2001年に、道徳再武装は、その名称をイニシアティブス・オブ・チェンジ(IofC、日本ではICと呼ばれることが多い)に変更した。非政府組織のICインターナショナル[6]として、国際連合や欧州評議会との連携も図ろうとしている[7]。各国における取組には、アメリカにおける「都市における希望(Hope in the Cities)」やスイスにおける「人間の安全保障に関するコー会議」、インドの「ガバナンスのための拠点」、シエラレオネの「Hope Sierra Leone」などがある。
実際には、ナチスは、1934年以来オックスフォードグループに疑いの目を向けていた。これは、ゲシュタポのドキュメントから明らかだ[34]。第二次世界大戦中には、ドイツ国内のオックスフォード・グループにも、ナチス政権への抵抗運動を積極的に続けた者もいた。ノルウェーのオスロでBishop Fjellbuが1945年に次のように語っている。「オックスフォード・グループの活動によって、ノルウェーの協会関係者が団結してナチズムへの抵抗運動を行う基礎ができている、ということを私は明らかにしたい。」[35]英国では、全土にわたってオックスフォード・グループが積極的に活動をしていた。小説家であるダフニ・デュ・モーリエは、「Come Wind, Come Weather」を出版し、オックスフォード・グループの活動を通じて、平凡な英国人が新たな希望あふれる生活を手に入れる物語を描いた[36]。この本は、英国だけで65万部を売り上げた[37]。
1935年には、アルコホーリクス・アノニマス(AA)と呼ばれる運動がビル・ウィルソンとDr Robert Smithらによって始められた。彼らは、MRAの前身であるオックスフォード・グループと医学的治療の組み合わせによって、アルコール依存症を克服した経験があった。アルコホーリクス・アノニマスという名称を採用する前は、"the alcoholic squadron of the Oxford Groups"(オックスフォード・グループのアルコール依存症部隊)と呼ばれていた。AAの12のステップの一部は、オックスフォード・グループの考え方に基づくものである。ただし、考え方の大きな変化も見られ、AAは「4つの絶対標準」を放棄し、「完璧ではなく進歩を」という原則を好んだ。AAは、「我々自身を超える力」("a power greater than ourselves")という標語とともに、多くのアルコール依存症患者に広がっていくこととなり、非キリスト教徒も加わった。オックスフォードグループやMRAと異なり、AAはアルコール依存症患者の克服支援に活動範囲を明確に限定した。また、AAは、あらゆる宗教、政党、その他組織から独立した運動であった。
のちにアメリカ大統領となる、ハリー・トルーマン上院議員が、上院の軍事関連契約を監督する委員会の委員長であったときに、1943年にワシントンで開かれた記者会見で、「障害は、疑念、対立、無関心、欲望に起因するものだ。こうした点に対処すべく、MRAのグループが来てくれた。そして、人々が遠巻きに批判している中で、彼らは腕まくりをして、仕事に従事した。そして、彼らは、誰が正しいかではなく何が正しいか、という原理に則り、産業にチームワークを持ち込むという点で多大な功績を残している。」と述べている。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p. 324
歴史家のダグラス・ジョンストンとシンシア・サプソンは、この動きを「近代国家の歴史の中での最も重大な業績(すなわち戦後におけるフランスとドイツの急速な和解)への大きな貢献」と評している。 Johnston and Sampson, Religion, the Missing Dimension of Statecraft, Oxford University Press, 1994
1956年には、モロッコ国王ムハンマド5世がブックマンにメッセージを送り、「ここ最近の試練の年月の最中でモロッコのために貴殿がなされたことに対して、私は感謝の意を表します。MRAは、我々ムスリム、あなた方クリスチャン、そしてあらゆる民族を動かす誘引に違いありません。」と述べた。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 454
1960年には、キプロスの大統領であるマカリオス大司教と、副大統領であるクキュック副大統領が共同で独立キプロスの最初の国旗をコーにいたフランク・ブックマンにおくっている。これは、MRAの支援への感謝の意を示すものであった。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p 524
ジョンズ・ホプキンス大学名誉教授。元SAISライシャワー・センター東アジア研究所日本研究担当教授。CIA東アジア部・国務省で勤務。中曽根康弘元首相と親密。著書に『いかに保守党が日本を支配しているか』(How the Conservatives Rule Japan, Princeton University Press, 1969)
ヒムラーへの最後の面会の数時間後に、あるデンマーク人ジャーナリストである友人Jacob Kronika, Berlin correspondent for Nationaltidende, Copenhagen and Svenska Dagbladet, Stockholm, and Chairman of the Association of Foreign Journalists in Berlinへ、ブックマンは次のように話した。
オックスフォード・グループについてゲシュタポがはじめて作成した詳細な機密レポート(1936年11月)によると、オックスフォード・グループは、国家社会主義に対立する危険な存在と化した、と警戒している。 Leitheft Die Oxford- oder Gruppenbewegung, herausgegeben vom Sicherheitshauptamt, November 1936. Geheim, Numeriertes Exemplar No. 1
第二次世界大戦後、ゲシュタポの資料が従来以上に明らかになることで、ナチスがオックスフォード・グループを敵とみなしていたことが明確になった。1939年に作成された資料では、「オックスフォード・グループは、国民国家に対抗する革命を説いており、キリスト教による、国民国家の反対勢力となっていることは明確だ。」としている。また、1942年の文書では、「キリスト教の特徴をもって、国家の枠組みを超えることや、あらゆる人種の壁を取り払う、ということをここまで強調するキリスト教運動は他には存在しない」と分析されている。 Lean, Garth Frank Buchman – a life, p. 242
また、レポートでは、ボルシェビキにおけるスターリン主義者や、Catholic Actionなどのような非ナチスの全体主義の原型といえる集団についても、ナチズムにとっての脅威として分類している。 The Family: The Secret Fundamentalism at the Heart of American Power,Jeff Sharlet,2008