須田満胤

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須田 満胤(すだ みつたね、永禄10年(1567年)- 没年不詳)は、安土桃山時代の武将。上杉氏の家臣。元信濃国の豪族須田満親の長男。別称に景実、光義がある。通称は右衛門大夫

父とともに上杉景勝に仕える。当初は信濃飯山城に在番した。天正14年(1586年)景勝の上洛に従い、天正20年(1590年小田原征伐にも参陣した。慶長2年(1597年伏見城普請に充てられるが、不備があったために同じく担当であった柿崎憲家ら、さらに父満親も連座で共に改易処分となり、京都で浪人した。そのために須田家は弟の長義が継いだ。

室は樋口兼豊の長女・きた。また直江兼続の実妹にあたる。きたとの間には満統を儲けている。改易後、妻子は本庄繁長を頼り、後に満統は直江兼続の取り成しで米沢藩に帰参している。

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