藤原敦忠藤原顯忠(日语:藤原顕忠)。敦忠是三十六歌仙和《百人一首》歌人之一,有30首作品收錄於敕撰和歌集。愛知縣個人收藏的其畫像《紙本着色三十六歌仙切(日语:佐竹本三十六歌仙切)》和《紙本著色藤原敦忠像》上疊本分別在1935年4月30日和1957年2月19日獲文化廳指定為重要文化財。 敦忠
藤原忠通藤原忠通(ふじわら の ただみち,1097年3月15日—1164年3月13日),日本平安時代公卿。藤原北家出身,藤原忠實長子。官至從一位攝政關白太政大臣,世稱法性寺殿、高陽院,法名圓觀。 1121年,忠通之父忠實觸怒白河法皇,因而白河法皇將原屬忠實的關白、藤氏長者轉授忠
藤原實賴長男:藤原敦敏 二男:藤原賴忠 三男:藤原齊敏 三女:藤原述子 - 村上天皇女御 妻:藤原能子 - 藤原定方之女 生母不明 長女:藤原慶子 - 朱雀天皇女御 二女:源高明之妻 養子女 養子:藤原佐理 - 實為藤原敦敏之子 養子:藤原實資 - 實為藤原齊敏之子 大日本史藤原實賴傳 (页面存档备份,存于互联网档案馆)
藤原师辅村上天皇中宫、冷泉天皇・圆融天皇生母 次女:藤原登子(?-975) - 重明亲王室、村上天皇后宫、尚侍 三女:源高明室 - 源俊贤母 六女:藤原怤子 - 冷泉天皇女御、尚侍 妻:藤原顕忠之女 四子:藤原遠量 七子:藤原遠基 妻:藤原公葛之女 六子:藤原遠度(?-989) 妻:勤子内亲王(904-938)
清原元輔子:清原為成(?-1025) 子:戒秀(?-1015) 子:清原致信(?-1017) 女:清少納言 女:藤原理能室 元輔の父を深養父とする説もある。 父の名を「顕忠」とする系図もあるが、藤原元輔の父・藤原顕忠と混同した誤りと考えられている。 『檜垣嫗集』の詞書より「周防命婦」と呼ばれる夫人の存在が示唆され