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日本の女優、タレント (1979-) ウィキペディアから
遠野 なぎこ(とおの なぎこ、1979年〈昭和54年〉11月22日 - )は、日本の女優、タレント。旧芸名は遠野 凪子。キャストパワー所属。
とおの なぎこ 遠野 なぎこ | |||||
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本名 | 青木秋美 | ||||
別名義 | 遠野 凪子(旧芸名) | ||||
生年月日 | 1979年11月22日(44歳) | ||||
出生地 | 日本・神奈川県川崎市 | ||||
身長 | 164cm | ||||
血液型 | O型 | ||||
職業 | 女優、タレント | ||||
ジャンル | テレビドラマ、映画、舞台 | ||||
活動期間 |
1991年 - 1995年 1998年 - | ||||
配偶者 |
一般男性(2009年5月13日 - 7月23日) 一般男性(元プロボクサー)(2014年5月5日 - 6月28日)[1] 一般男性(2023年2月22日 - 3月7日)[2] | ||||
事務所 | キャストパワー | ||||
公式サイト | 公式プロフィール | ||||
主な作品 | |||||
映画 『日本の黒い夏─冤罪』 『海は見ていた』 テレビドラマ 『未成年』 / 『すずらん』 『冬の輪舞』 / 『麗わしき鬼』 | |||||
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神奈川県川崎市出身、川崎市立中野島中学校卒業。
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
6歳で子役として芸能界デビュー[4]。幼い頃からこの仕事を続けている。幼少期から父母による児童虐待の被害を受けており[4]、4人きょうだいの中で遠野だけが虐待を受けてきた[4]。遠野の母は「女優になりたい」という夢を持ちながらも、10代で妊娠出産したことから夢を諦め、その夢を子供たちに託してきた[4]。そして遠野の弟と妹を児童劇団に入れたが、そこに付き添っていただけの遠野を劇団スタッフが見い出し「子役をやってみないか」と誘われたのがデビューのきっかけになった[4]。
両親は遠野が小学校5年生のときに離婚し、3人の子供は母に引き取られた。そして母は児童劇団のスタッフと再婚、4人目の子供が生まれた[5]。しかし再婚後も母は勤めていたスナックのオーナーと不倫し、遠野ら子供たちだけの家に不倫相手の妻が押しかけることもあった[5]。母は子育てを放棄して恋に溺れ、4人の子供たちはネグレクト状態に置かれた[5]。そのため長子の遠野は、周囲に相談できる大人もなく、子役の仕事をしながら学校へ行き、弟妹の食事を作ったりして世話をするヤングケアラーとならざるを得なかった[5]。
人気子役であったことから中学校でいじめにあったときも、それに耐えて仕事を続けていた[6]。思春期に母から「吐いたら太らないから吐け」などと言われたことから、15歳で摂食障害を患ったが、母もまた摂食障害であった[4]。
遠野は、15~16歳の時にドラマ『未成年』の出演をきっかけに、人格崩壊(「人付き合いに対して飽きっぽくなる」「冷めた性格になる」等)が起こり、この時期が我慢の限界であったと語っている。一度は女優という職業に疑問を感じ疲労がたまり休業したが、夢の中にも自分が演技をしている姿が出てくるようになり「自分は女優しかない」と奮起、復帰したと語った[要出典]。
しかし連続ドラマに続き、単発ドラマへの出演が決まって仕事にやりがいを感じていた矢先に、母が2度目の離婚をして不倫相手と再婚、3人目の夫と一緒に暮らさなくてはならなくなった[5]。大人の身勝手さにショックを受けた遠野は、16歳で初めて睡眠薬自殺を図ったが、救急搬送されて命を取りとめ未遂に終わった[5]。そのときもマネージャーは遠野に対して怒るだけで心配すらせず、所属事務所はドラマの撮影が終わったら遠野を休業させることを決めた[5]。
そして遠野は、16歳で一人暮らしを始めて家を出て、家族と絶縁した[4]。しかし遠野は母と絶縁してから病状が悪化し、幻聴が聞こえたり自傷行為を繰り返していた[4]。そんな中で、テレビ番組のロケの前日に自殺未遂をして、家で首を吊ったが、滑って落下し、顔周りがあざで真っ青になった状態で仕事に向かった。そのロケはまさかの健康診断の企画だったが、メイクであざを隠してオンエアされた。遠野自身はこのロケの記憶があまりなく、後日スタッフが、ロケ中に遠野が「自殺」という言葉を何度も発していたと述べたことで知った[4]。
