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西尾 忠成(にしお ただなり)は、駿河田中藩の第2代藩主、後に信濃小諸藩主、遠江横須賀藩初代藩主。横須賀藩西尾家4代。絵画に秀でた文化人であった。
承応2年(1653年)、田中藩の初代藩主西尾忠昭の長男として生まれる。承応3年(1654年)に父が死去したため、家督を継ぐ。このとき、忠成が幼少のため幕命により叔父の忠知に後見役が命じられ、かつ5000石を分与したため2万石の大名となった。寛文元年(1661年)3月8日初めて将軍徳川家綱に御目見し、寛文7年12月28日(1668年)に従五位下、隠岐守に叙任される。
延宝3年(1675年)に忠知が死去したため、5000石が幕府より還付され、再び2万5000石の大名となる。延宝7年(1679年)9月6日、信濃小諸に移封された。
小諸藩では、前藩主である酒井忠能の失政を改めるべく努力したが、3年後の天和2年(1682年)3月9日、遠江横須賀に移封された。
天和2年(1682年)、幕府より遠江国見付宿での朝鮮通信使の饗応役を命じられている。
横須賀藩では、城下町を近世的に整備するなどしたが、宝永4年(1707年)の宝永地震で横須賀湊が塞がるなど、災難も重なった。正徳3年(1713年)7月23日、四男の西尾忠尚に家督を譲って隠居し、同年10月13日に江戸外桜田において死去。享年61。
父母
正室
側室
子女
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