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青山 忠重(あおやま ただしげ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。遠江国浜松藩の第3代藩主、丹波国亀山藩の初代藩主。官位は従五位下・因幡守。青山家宗家13代。
承応3年(1654年)5月23日、浜松藩初代藩主(当時は信濃国小諸藩主)青山宗俊の三男として小諸で誕生した。天和3年(1683年)8月5日、兄で浜松藩の第2代藩主である忠雄の養子となり、12月に従五位下・下野守に叙位・任官する。貞享2年(1685年)、兄の死去により家督を継いだ。
元禄15年(1702年)9月7日、浜松藩から亀山藩に移封される。正徳4年(1714年)9月に因幡守に遷任する。享保7年(1722年)6月18日に家督を四男の俊春に譲って隠居し、出家して清休と号したが、直後の10月28日に死去した。享年69。
丹波亀山藩主時代の宝永2年(1705年)、農業振興の一環として、東中(ひがしなか)村[1]の小豆の優秀さに目をつけ、庄屋に一石を上納させ、その中から精選したもの一斗を5代将軍・徳川綱吉に献上したところ、幕府の評判になった。綱吉がこの中からさらに粒を選んで朝廷に献上し、朝廷でも激賞されたことから大納言小豆と称されたのが、丹波大納言小豆の由来とされる。ただし忠重の官職は大納言などという高位ではなく、将軍であった綱吉は大納言より高い「内大臣」「右近衛大将」、さらに、まさに当該の年である宝永2年(1705年)に「右大臣」となっている[2]。
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