににほひける
29 坂上是则 あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれる白雪
30 大江千里 月みれば ちぢにものこそ かなしけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
31 藤原兴风 たれをかも しる人にせん たかさごの まつもむかしの 友ならなくに
32 春道列树 山がはに かぜのかけたる しがらみは ながれもあへぬ 紅葉なりけり
33 清原深养父 なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづくに 月やどるらん
34 贞信公 をぐら山 みねのもみぢば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなん
35 三条右大臣 なにしおはば あふさかやまの さねかづら 人にしられで くるよしもがな
36 中纳言兼辅 みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか 恋しかるらん
37 参议等 あさぢふの をののしのはら しのぶれど あまりてなどか 人のこひしき
38 文屋朝康 しらつゆに かぜのふきしく 秋の野は つらぬきとめぬ たまぞちりける
39 右近 わすらるる 身をばおもはず ちかひてし 人のいのちの をしくもあるかな
40 中纳言敦忠 あひみての 後のこころに くらぶれば むかしはものも おもはざりけり
41 平兼盛 しのぶれど いろにいでにけり 我が恋は ものやおもふと 人のとふまで
42 壬生忠见 こひすてふ 我がなはまだき たちにけり ひとしれずこそ 思ひそめしか
43 谦德公 あはれとも いふべき人は おもほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
44 中纳言朝忠 あふことの たえてしなくは なかなかに 人をも身をも うらみざらまし
45 清原元辅 ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさじとは
46 源重之 かぜをいたみ 岩うつなみの おのれのみ くだけてものを 思ふころかな
47 曾祢好忠 ゆらのとを わたるふな人 かぢをたえ 行へもしらぬ こひのみちかな
48 大中臣能宣朝臣 みかきもり ゑ士のたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもへ
49 藤原义孝 君がため をしからざりし いのちさへ ながくもがなと おもひぬるかな
50 藤原实方朝臣 かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆる思ひを
51 藤原道信朝臣 あけぬれば くるるものとは しりながら なほうらめしき あさぼらけかな
52 惠庆法师 やへむぐら しげれるやどの さびしきに 人こそみえね 秋はきにけり
53 一条院皇后宫 よもすがら ちぎりしことを わすれずは こひんなみだの いろぞゆかしき
54 三条院御制 こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき 夜半の月かな
55 仪同三司母 わすれじの ゆくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな
56 右大将道纲母 なげきつつ ひとりぬるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる
57 能因法师 あらしふく みむろの山の もみぢばは たつたのかはの にしきなりけり
58 良暹法师 さびしさに やどをたちいで ながむれば いづくもおなじ 秋のゆふぐれ
59 大纳言公任 たきのおとは たえてひさしく 成りぬれど なこそながれて なほとまりけれ
60 清少纳言 よをこめて 鳥のそらねに はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ
61 和泉式部 あらざらん このよのほかの おもひいでに いまひとたびの あふこともがな
62 大贰三位 ありま山 ゐなのささはら 風ふけば いでそよ人を わすれやはする
63 赤染右卫门 やすらはで ねなましものを 小夜ふけて かたぶくまでの 月をみしかな
64 紫式部 めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし 夜半の月かな
65 伊势大辅 いにしへの ならのみやこの やへざくら けふここのへに にほひぬるかな
66 小式部内侍 おほえ山 いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて
67 权中纳言定赖 あさぼらけ うぢの河ぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ
68 左京大夫道雅 いまはただ おもひたえなん とばかりを 人づてならで いふよしもがな
69 周防内侍 はるの夜の ゆめばかりなる たまくらに かひなくたたむ なこそをしけれ
70 大纳言经信 ゆふされば かどたのいなば おとづれて あしのまろやに 秋かぜぞふく
71 前大僧正行尊 もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しる人もなし
72 前中纳言匡房 たかさごの をのへのさくら さきにけり とやまのかすみ たたずもあらなん
73 权中纳言国信 春日野の したもえわたる 草のうへに つれなく見ゆる 春のあは雪
74 祐子内亲王家纪伊 おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ
75 相模 うらみわびぬ ほさぬそでだに あるものを こひにくちなん なこそをしけれ
76 源俊赖朝臣 山ざくら さきそめしより ひさかたの くもゐにみゆる たきのしらいと
77 崇德院御制 せをはやみ いはにせかるる たき川の われてもすゑに あはんとぞ思ふ
78 待贤门院堀川 ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ
79 法性寺入道前关白太政大臣 わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ 奥つしらなみ
80 左京大夫显辅 秋かぜに たなびくくもの たえ間より もりいづる月の かげのさやけさ
81 源兼昌 あはぢしま かよふちどりの なくこゑに いくよめざめぬ すまのせきもり
82 藤原基俊 ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あはれことしの 秋もいぬめり
83 道因法师 おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり
84 藤原清辅朝臣 ながらへば またこのごろや しのばれん うしとみしよぞ いまはこひしき
85 俊惠法师 よもすがら ものおもふころは あけやらぬ ねやのひまさへ つれなかりけり
86 后德大寺左大臣 ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの 月ぞのこれる
87 皇太后宫大夫俊成 世の中よ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも 鹿ぞなくなる
88 西行法师 なげけとて 月やはものを おもはする かこちがほなる 我がなみだかな
89 皇嘉门院别当 なにはえの あしのかりねの ひとよゆゑ 身をつくしてや こひわたるべき
90 权中纳言长方 きのくにの ゆらのみさきに ひろふてふ たまさかにだに あひみてしかな
91 殷富门院大辅 みせばやな をじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかはらず
92 式子内亲王 たまのをよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする
93 寂莲法师 むらさめの つゆもまだひぬ 槙のはに きりたちのぼる 秋のゆふぐれ
94 二条院赞岐 わが袖は しほひにみえぬ おきのいしの 人こそしらね かわくまもなし
95 后京极摄政前太政大臣 きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねん
96 前大僧正慈圆 おほけなく うきよのたみに おほふかな 我がたつそまに すみぞめのそで
97 参议雅经 みよし野の やまの秋かぜ 小夜更けて ふるさとさむく ころも打つなり
98 镰仓右大臣 世のなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも
99 正三位家隆 かぜそよぐ ならの小川の ゆふぐれは みそぎぞなつの しるしなりける
100 权中纳言定家 こぬ人を まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの 身もこがれつつ
101 入道前太政大臣 はなさそふ あらしのにはの ゆきならで ふりゆくものは 我が身なりけり
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参考资料

外部链接

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