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雷型駆逐艦(いかづちがたくちくかん)は、大日本帝国海軍が初めて運用した駆逐艦の艦級。第一期拡張計画に基づき、イギリス海軍B級駆逐艦の準同型艦として、明治29年・30年度計画でイギリスのヤーロー社に6隻が発注された。1899年より順次に就役し、日露戦争でも活躍した[7]。
雷型駆逐艦 | |
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基本情報 | |
種別 | 水雷艇(駆逐艇) → 軍艦(駆逐艦) → 駆逐艦 → 三等駆逐艦 |
建造所 | ヤーロー社[1] |
就役期間 | 1899年 - 1925年 |
次級 | 東雲型駆逐艦 |
要目 (計画) | |
排水量 | 305英トン[1][2] |
長さ | 220 ft 8 in (67.259 m)[1][2] |
幅 | 20 ft 6+11⁄16 in (6.266 m)[2] |
深さ | 13 ft 08 in (4.166 m)[2] |
吃水 | 5 ft 2+3⁄8 in (1.584 m)[1][2] |
ボイラー | ヤーロー式缶 4基[3] |
主機 | 直立3段4筒レシプロ 2基[4] |
推進器 | 2軸[4] |
出力 | 6,000馬力[1][3] |
速力 | 31ノット[1][3] |
燃料 | 1899年雷:石炭100英トン(全量)[5] |
乗員 | 雷竣工時定員:52名[6] |
兵装 |
竣工時[3] 12ポンド砲 1門 5.7cm砲 5門 朱式[4]18インチ(45.7cm)発射管 2門 |
本型は、ヤーロー社がアルゼンチン海軍向けに建造していた「コリエンテス」(ARA Corrientes)を発展させるかたちで設計されており[8]、イギリス海軍のB級駆逐艦の準同型艦とされている[7]。船型は同型と同じく乾舷の低い平甲板型とされ、艦首が波浪に突っ込んだときに海水をすくい上げないように、水はけの良い亀甲型(タートルバック)とされたのも同様である[9]。
ボイラーはヤーロウ式の石炭専焼式水管ボイラーで、蒸気は飽和蒸気でで、圧力17.6 kgf/cm2 (250 lbf/in2)だった。主機は3段膨張4気筒レシプロ蒸気機関とされた。各艦とも海上公試では計画値を上回る好成績を記録した[10]。
兵装は、原型となったイギリス駆逐艦の構成が踏襲されており、艦砲としては40口径7.6cm砲(安式十二斤速射砲)1門と40口径5.7cm砲(保式六斤速射砲)5門が搭載された。40口径7.6cm砲は上甲板後端、40口径5.7cm砲は司令塔上に1門と上甲板両舷に2門ずつが設置された。また魚雷については、上甲板後部の中心線上に2個の旋回台を設け、これに人力旋回式の45cm魚雷発射管を1門ずつ設置した[11]。
明治29年度計画で4隻、明治30年度計画で2隻が発注され、1899年(明治32年)から1900年(明治33年)にかけて6隻が就役し、当初は水雷艇(駆逐艇)に類別された。このように小型の艦を単独で日本に回航するのは前例がなく、当初は分解輸送して日本国内で再組立する案もあったが、結局はイギリスで竣工したうえで日本に回航しており、以後、駆逐艦の国産化までこの方式が踏襲された[7]。
1900年6月22日に軍艦(駆逐艦)に編入され、1905年(明治38年)12月12日に軍艦籍から駆逐艦籍に転籍、1912年(大正元年)8月28日には等級が付与され、三等駆逐艦となった。
霓は就役した年に座礁、沈没しているが、残りの艦は日露戦争に参加している。戦没艦はなかったものの、雷・電の2隻も事故で失われており、同型艦の半数を事故で喪失したことになるが、残りは艦歴を全うし、大正10年までに全艦退役した。
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