應神天皇(日語:応神天皇/おうじんてんのう Ōjin Tennō)是傳說中日本第15代天皇,其在《日本書紀》稱作譽田別尊(日語:誉田別尊/ほむたわけのみこと Homutawake no mikoto),《古事記》則將之名為品陀和氣命(日語:品陀和気命/ほむだわけのみこと Homudawake no mikoto)。神道教尊為戰神八幡神。自應神起關於天皇在位時間和事跡的考古學資料與線索大量增多。
傳說與歷史
根據史書記載,應神天皇本名來紗別尊,是仲哀天皇第四子,也是神功皇后唯一的孩子。由於是在皇后親征新羅時所懷之子,故又稱作「胎中天皇」。據說天皇年輕時曾赴越地(今北陸地方),而在當地拜祭角鹿笥飯大神並交換名字,故號大神改名為去來紗別神,身為太子的天皇則改名譽田別尊。
天皇早在三歲時便由神功皇后立為太子。在皇后長達69年的攝政裡,太子似乎與皇后共同治理國家。皇后百歲過世後,譽田別尊於隔年登基天皇。比起過去的天皇,應神天皇的后妃與子女可謂十分眾多:在《日本書紀》中,天皇共有七位后妃生有十男十女。而在《古事記》裡,天皇共有九位后妃生有十一男十五女。
家庭
- 皇后:仲姬命(なかつひめのみこと、中日賣命) - 品陀真若王(五百城入彥皇子王子)之女
- 荒田皇女(あらたのひめみこ、木之荒田郎女)
- 大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命・仁德天皇)
- 根鳥皇子(ねとりのみこ) - 大田君祖
- 妃:高城入姬命(たかきのいりびめ、高木之入日賣命) - 品陀真若王女、仲姬命同母姊
- 額田大中彥皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)
- 大山守皇子(おおやまもりのみこ) - 土形君・榛原君祖
- 去來真稚皇子(いざのまわかのみこ、伊奢之真若命) - 深河別祖
- 大原皇女(おおはらのひめみこ) - 《先代舊事本紀》作弟姬命所生。
- 澇來田皇女(こむくたのひめみこ、高目郎女)
- 妃:弟姬命(おとひめ、弟日賣命) - 品陀真若王女、仲姫命同母妹
- 阿倍皇女(あへのひめみこ)
- 淡路御原皇女(あわじのみはらのひめみこ、阿具知能三腹郎女) - 根鳥皇子妃
- 紀菟野皇女(きのうののひめみこ、木之菟野郎女)
- 滋原皇女(しげはらのひめみこ) - 不見於記紀,《先代舊事本紀》補之。
- 三野郎女(みののいらつめ)
- 妃:宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比賣) - 和珥日觸使主女。
- 妃:小甂媛(おなべひめ) - 和珥日觸使主女、宮主宅媛妹。
- 菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつめのひめみこ、宇遲能若郎女) - 仁德天皇妃
- 妃:息長真若中比賣(おきながまわかなかつひめ、弟媛) - 河派仲彥王(息長田別王之子、日本武尊孫)女
- 妃:糸媛(いとひめ、糸井比賣) - 櫻井田部連島垂根女、男鉏妹
- 隼總別皇子(はやぶさわけのみこ、隼別皇子、速總別命)
- 妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)
- 妃:迦具漏比賣(かぐろひめ) - 須賣伊呂大中日子王(稚武彥王王子、日本武尊孫)王女
- 妃:葛城野伊呂賣(かつらぎののいろめ、怒能伊呂比賣?) - 武內宿禰之女?
- (伊奢能麻和迦王) - 與去來真稚皇子重複。
- 妃:兄媛(えひめ) - 吉備武彥命(稚武彥命子)女、吉備御友別妹
關連項目
- 八幡神
- 王朝交替説
- 譽田八幡宮
- 宇美八幡宮
- 米餅搗大使主
參考文獻
前任: 神功皇后 |
日本天皇 | 繼任: 仁德天皇 |
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