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陸軍軍医学校 (りくぐんぐんいがっこう) は、かつて現在の東京都新宿区戸山町(旧・牛込区)に存在した旧大日本帝国陸軍の医学科系教育機関(軍学校)。陸軍戸山学校が近接していた。なお、海軍には海軍軍医学校が設置されていた。
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1922年まで存在した麹町区富士見町の敷地は、逓信省(郵政省を経て現・総務省、日本郵政グループ、NTTグループ)に移管された。また、終戦まで存在した牛込区戸山町の敷地は、厚生省(現・厚生労働省)に移管されている。
大東亜戦争(太平洋戦争・第二次世界大戦)中には、日本競馬会(現・日本中央競馬会)の中山競馬場(千葉県船橋市)が陸軍に接収され、敷地の一部が陸軍軍医学校中山出張所として血清ワクチンの製造工場などが置かれた。戦後は食糧難のため畑となり麦や野菜などが植えられていた。
1989年(平成元年)7月、陸軍軍医学校跡地における厚生省国立予防衛生研究所 (現・国立感染症研究所) 建設工事の際、同地から人骨が発掘された。当初の警察発表では頭蓋骨・大腿骨中心に35体とされたが、骨の鑑定を求める市民の声が上がり、1991年秋新宿区が札幌学院大学の佐倉朔教授に鑑定を依頼、1992年4月その結果が出て、人骨は百体以上、1例を除きモンゴロイド系人骨だが複数の人種からなり、頭蓋骨十数個には人為的な加工の跡があり、さらに銃弾や刃による傷のある遺骨が複数あったため、「731部隊による細菌兵器開発のための生体実験の犠牲者ではないか」などの疑惑が高まった[9]。実は、新宿区は早い内から当時は国立科学博物館員であった佐倉に頼もうと本人の内諾も得ていたものの正式に博物館に依頼したところ館長名で断られ、その後も何人かの医大教授に内諾を得たものの、その都度学長名で断られたという。鑑定は、医学部のない、私立の札幌学院大学の教授に就任したことで実現したという。それまでの間、新宿区が骨の扱いについて厚生省に問い合わせると、厚生省は「速やかに手厚く葬って」という回答を繰り返すばかりだったという。[10]
この鑑定結果を受けて、1993年(平成5年)9月、発掘された人骨を焼却せず、その調査・研究を行えるよう、新宿区に対し人骨の火葬・納骨の費用を支出しないよう求める住民訴訟が提訴された。
また1992年と1994年には、日本弁護士連合会が内閣総理大臣に対し人骨の調査を行うよう勧告するとともに、区に対し人骨を保管するよう勧告する人権救済申立を行った[11]。
2000年(平成12年)12月19日、最高裁第三小法廷(奥田昌道裁判長)判決によって原告側の住民敗訴が確定[12]。翌2001年6月、厚生労働省は人骨について、「軍医学校が研究・教育のため使った標本などだった」として国の関与を認め、人骨を新宿区から引き取り新たにつくられる納骨堂に納める方針を固めた[13]。納骨堂は、2021年6月15日現在、国立感染症研究所内に存在する[14]。
2011年(平成23年)2月、厚生労働省は初めて人骨の発掘作業を開始した。発掘対象地は旧厚生労働省宿舎跡地であり、1989年に人骨が発見された場所に近い。「人骨標本を隠すために厚生労働省宿舎に人が住んでいる」という証言があったため、宿舎の入居者が退去するのを待ち、建物を解体した[15]。
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