遠野は3年の休業後に女優業を再開、所属事務所の意向で、NHK連続テレビ小説『すずらん』の主役を演じることが決まった[5]。遠野はそのとき、16歳で家を出てから縁を切っていた母に知らせたいと思い電話したが、返事は「そう」と無関心なものだった[5]。その当時、母は3人目の夫とともにスナックを経営していた[5]。
遠野はテレビ番組の取材で、唐辛子をサラダにかけ過ぎたり、休日はほぼ一日中酒を飲んでいるといった、極端な偏食傾向およびアルコール依存症であることが分かり、健康を損なうとして警告を受けたことがある。実際にこれが災いし、シャンプーをした後に抜け毛が多く発生したことが判ったほか、番組取材で人間ドックに入った際も「余命7年」と診断されている[要出典]。
30代になり、2013年と2014年に自伝本を出版し、過去について告白してからは「完全ではないが以前よりは良い方向に向かっている」とブログに書いた。しかしまだ過食嘔吐や強迫性障害については投薬治療を続けていた。
40代になると、2022年には母が自殺。3人目の夫が癌で死去してからの後追い自殺だった[4]。遠野は母の葬儀には参列しなかった[4]。母からは一度も愛情を受けることはなく、遠野は自殺した母について「『母親』にはなれずに『女』のまま生きている人であった」と語っている[4]。母の死後は一時期は精神的に不安定になったものの「解放された」という思いから、摂食障害やアルコール依存症はいったん快方に向かった[4]。しかし母親の死を機に、絶縁していた家族のうち、3歳下の弟とだけは縁が繋がったが[7]、そのことで親からの虐待を思い出してフラッシュバックを起こしてしまい、摂食障害とアルコール依存症が再燃したため、弟とも再び縁を切らざるを得なくなった[4]。
遠野は『週刊文春』のインタビューの中で「子供を愛さない親がいる、ということが社会に周知されていない」と指摘している[8]。遠野は「世間のそうした風潮が児童虐待の被害者を追い詰め、誰にも言えない、理解してもらえないと孤立させていく。自分自身もそうだった」と述べている[8]。自伝を書いて過去の体験を公表したのも、児童虐待の凄惨な事実など想像もつかないであろう「普通の人々」に訴えたいという気持ちもあったと言う[8]。また母の死を契機に、インタビューなどにも出演して自分の体験を語るようになったが、それは「人に言えないだけで、自分と同じような人が実はたくさんいるだろうから」という思いからだと言う[8]。
この『週刊文春』のインタビューは2023年に行われたため、コロナ禍で自殺者が増えたことにも触れ、遠野は「目に見えない心の傷も必ず癒えることを信じてほしい、自死だけは選ばないでほしい」ということを、同じ境遇の人々に訴えたいと述べて、インタビューを締めくくっている[8]。また、このインタビューの時点で、遠野自身もまだ精神科に通院し、摂食障害と強迫性障害の治療を継続していることも明かしている[8]。
出生名および旧芸名は「青木 秋美」。3度の結婚を経験したが、1度目の結婚生活は72日間、2度目の結婚生活はわずか55日間で、芸能人では最短である。2014年の2度目の離婚後は、元夫の姓を名乗り、元夫とは「交際中」であるとして、事実婚(戸籍名は既に元夫の名前なので夫婦別姓ではない)になるため「任意後見契約」を結ぼうとしているとしている[9]。2023年2月22日、3度目の結婚をしたが、2週後の3月7日に離婚した[2]。その後も付き合っては別れての恋愛遍歴を持つ[10]。ただし遠野自身は、結婚生活が続かないことも理由があってのことなので、マスコミなどに面白おかしく書き立てられるのはつらいと述べている[8]。
猫好きで、心から愛しているのは茶色いメインクーンの悠くん、黒いノルウェージャン・フォレストキャットの蓮くん。2匹は毎回、遠野のブログに写真で登場している。「彼らと一緒に写っている写真だけは自分を醜いとは思わなくて済み、自分がモンスターに見えない」と語っており、心の救いになっている[要出典]。
青木秋美 名義
遠野凪子 名義
遠野なぎこ 名義
遠野凪子 名義
遠野なぎこ 名義
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