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1955年に公開された日本映画、監督:小林恒夫 ウィキペディアから
『終電車の死美人』(しゅうでんしゃのしびじん)は、1955年6月21日に公開された日本映画[1][2]。東映東京撮影所製作・東映配給。主演:宇佐美諄、監督:小林恒夫。モノクロ。
東映東京撮影所(以下、東映東京)製作の長期シリーズとなった「警視庁物語シリーズ」計24作品[3]の元祖[2][4][5]、また「警視庁物語シリーズ」で培われた伝統とノウハウが『特別機動捜査隊』『特捜最前線』『はぐれ刑事純情派』『相棒』など[2]、東映東京で制作された刑事ドラマに引き継がれたと評される[2]。本作のチーフ助監督を務めたのが「警視庁物語シリーズ」で7本の監督を務めた村山新治[2]。同じく本作に助監督として就いた深作欣二が影響を公言しており[2][6]、東映現代劇に大きな影響を与えたとされる[4][6]。
原作は朝日新聞社警視庁担当記者団が書いた『警視庁』[7]で[2]、三鷹行き最終列車の中で殺された若い女性の僅かな所持品から犯人を割り出していく警視庁捜査一課の刑事たちの姿をドキュメンタリータッチで描いている[1][2]。
東映は京都太秦に東映京都撮影所(以下、東映京都)、東京練馬に東映東京撮影所と東西に二つの撮影所を持つことでも知られるが、東映創立から人気を博したのは東映京都で製作される時代劇映画で、社会派作品の多い東映東京でヒットした映画はほとんど無かった[2][10][11]。東映東京の作品は東映京都製作の時代劇との併映のため、ヒットはあまり関係なかったが、東映時代劇の人気に翳りが見え始めた1960年前後に問題に上がった[2][10]。第二東映の失敗も重なり[10][12]、1961年9月に岡田茂が東映東京所長に就任すると、小林恒夫のような古手監督は、映画を演出する機会が減らされた[10][13]。
岡田がプロデュースした1963年3月封切の『人生劇場 飛車角』が望外の大ヒットを放つと東映東京も任侠路線に切り換えられ[2][10][14]、「警視庁物語シリーズ」も終了し、東映ではほとんど社会派映画は作られなくなった[2]。
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