阿部致康
ウィキペディアから
ウィキペディアから
阿部 致康(あべ おきやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。陸奥国湯長谷藩(福島県いわき市)の家臣、阿部五次右衛門家の祖。官位は従五位下・右衛門尉、右京亮。
准大臣・勧修寺晴豊の五男として誕生。初名は勧修寺致房(または、勧修寺致康)。始め神祇管領長上・吉田兼治の猶子、のち出家し愛宕山大善院の別当となる。
慶長8年(1603年)、兄・勧修寺光豊(武家伝奏)の命で還俗し徳川家康に仕える。のちに、徳川家康より偏諱「康」の字を賜い武士となる。寛永3年(1626年)、大坂城代・阿部正次の猶子となり、阿部右京と称す。
養子(孫)・阿部房豊(五次右衛門)は、大坂定番・遠山政亮(初代・湯長谷藩主)に仕え、子孫は代々給人格(扶持米取)に列す。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.