古河藩土井利勝 土井利隆 土井利重 土井利久 土井利益 9万石(譜代) 堀田正俊 堀田正仲 9万石(譜代) 松平信之 松平忠之 7万石(譜代) 松平信輝 松平信祝 5万石(譜代・10万石格) 本多忠良 本多忠敝 5万石(譜代) 松平康福 7万石→8万石(譜代) 土井利里 土井利見 土井利厚 土井利位 土井利亨
土井利位土井利位(日语:土井 利位/どい としつら Doi Toshitsura,1789年6月15日—1848年7月31日),日本江戶時代末期大名,下總古河藩第4代藩主、江戶幕府老中首座。由于爱好研究雪花,因此被称为“雪花大人”(日语:雪の殿様)。 土井利位于宽政元年(1789年)5月22日出生,是三河
京都所司代阿部正允(1764年-1768年) 土井利里(1769年-1777年) 久世應明(1777年-1781年) 牧野貞長(1781年ー1784年) 戶田忠寬(1784年-1789年) 太田資愛(1789年-1792年) 堀田正順(1792年-1798年) 牧野忠精(1798年-1801年) 土井利厚(1801年-1802年)
寺社奉行小堀政方(1760年 - 1761年) 松平乘佑(1760年 - 1764年) 太田資俊(1760年 - 1762年) 酒井忠香(1761年 - 1765年) 土井利里(1763年 - 1769年) 松平忠順(1764年 - 1775年) 土岐定經(1764年 - 1781年) 久世廣明(1765年 - 1769年)
佐倉藩土井利勝,在土井管治23年,獲幕府重視,加封至11萬4千石。其後利勝轉藩至古河藩,由石川忠總繼任。經過多次領地調整後,直到江戶時代中後期才由堀田氏管領。 在堀田正睦時代鼓勵學習蘭學。招攬醫師佐藤泰然來到佐倉藩開辦順天堂。在培里來臨日本後,處理外國事務,直到井伊直弼就任大老時為其罷免。