小松宫小松宮,是明治時代初期由伏見宮邦家親王第八子彰仁親王創設的宮家。彰仁親王去世後,由北白川宮能久親王王子小松輝久臣籍降下,以小松侯爵家名義繼承及祭祀宮家。 彰仁親王在弘化三年(1846年)出生,為伏見宮邦家親王第八子。1848年(弘化五年)繼承仁和寺御室,成為仁孝天皇養子。不久出家,稱楞嚴定院御室・
小松宮彰仁親王1902年(明治35年):英国国王戴冠式差遣 1903年(明治36年):薨去、国葬 小松宮一代断絶,而彰仁親王的養子(依仁親王)不願繼承小松宮,於是另立東伏見宮。1910年(明治43年)7月20日,北白川宮能久親王第4王子輝久王(てるひさおう)臣籍降下,成为侯爵並以小松輝久作為姓名。 父母:伏見宮邦家親王 - 妃鷹司景子(日语:鷹司景子)
北白川宮與明治天皇有兩段姻親關係,恒久王及成久王分別迎娶了昌子内親王及房子內親王。 北白川宮智成親王 北白川宮能久親王,(陸軍中將,死後追贈大將) 竹田宮恒久王(陸軍少將)——(妻)昌子内親王 竹田宮恒德王(陸軍中佐) 北白川宮成久王(陸軍大佐)——(妻)房子內親王 北白川宮永久王(陸軍大尉,死後追升少佐) 北白川宮道久王 小松輝久(海軍中將,舊侯爵)
木曾號輕巡洋艦大川内傳七 大佐:1931年11月14日 - 小松輝久 大佐:1932年12月1日 - 伊藤整一 大佐:1933年11月15日 - 角田覺治 大佐:1934年3月10日 - 水野準一 大佐:1934年11月15日 - 岡新 大佐:1935年11月15日 - 工藤久八 大佐:1936年11月10日 - (兼)中邑元司
護國寺 (文京區)橋本夏子(典侍、明治天皇之側室) 久邇邦久(華族、侯爵,陸軍歩兵大尉) 小松輝久(華族、海軍中將) 上野正雄(華族、伯爵、海軍少將) 南部利祥(南部利恭之子,陸軍騎兵中尉) 野村吉三郎(海军大将、外交官、政治家) 大隈重信(內閣總理大臣) 山縣有朋(內閣總理大臣) 松平直亮(華族、政治家、農業經營家)